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掌編置場

偽の潮騒

作者: 須藤鵜鷺

「はい、ここではこの人物の心情は……教科書百二十五ページ十二行目にある……」

 カリカリと単調な板書の音も、先生が何やら説明している声も、発せられる端から波へ溶けていくように、ぼんやりと響いている。

 午後イチのプールの授業の後の、国語の時間。蒸し暑い教室の中で、でもプールで身体が冷えた今この瞬間だけはどこか心地よくて、身体も頭もふわふわしている。校舎の周りには日除けのためなのか、背の高い木がたくさん植えられていて、そのせいなのか、間近で蝉の鳴く声がわんわん響いている。

 プールの授業の後って、なんでこんなにすべてがぼやけちゃうんだろ。

 先生もちょっと諦めてるみたいに、みんなが授業を聞いてるかどうかなんてお構いなしにカリカリと板書を進めていく。それを写すために手を動かしてみるけど、ノートとペンが全然かみ合わなくて、文字とは到底呼べないようなぐにゃぐにゃした線ばかりが増えていく。

 こんな風にふわふわしていると、まるでみんなで大きな船に乗って、波間に揺られてるみたい。船なんて、本当に乗ったらきっと船酔いで気持ち悪いのに、なんでかそう思った。

 この心地よいふわふわが、いつまでも続くものじゃないことも知ってる。

 そもそもふわふわしてる場合じゃない。こうしている間にも授業は進んでいってしまう。ちゃんと板書を写さなきゃ。授業が終わるまであと……五分。そしたら板書は消されちゃう。

 ぐっ、と手に力をこめて、えいっ、とちゃんと文字を書く。

 そうしているうちにチャイムが鳴って、今日最後の授業が終わった。

 放課後。だんだんとふわふわした感じが抜けてきて、普通の私に戻っていく。そうすると考えることも普通になってく。帰ったら宿題やらなきゃ、とか。夏休みまであと少しだな、とか。

 家に帰ってきて、誰もいないから鍵を開けて入る。お父さんもお母さんも今の時間は仕事に行っている。静かな静かな私の家。自分の部屋に入るとさらにしぃんとした空気が流れる。鞄をおろして学校から持ち帰ったノートを開く。今日の宿題ってなんだったっけ。

 パラパラとページをめくって、今日授業中に板書を写したところを開いた。

 ……はずなんだけれど。

「あれ?」

 そこには、明らかに今日の授業とは関係のないことが書かれていた。


  我々はどこでもない今を漂っている。

  このときだけに存在する、透明な船に押しこめられて。

  このままどこか遠くまで流されていくことはできない。


 意味がわからない。読んでみたって全然意味がわからない。でもそれは明らかに私の字だし、その手前には板書を写していたときの文字とは言えないぐにゃぐにゃした線も書かれたままになってる。

 つまりこれは、私が書いた、ってこと……?

 書いたことは全然覚えてないけど、そういえばあのふわふわした感覚に包まれているとき、船に乗ってるみたいだって思ったのは思い出した。

 もしかしたら、私はあのふわふわに揺られて、あの瞬間本当に別の世界を漂ったのかもしれない。

 この近くに海なんてないのに、遠くのほうでザザーッ、ていう波の音が響いた気がした。

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