第10話 『ホワイト、みんなのために頑張る の巻 (前編)』
……推しとのハグ、最高。
し、失礼しました。私ホワイト、少々ロズマリー様との抱擁を楽しみすぎたようです。あらゆる快感のカクテルをもってしても到底敵わない快感、それが推しとの抱擁であるのは疑う余地のないことです。一生分堪能してしまいました。
「ホワイト、もう大丈夫ですわね」
「……はい」
慰める側が慰められるなんて、と情けない気持ちもありました。けれど今はそれより幸福感が勝ります。今度は私自身の手で涙を拭うと、ロズマリー様に向けて笑顔を浮かべてみせました。
「良かったな、忍者女」
ふと、背後にそんな声を聴きます。振り返ると、部屋の後方で陣取っていたスタンさんが、アルヴァン殿下の元へ歩まれるのが見えました。
「……スタンさん?」
「アルヴァン様、私からも重要なお話があります」
アルヴァン殿下を前にして、スタンさんがその場にかしずきます。
ただならぬ雰囲気を察したのは、おそらくロズマリー様が最初だったのでしょう。
「わたくしたちの用向きは済みました。お邪魔なようでしたら……」
「いや、そのままいてくれて構わない」
チラ、とお2人の間でアイコンタクトが交わされるのが見えました。その意図は私も察しましたし、そちらを見てもいないスタンさんも気づかれたことでしょう。言上する許可を得たものとして、お話を始めます。
「私、スタン・ベルモントは執事として、これまで主君であるアルヴァン様をお守りするために尽力してきました。しかしこたび、そこにいる淑女との決闘に敗北を喫し、己の力量不足を深く反省する次第となりました。つきましては誠に勝手ながら、このスタンにアルヴァン様のお傍を離れるご許可を願いたいのです」
どうして? そんな言葉が頭の中を巡ります。
だけどスタンさんの口ぶりからわかりました。これは一朝一夕の覚悟なんかじゃないと。
思わずアルヴァン殿下へと目をやりますが、突如の申し出に困惑もされず、泰然としてスタンさんのことを見下ろされています。
「……後任は?」
「家臣の中から、相応しき人物を私が推薦いたします」
「ほう、お前以上の適任がいると」
「それより、私自身の不適任が問題なのです」
一度としてアルヴァン殿下のお顔を見ず、ひらすら地べたに向かって話し続けるスタンさんに、アルヴァン殿下がご立腹されています。
「なるほどな。元々、分不相応だとは思っていた」
「これまで私に御目を懸けてくださり、感謝の言葉もございません」
「言い草もご立派だな。今後の目途は立っているのか」
「剣を伝手に、諸国を巡る旅に出ようと考えております」
「結構なことだ。だが忘れてはいないか。これはお前が望んだ役目だと」
「…………」
無言の最中に、スタンさんが小さく歯噛みするのが見えました。
「恥ずべき無責任は承知しております。しかし決めたことなのです」
なおも地べたを見たままのスタンさんを値踏みして、アルヴァン殿下は吐き捨てるようにおっしゃいました。
「わかった。どこへなりと行け。ただし俺の目の黒いうちは、二度とこの国に帰ってくることを許さん。それでも構わぬというなら、自らの手で扉を押してこの邸から出て行け」
「私のわがままを受け入れて下さり、感謝の言葉もございません。それでは――」
「ま、待ってください!!」
気づけば、またしても声を張っていました。
おそらく、この部屋に集った誰にとっても予想外だったのだと思います。みんな目を丸く見開いて私を見ていました。とりわけ驚きの激しかったのがスタンさんです。かしずいたままの姿勢から首を捻って私の姿を見ると、見開いた目を再び細められました。
「忍者女、貴様……発言を許可した覚えはない!!」
「わかっています! でも、これは違うでしょう!!」
売り言葉に買い言葉で噛みつきます。スタンさんはかしずいた姿勢のまま腰の剣へと手を伸ばされました。
「……ぐ」
しかしその手は途中で止まります。抜剣が許される場ではないと自制されたのです。
「言ってみるがいい」
一触即発の空気が漂う中、次に声を発されたのはアルヴァン殿下でした。
ご自身の腕を組むと、興味ありげに私を見られています。
「仮にも貴族令嬢の端くれだ。一時の気の迷いで俺たちの間に割り入ったわけでもあるまい。であれば止めるだけの根拠がある。許可ならばくれてやるから出してみろ。だがもし、そんなものがなかったとするなら……」
目を細められたのは、私自身に待ち受ける末路を暗示されたからでしょう。
これは私に許された権限を逸脱する行為です。本当なら他家の事情に割り入って無事で済むわけがありません。ロズマリー様だって庇い立てすることなどできません。ですが――。
