第2話 『ホワイト、王子の邸に忍び込む の巻』
というわけで、やってきましたアルヴァン殿下の御別邸。
私たち魔法学園生は寮住まい。しかし持ち家が許されている例外も存在します。学園に2人しかいないとされるその例外こそが、アルヴァン殿下と他ならぬロズマリー様です。
私は先んじてお邪魔していたロズマリー様の御別邸から出向して、その足でアルヴァン殿下の御別邸へと足を運んだことになります。
「それにしても、ドデカい……」
ロズマリー様のお邸も立派なものでしたが、アルヴァン殿下のそれは輪を掛けて大きい。ちょっとした城塞といった観を呈しております。
「でも一番近いのはマフィアの持ち家」
益体のない考えに耽りながら、闇夜の影から玄関の様子を伺います。さながら城門を守る門兵のように甲冑姿の男性たちが立ちはだかっています。幼い頃に誘拐され、過干渉に育てられたというアルヴァン殿下の設定が、おそらくこのようなかたちで乙女ゲー世界に影響を及ぼしたに違いありません。
「事前にとった見取り図通りですね」
移動のため足を踏み出したそのとき、私の足が小枝をペキリと踏み折りました。
「むうっ!? なにやつ!!」
「にゃーん」
「なんだ猫か、おどかしやがって」
胸を撫で下ろした男性たちが再び談笑を始める中、私はささささと足音を殺して指定のポイントを目指しました。手前味噌になるのですが、きっと目を瞑ったままでも辿りつけたに相違ありません。
何故ならそう、すべてはこの日のための布石だったのです。
私が今、中世ヨーロッパ風異世界によくある感じのご令嬢のドレスを脱ぎ捨て、見たままくのいちといった感じの忍び装束に身を通しているのも、今日この日があってこそなのです。
「……思えば、長い留学でしたね」
胸元からクナイを取り出しつつ、しみじみと思い返します。
中世ヨーロッパ風異世界なら東方に昔の日本みたいな国とかあるでしょと当たりをつけ、実際に地図上に見つけたときの高揚感。忍びの技を極めんがため、留学と称して修行の旅に出たときの不安感。そして血を吐くような鍛錬の日々よりなお、ロズマリー様と会えないあのつらさ……。
目を閉じれば、今もあの日々をありありと思い浮かべることができます。
「よくぞ試練を突破した。貴様にはもうなにも教えることはない」
背後に滝を背負い、そう師匠はおっしゃいました。漆黒の忍衣に身を包んだ伝説のニンジャマスターです。首に巻いたマフラーのようなものが、風もないのに空中にたなびいています。浮力は? 浮力はなんなの?
「……聞いているのか弟子」
「は、はいっ!!」
心ここにあらずを看破され、私は思わず大声を出しました。
「弟子、今一度問う。忍びの神髄とはなにか?」
「誰にも見つからぬことです!!」
「然り。誰にも見つからねば、存在しないも同じこと。風や匂いの仲間となれ」
「なります!!」
「それこそが忍びの神髄と心得よ」
「はい!!」
師匠は雰囲気たっぷりに背後を振り返り、滝に向かって印を結びました。
「それでは弟子よ、我に続いて復唱せよ……にんにん!!」
「ニンニン!!」
「にんにん!!」
「ニンニン!!」
このやりとり、夕方頃までやってたっけなあ……と、私は壁にクナイを突きたてながらしみじみとしました。
左右の手に握ったクナイを上方に向かって交互に突き立てると、徐々に私の身体が中に浮くかたちになります。
ここが警備の穴でした。このポイントαから外壁を伝って3階に登れば、事前に調べておいた無人の部屋に当たります。静かに窓を破って侵入し、部屋から廊下に出て階段で上階に上がれば、アルヴァン殿下のお部屋が見えてくるのです。
「絶対に、婚約破棄なんてやめさせてやるんですから……!!」
とは言ったものの、私の心は揺れに揺れていました。このまま私がなにも手を出さなければ、リアルでロズマリー様のざまぁスチルを見ることができる。メルさんを伴ったアルヴァン殿下に公衆の面前で婚約破棄され、いつもの高慢ちきが一転、よよと泣き崩れるロズマリー様のお姿を拝見することができるのです。
わかりますでしょう? これだけでも抗いがたい魅力……しかし私には別の魅力あるアイデアもありました。もしロズマリー様がざまぁされず、アルヴァン殿下と婚約関係を続けることになれば、『Sacred Bless』の世界では見ることのできなかった、王妃ロズマリー様の気高きお姿を目にすることができるのです。
こころが、こころがふたつある……。
「でも、ダメよホワイト。私はロズマリー様のお力になると決めたんだから。忠義執行!!」
私は窓越しにチャクラを練り、気功波でガラスの一部をくり抜きました。実はこの技、応用すればガラスを破壊せずに向かい側の対象に攻撃を食らわせ、絶命させることも難しくありません。完全犯罪に使えちゃうので、絶対に真似しないでくださいね。
空いた隙間から身体を滑り込ませ、しゅたっと忍者着地をキメます。室内に人の気配はありません。では当初の計画通り、廊下に出てアルヴァン殿下のお部屋に赴くとしますか。
とそこで、ガチャ、とするはずのない音がしました。
廊下側から光が入り、一瞬私の目を眩ませます。そして……。
「こんなところでなにをしている!?」
目を細めると、燭台を持った男性らしきシルエットが見えました。
ばっ、バカな……ここは完全に無人の部屋だったはず。
「あなた、誰ですか!?」
「こっちのセリフだ!!」
言うが早いが、火が灯ったままの燭台を投げ捨て、抜剣して斬りかかってきます。私はまだ目を眩ませながらも懐からクナイを取り出し、軌道を読んで剣の横腹に打ち付けました。
「なにッ!?」
暗闇に火花が散り、たった一合で私は理解します。この人、できます。相当の使い手です。だけど……敏捷性なら私、負けません!!
