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ブランコと私

作者: N.@猫の白昼夢

静けさの中で、あの鳥は何を見る。

静けさの中で、あの木は何を感じる。


静けさの中で、ブランコに揺られながら私は何を思う。


 住宅街の片隅にひっそりとある廃れた公園に住み始めて二日が経った。今回は一体何日いられるのだろう。気温の変化から察するに恐らく秋口であろう朝に目覚め、淵に植えられた草木の側から起き上がった私は随分固くなった身体を伸ばした。

 人間は残酷だ。何処もかしこも誰かの土地で、勝手に住むことも許されない。土地を持ってる人間は皆金持ちで家がある。だから私のような一文なしの苦労も知らない。

 そして人間は家のない私を軽蔑する。時に怖がる。親は子に、「あんな人とは関わっちゃだめ。」と言う。確かにそうかもしれない。金がないと、誰にでも物乞いをしてしまう。こんな私は子どもの教育には良くない。

 以前は私も同じことを思っていたかもしれないのだが、今となっては記憶にない。


 昔はよく公園で子どもがはしゃぎ回っていた。だが今はブランコを楽しむ子も少ない。いや、危ないからと過保護な大人がそれで遊ぶことを許さない。役目を終えた遊具たちは、誰からも感謝をされずに取り壊されてなくなってしまう。きっと誰よりも長くそこに住んで子どもたちを楽しませてきたのに、錆びた彼らの体を優しく拭く者もいない。


 「おまえたちも寂しいよな。」


 私の住む公園に唯一残っているブランコの一つに腰掛けて、私はそう話しかけた。


 そうだね。


 撤去されるのをただ待っているだけの二つのブランコたちが同時にそう答えた気がした。空いた席はぴくりとも動かず悲しげだった。

 子どものいない公園はとても静かだ。近くに住宅街があり日常を行き交う人々がその傍を行き来する時間以外は風が揺らす葉々の擦れる音しか聞こえない。

 人が近くを通っても、ここに立ち入る者は誰もいない。まるでこの場所は誰にも見えていないようだ。たまに鳥が飛んできては食糧を探しに来るが、食べられるものは全て私が平らげてしまうので諦めてすぐに何処かに行ってしまう。もう少しそこにいて、私の話し相手になってくれればいのに。彼らもまた、生きるために忙しいのだろう。


 不意な来客は嬉しくもあるが、面倒でもある。孤独を紛らわせるためにはうってつけだが、やはり相手は家屋に住む者。哀れみや蔑みに晒されるのはうんざりだ。優しさに触れても結局は何も変わらない。この社会では金を持つことが普通だから、いくら同じ人間だと言われても普通でない私を見る目はやはり異物を見るそれと変わらない。その日は珍しく人間の来客があったので、私はその不安を抱いていた。

 人がいるのを知ったのは、思わぬ収穫に巡り合うため少しの間外出をして帰った後だった。そこにいた、黒い学生服を身につけた少年は私の椅子であり友であるブランコの一つに揺られて座っていた。古びたブランコの音が公園に響き渡っている。その音を浴びながら、少年は俯いていた。


 「何してる。」


 初さがその顔に残る十代半ばだろう少年に近づいて、私はそう話しかけた。酷く気が沈んでいたのだろうか、少年は私が話しかけるまで私の存在に気がついていなかった。私の声に彼はばっと顔をあげ、目を丸くして私を見た。


 「ご、ごめんなさい…」


 少年は言った。別に謝って欲しいわけではない。暗い顔をして一人何を考えているのかと聞いただけだ。


 「謝ることは何もない。こんな場所で何をしているいのかと聞いたまで。」


 すると少年は再び目線を自分の足元にやった。驚きと共に緊張で伸び切った背中がそれと同時に曲がっていった。このまま地面に吸い込まれてしまうのかと思う程、少年は頭を落としていった。


 「誰もいないからここにいるんだよ。人がいると疲れてしまう。」


 「でも私が来るまでも相当疲れていそうだった。」


 私は言った。前側に垂れた少し癖毛で短い髪の隙間から見えた少年の口が力無く笑った。


 「もう全部嫌なんだ。生きてたって嫌なことばかりだよ。」


 少年は小さく言った。


 「誰かが言った。何でお前は生きてるんだって。僕にもわからないよ。」


 恐らく少年は若くして酷い目に遭っているのだろうことが、その様子から伝わってきた。雛鳥は親から食べ物を与えられないと生きていけない。花は水がないと死んでしまう。目の前にいる骨に皮を被ったような少年は、ろくに栄養もとれていないのだろうか。

 一度言葉を零した少年の口からは、捻り忘れた蛇口から留まらず流れ続ける水のように言葉が次々と溢れ出た。


 「僕には居場所がないんだ。学校にも、家にも、どこにもない。母さんが死んでから父さんは人が変わったみたいに荒れてしまったし、水道が停められて風呂にも入れない僕は学校ではウジ虫扱い。僕に味方なんかいない。僕なんか死んだ方がいいんだよ。」


 まだ若い少年にここまで思わせるその環境が、少年を押し潰そうとしている。よくいる大人ならきっと、大丈夫だよなんて声をかけては背をさするだろう。

 だが、私はそんな無駄なことはしない。私には少年の環境を変えることが出来ないからだ。代わりに私は沈黙の中、少年の右隣のブランコに腰をかけた。いつもは少年の位置に座ってしまうから、この子に座るのは初めてだ。私が座ると錆びた鎖が鳴いた。静けさが覆う公園に年季の入った音が響き渡る。おまえもこんなに年寄りだったんだな。少しそれに揺られながら、私はそう思った。