「あります、根拠なら!! だってお2人とも、お互いのことを大事に思われているじゃないですか!!」
アルヴァン殿下が眉根を歪められました。
「俺が一介の執事でしかないこいつに目を懸けているだと? とんだ冗談を言うのだな、お前は」
「でも事実でしょう」
皮肉げに笑まれていたアルヴァン殿下でしたが、今度は本物の苛立ちを滲ませます。
「俺が買っているのは、こいつの剣の腕だけだ。決闘に負けた以上、自ら役を降りるだろうという顛末だって想定していた……」
それはそうかもしれません。だけど――。
「それが本懐だなんてことはなかったはずです。アルヴァン殿下も、スタンさんだって」
「やめろ忍者女、これ以上の狼藉は……」
「だってスタンさんは、本当に強かったから!!」
私はアルヴァン殿下のお顔を直視しました。アルヴァン殿下も、私も目を逸らしませんでした。
「正直に言ってしまえば、果し合いでスタンさんに勝てたのは運でした。私がロズマリー様のために修行してきたのと同様に、スタンさんもアルヴァン殿下のために強くあろうとしてきた。ひたすらに剣の腕を磨いてきた。それはあなたのことを真に思っていなければできなかったことです」
剣を合わせるうち、私はスタンさんの人となりを知りました。
そして理解したのです。
アルヴァン殿下のためだけに、スタンさんは剣の腕を鍛えてきたのだと。
「スタンさんにとって、アルヴァン殿下は推しなんです!! ああは言ってますけど、本当はずっとお傍に仕えていたいと思っているんです!!」
「おい待て!! そんなこと僕は言っていない!!」
「スタンさんは黙っててください!!」
ぴしゃりと弾いて、私はアルヴァン殿下のお顔を見上げます。
虚を突かれたようなお顔も束の間、ご自分を取り戻されました。
「……お前の言ってることは、想像だ」
「そうかもしれません。でもそれだけじゃありません」
「なんだと?」
「血の繋がったご家族を遠ざけていた理由は、なんですか」
今度ははっきりと、アルヴァン殿下が驚愕されるのを見ました。
「お前、いったいなにを……!?」
「疑問があったんです。実際に剣を合わせてみないとわからないこと、その根拠が欲しくて調べました。アルヴァン殿下が遭遇された誘拐事件だって」
私が深い部分に切り込むと、アルヴァン殿下は難しい顔で無言になられましたが、それを先を話す許可と理解して私は続けます。
「王国史、勉強しました。ロズマリー様と一緒に魔法学園を卒業したくて、その一心で。そこには、アルヴァン殿下とそのお父君の記述もありました。今の王妃様が、病没された王妃様の後妻だってことも」
冷静さを取り戻されたアルヴァン殿下が、ぶっきらぼうな口調で返報されます。
「不勉強だな。幼稚舎の子どもでも知っていることを、今さら学ぶとは」
「お勉強が嫌いでした。だからすみません、こんな簡単なことにも気づけなくて」
「なに?」
「誘拐事件の主犯、まだ捕まってないんですよね?」
ふっと、場に漂う空気が変質しました。タブーに触れたのです。
この先を掘り進めれば笑い話じゃ済みません。
「俺を攫った連中は捕まり、既に刑に処されている」
「尋問で不審な点があったはずです。誰かに唆されたような」
「デタラメだ。探偵ぶりたいのはわかるが、お前は妄想でものを言っている」
「妄想なんかじゃありません」
通常なら、不敬があったとしょっぴかれてもおかしくない場面。
しかし私がなおも発言を許されているのは、アルヴァン殿下も私の話にご興味を持っているから。
私は固唾を飲むアルヴァン殿下から一瞬だけ視線を外し、スタンさんのことを見ました。そのお顔にもやはり驚きの色がある。恐らく、私が事前にアルヴァン殿下の周辺事情を調べていたとは露にも思っていなかったのでしょう。
けれど、これは必要な行程でした。私とスタンさんの素の実力は五分。であるなら、勝敗を分けるのは互いに関する知識のわずかな差異です。スタンさんの剣には悲壮さがあった。ではその悲壮な剣がどのように育まれたのか。その根源を知ることによって、私は小数点単位で自らの勝率を向上させていたのです。
そして、私の直感を裏付けんがため放たれた忍びの里の忍者たち。
実力こそ私に劣りますが、彼らもまた優秀な忍者軍団です。18人もいれば、数週間あればランセッド王国のどのような情報だって網羅できる。
壁に耳あり障子に目あり、至るところに忍者あり。
彼らは実に、異世界知識無双クッキーに相応しいはたらきっぷりを見せてくれました。