「はあッ!!」
私は後方に宙返りし、壁を蹴って部屋の扉側へと空中移動しました。着地して首を捻ると、剣を持った男性が呆気に取られた表情をしています。
「軽業師の賊だと? しかし……逃すわけには!!」
「この勝負、預けます!!」
胸元から煙玉を取り出し、えいやと床に叩き付けます。もくもくと煙が満ち始める廊下を忍者走りで疾走し、手近な窓を身体を使って破ると、闇が満ちる外の世界へと逃走することに成功したのです。
しかし、夜襲は失敗。今後は警備体制の増強が見込まれます。
うーん、これからどうしましょうね……。
◇◇◇
お紅茶を嗜まれるロズマリー様のお顔に、憂いの影が見え隠れします。
ここはロズマリー様の御別邸。バルコニーのお茶席に座られたロズマリー様は、遠くの景色を眺めておいでです。無理もないでしょう。魔法学園に流布する噂は日に日に広がってゆくばかり。ロズマリー様はいずれアルヴァン殿下から婚約破棄を受ける身として、周囲から色眼鏡で見られておいでなのです。
でもホワイト、こんなときだからこそあなたが力にならなければならないわ。
そんなわけで私はポットに新たなお紅茶を作ると、バルコニーで黄昏ていらっしゃるロズマリー様の元へと赴きました。
「粗茶ですが」
「ああ、ありがとうホワイト……あら? あなたまた、その恰好をしていますのね?」
「えへへ」
と照れ笑い。実を言うと今の私はメイド服を着ているのです。
「昔からの付き合いですし、わたくしのためを思ってだとは知っているけれど、なにも侍女みたいな服装をしなくてもよろしいんですのよ」
「これはロズマリー様への忠義の証みたいなものですので。それに……趣味と実益も兼ねてもいますし」
「そう、それだといいんだけど」
本当に元気がなくなっておいでですね。いつもならここで「貴族令嬢たるもの、たとえ好きでもそのような服装をするものではありませんわ」とごほう……ご注意をくださるところなのですが。
「魔法学園のお噂ですか?」
「癇に障らないと言えば嘘になりますわね。まったく、貴族子女たるものがあんなものに惑わされるとは嘆かわしいことですわ」
恋愛スキャンダルが人の興味を引くのは万国共通、老いも若きも平民も貴族も関係ないってことなんでしょうか?
「ところでホワイト、アルヴァン殿下のご邸宅に賊徒が入ったという噂、あなたも耳にしたでしょう」
ぎくり、と冷や汗を掻きます。しかしここは全力で誤魔化す場面。
忠義のために、ロズマリー様にも素性がバレるわけには参りません。
「そ、そのようですね。なんでも大層身軽な泥棒だったとか……」
「未遂で退散したみたいですけど、もう一度来る可能性が示唆されているそうですよ。警備体制を増強して備えるとのことですわ」
「あ、あはは~」
と愛想笑いをしながら、私の頭には昨日のやらかしが思い浮かびます。
かつて師匠は言っていました。実力伯仲の相手と出会い、状況により決着まで勝負を続けられない場合、いったん勝負を預けて後日再勝負なさいと。
「終生の好敵手というものは、真に得難きもの。弟子よ、もしそのような傑物に出会う幸運に恵まれたなら、雌雄を決するまで勝負を諦めるな。その先にこそ、漢の中の漢の道がある」
頭のどこかに、そんな師匠の教えが残っていたのだと思います。
死ぬ気で修行を頑張ったこともあり、私は忍びの里でも強い方の忍者でした。ニンジャマスターである師匠を除き、立ち合いで一度も土を付けられたことはありませんでした。
私は女なので漢の道になんて迷子になってしまってもいいのですが、あの夜に互角の相手と手合わせした際、ついうっかり口を滑らせてしまいました。
「この勝負、預ける」の文言は、我が里の忍法帖において呪いの言葉として有名です。言ったが最後、一月以内にその相手と果たし合って雌雄を決さなければ、掟を破った抜け忍扱いとなり、裏切者として機密保持のために記憶を抹消されてしまいます。
つまり、今の私は思った以上にヤバい状態にいるわけです。
「……チラ」
バルコニーから、ガラス越しに室内の様子を眺めやります。
いますね。ひい、ふう……8人ほどですか。皆一様に隠れ身の術を使って部屋の光景に同化していますが、里始まって以来のゴールデンルーキーと呼ばれたくのいちである私にはまるっとお見通しです。おそらくは待ち受ける果し合いの監視のため、里から派遣されてきたに違いありません。
「ホワイト、どうなさったの?」
「いえあの……今部屋の中で、コックローチが動くのが見えたかなあって」
「嫌だわ。退治して頂戴」
「ほいさほいさ」
私はモップを持って室内に戻り、ゴキブリを潰すフリをして、擬態した忍者のお腹に反転させたモップの柄で一撃を食らわせました。
「ぐえっ!?」
カエルが潰れるような鳴き声を聞きながら思います。
さて、今宵はどのように攻め入りましょうかね……。
次回より完結まで毎朝7:10に投稿します。