 「居場所がないことは、死ぬ理由にはならない。」


 少しの沈黙の後、私は言った。少年が俯けていた頭を少しこちらに傾けたのがわかった。


 「他の誰かに与えられると思うな。居場所は自分で作るものだ。」


 弱っている少年に対して何て酷い言葉をかけるんだと非難されかねない。だが、それが真実だ。


 「僕にどうしろって言うんだよ。学校は行かなきゃいけないし、家には帰らないといけない。どうしようもないじゃないか。」


 少年がそう考えるのは自然なことだろう。人には住む家があって、親が二人いて、学校に通って勉強して働きに出る。それが当たり前のことだと世間が教えているからだ。

 そう、教えこまれているからだ。


 「それはお前が勝手に思い込んでいるだけだ。行きたくないなら行かなくていい。帰りたくないなら帰らなくていい。元々お前は自由なはずだ。それを縛っているのは周囲でもあり、お前自身でもある。」


 私の言葉に、少年は再び頭を沈めた。


 「それが出来たら苦労はしないね。」


 重いため息のように吐き出した少年の言葉は、ブランコに座るぶかぶかの黒いズボンに落ちた。糸くずが飛び出ているそのズボンの色は、白い少年を闇に包んでいるようだった。


 「じゃあ僕もここにいていい?」


 突然顔を上げたかと思うと、少年は私を見て言った。ここが私の住処だとは言った覚えがないのだが、少年は全てを知っているようだった。暫く体や髪を洗っていないためそれなりの臭いがしているのだろうか。


 「それは断る。お前にずっと居られると誘拐犯だと疑われ兼ねない。」


 私が答えると、少年はくしゃっと笑った。その顔は私に初めて少年を少年だと思わせた。


 「おばさんはここが好きなの?」


 少年は言った。


 「今はここが私の居場所だからいるだけだ。」


 私が答えると、少年はふうんと鼻で返事をした。


 「寒くないの?」


 少年は質問を重ねた。


 「夜は寒い。」


 今暖を取れるものは四方からかき集めた段ボールだけであるが、やはりそれだけでは身震いを抑えられない。だがどうしようもない。


 「僕の家もエアコンないし、ストーブはお金がかかるから使ってないんだ。だから夜はいっぱい服を着て布団を頭まで被って寝るよ。」


 さっき少年は母親の死を口にした。それから父親は人が変わってしまったと。恐らく少年の父親はろくに働くことも出来ず、生きていくための金が底を尽き始めているだろうことが少年の話から垣間見えた。


 「おばさんはいつからここに住んでるの?」


 数分前の沈み込んだ頭はすっかり持ち上がり、少年は次々に私に質問をした。


 「数日前。」


 私は答えた。


 「いつからお外に住んでるの?」


 そう少年に聞かれ、私は答えに詰まった。いつから家がないのか。覚えていない。


 「わからない。」


 私がそう答えると、意外にも少年はあっさりと、そっかと相槌を打った。相手はまだ子どもだからなのか、家のない私に向ける目は普通の目をしていた。


 「おばさんは死にたいって思ったこと、ある?」


 少し間が空いた後、少年は私にそう聞いた。


 「わからない。」


  私は答えた。


 「わからないの?」


 「あるかもしれないし、ないかもしれない。少なくとも記憶にある限りでは、ない。」


 昔のことは遠に忘れてしまったためそう答えると、深くは掘らずに少年は次の質問をした。


 「どうして生きてるのかって考えたことはある?」


 「どうだろうな。」


 「じゃあ、おばさんはどう思う?」


 少年は恐らく、他人の人生観を聞いてまで自分が生きる理由を見つけたいのだろう。

 だが、少年は聞く相手を間違えている。


 「理由などない。」


 私が答えると、少年はあからさまに眉間に皺を寄せた。


 「生きるのに理由なんてない。生きているから、生きているだけだ。込み入った理由も必要ない。」


 きっと理解出来ていないのだろう、少年は眉をひそめたまま私を見ていた。


 「やっぱりおばさん、変わってるね。」


 これ以上話していても理解に及ばないと諦めたのか、少年は顔に皺を寄せたまま言った。


 「上等だ。」


 私は答えた。

 少年が口を閉じた空間は、再び静寂に包まれた。聞こえる音はと言うと、数分に一度揺らすブランコの高い音と、たまに吹く風の音くらいだ。変わりゆく空の色が刻まれた時間を教えてくれた。もう夕方だ。肌を撫でる風も大分冷たくなった。


 「またここに来てもいい?」


 ようやく口を開いた少年はそう言った。正直何度も来られると、人がいる感じがしてしまう。それは私がここにいられる時間をきっと短くするだろう。


 「好きにしろ。」


 だが私はそう答えた。居場所のない少年は、自分を受け入れない世間からの離脱を求めている。時間が終わったこの公園はまさに、少年が求める場所だろうと思うと意志とは反して私はそう言っていた。

 私の言葉に少年は嬉しそうに笑ってブランコを飛び降りた。もう片方に座る私に振り返った少年は、またねと言って公園の出入口に向かった。明日追い出されてしまうかもしれない私は次を約束出来ないが、去りゆく少年の小さな背中を私は見送った。

 人と会わないと考えることもしなくなる。本能のままに生きていると、あれこれ惑わしいことで頭の中を騒がせなくなる。ただ誰もいない場所に腰を下ろして静かに過ごすこの時間は、一方で寂しさを覚えるがもう一方で日常を忘れさせてくれる。混沌とした世界は私には騒がしすぎる。時間を忘れて風に揺られるブランコと過ごすくらいが、私には丁度いい。


 空いたブランコが温もりを保ったまま小さく揺れている。とても久しぶりに私以外の誰かに座られて喜んでいるように見えた。


 「良かったな。」


 私はそう声をかけた。


 良かったよ。


 ブランコがそう答えた気がした。

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