パズルのピース
もうすっかり朝のはずなのに、私たちは目をシャキッとさせながらまたも音楽の時間に浸った。さっき青木さんに借りたテレビと携帯を連動させるアダプターを使ってだいぶバグっている音量で浸った。青木さん、ナイス。と感謝した。 と、思ったら突然部屋のインターホンが鳴った。
なんだろうと思ったら、青木さんが気まずそうに鼻を啜りながら立っている。
はい、と言ってドアを開けると、「ごめんねえ、ここ部屋の壁が薄くって、隣の人から音楽がうるさいって言われちゃってねえ。」と、申し訳なさそうに言った。
どうやら彼の友達が言っていた、「壁が薄い」は本当だったらしい。
ラブホなのに壁が薄くてどうするんだよ。とは思ったけど、音楽の音量が爆音なのは確かだったので丁寧に謝ってそっとドアを閉めた。
そこから急に我に帰ったかのように静かになって、私は飲み終えそうな缶の底を覗き込み最後の一滴を飲んだ。
急に空の色を確認したくなって、若干光を差し込んでいるカーテンを開け窓を開けた。
まだ完全にあがりきっていない太陽とニワトリ代わりの渋谷のカラスの声、雑な暮らしが目で見て取れてしもうようなホテルの前のアパートのベランダ、クラブ帰りの若者たち、そしてホテルペリカンの赤くてそれまたレトロな看板が、窓を開けると真横にあった。
私はその空気に飲み込まれていって、まるで山頂から絶景を見るかのような顔をしていたと思う。
彼はベットから私のその姿をハイライトメンソールを吸いながら、彼もまたおんなじような顔で見ていた。
そして、「そんなに窓から身を乗り出すと危ないよ、他の人にも見られちゃうし、こっちにおいで」と優しく私に声を掛け、私は素直にそれに応じるのだった。
急に二人の距離が近い。青色の何柄なのかよく分からないレトロな柔らかい布団をかぶった。
流石に眠くなってしまって、そこからは二人とも、深い眠りに落ちてしまった。
起きると、陽は完全に昇っていた。カーテンを締め直していたので見えてはいないけれど、光の差し込み具合と外から聞こえてくる車の音、人々の感じでそれはもう完全にお昼は過ぎているのだろうと分かった。
横でまだ眠っている彼を見ながら、何も起こらなかったな、いや、そもそも、眠くて寒くてただ寝にきただけなのだから当然だ、なんて心の奥で何かに期待していた自分を押し殺す。
まあ、あれだけお酒を飲んだのだから爆睡してしまうのも無理もないだろう。そんな事を、ただぼーっと思っているとまたも軽い睡魔に誘われて、目を閉じた。
次目を開けた時には、彼は横にいなかった。一瞬、焦る。「ん。」と軽く声を上げると彼が洗面所からひょこっと顔を出して、目を開き始めたばかりの私を見るなり、おはようと言った。安心と不細工な寝顔を見られてしまったのだろうかという困惑を隠して「おはよう、起きているなら起こしてくれれば良いのに!」と言った。
彼はごめんごめんと言って、こっちに来てくれたけれど、自分の寝起きの口内の粘り気を感じ取って彼と入れ替わるかのようにベットを出て洗面所に向かった。歯ブラシの封は一つ、既に開いていた。
私はもう一つの封を開けた。磨き終えるとまた彼のいるベットへ戻った。
目を瞑っているだけなのか、また眠りについたのか分からない具合で優しい顔のままの寝顔を見せた。私はその彼の寝顔のあまりの愛おしさに見惚れ、唇に軽くキスをした。
彼は、まるでそれが獲物を捉える時の動物や魚の罠だったかのように、軽いキスをした私を捕まえて重くて深い、記憶にねじ込むようなキスで返してきた。
そして、そのままキスは続いた。
昼過ぎの部屋にキスの鈍い音が響く。
彼のキスは、脳が溶けるような感覚だった。
彼は「いいの?」と聞いてきた。
いつも明確な形になっていないとそういう行為を取りたがらない私の体は、今日はやけに正直でもうなんでもいいから彼と一緒になりたいという思いばかり募っていった。私はその彼の問いにしばらくしてから、「逆に良いの」と言った。そのやりとりは、あまりに無責任だと思ったが、私達はもう誰にも何にも止められなかった。
彼と繋がった。平日の真っ昼間に。パズルのピースかのようなお互いの身体の相性の良さに咽び泣いた昼だった。
全身が痺れて、私の本能を燻る。愛で満ち溢れていく心の中と、若干強く掴まれて赤くなった首に執着心が植え付けられていく。
初めてだった。初めて行為後に罪悪感を覚えなかった。平日の真っ昼間で、明確な形な関係でもなんでもなかったのにどうしてだろう。自分が大人になったという事なのか、それとも彼とのこの行為があまりに最高すぎたのだろうか。一言で言うと「こんなの初めて」な感覚だった。
ずっと探していたパズルのピースがようやく見つかったような、そんな感覚を覚えさせられた。
果てた直後の彼も私と全く同じような事を言ってきたので安心した。
誰にでも言うようなお世辞混じりな感じではなく、つい心から漏れてしまったような感じだった。
同じ空間で、同じ行為で、同じ気持ちになれるというのはこんなにも心が満ちるものなのか。
彼も彼で、なんでか私の事を絶賛してくれたので、上手いか上手くないかは別として、ここまで熱血指導をしてくれた過去の元彼たちに直接お礼を言いたいぐらいものだった。
何もかもが完璧。と思うことにはいつだって裏があって、彼は本当に完璧だなと、思ってしまう事実が怖かった。
そして、やっぱりその後、”完璧”なんてものは存在しないのだと思い知らされる事になる。