3 永遠に二人で・グラン視点
「――ごめんね、アリアさん。一度元の姿に戻ってくれないかな」
アリアは素直に従ってくれた。彼女が目を閉じた瞬間、竜の身体の輪郭が歪み、その姿が変化していく。そしてそこには先程までの人間の姿が現れた。
「やっぱり……」
実際に姿が変わる瞬間を目にしたことで、改めて実感した。竜人は本当に実在して、今、目の前にいるのだと。
「どうかしましたか? グランさん」
きょとんとした表情を浮かべる彼女を見て、先程までとは違う感情が湧いてきた。この美しく健気な生き物を手に入れたい、と。この手に入れて、思う存分愛し愛されたい、と。この竜人は自分のものになるべきなのだ、という強い思いが芽生えたのだ。
「あの……大丈夫ですか? グランさん」
黙り込んだグランを心配そうに見つめるアリア。その姿を見ても、もう人間に対するような冷ややかな感情を抱くことはない。むしろ、その同情するような視線さえも心地よく感じられた。
「僕の体調が少し悪いみたいだ。魔法が上手く使えなくて、もしかしたら失敗してしまうかもしれない。申し訳ないけど、今日はもう家で休ませて貰っていいかな?」
「分かりました。では体調が良くなったら、よろしくお願いしますね!」
「うん。急にごめんね。お詫びといってはなんだけど、それまで僕の家にいていいよ」
グランの言葉を聞いた途端、アリアは安堵したような表情を浮かべた。
「ありがとうございます。実は野宿しなきゃいけないかもって覚悟してたので」
アリアの返答を聞きながら、グランは彼女に気付かれない程度にほっとため息をついた。このままなし崩し的に同居まで持っていきたいところだ。だが焦ってはいけない。時間をかけてゆっくりと、少しずつ距離を縮めていこう。
グランの家に戻った二人は早速中に入った。グランの家は一人暮らし用なので、そこまで広くはない。玄関から上がり込むと、リビングにある椅子を指し示した。
「適当に座ってて」
「はい。失礼しまーす」
アリアが遠慮がちに椅子に腰掛ける様子を見て、台所に向かう。グランはこの森に来てから初めて誰かのためにお茶を入れた。アリアの方を見ると、彼女は何やらもじもじしていた。どうにも落ち着かない様子だ。恐らく見知らぬ場所で不安を感じているのだろう。
グランはアリアの隣に座り、安心させるように笑いかけた。
「はい。アリアさんの分。温かい紅茶にしたから」
カップを目の前に差し出すと、アリアはおずおずとそれを手に取った。そのまま一口飲み、ふぅっと吐息を漏らしている。そして美味しい、と言った後で、グランの顔をちらりと窺った。
「あ、えと……グランさんは飲まないんですか?」
「僕は後で飲むよ。まずはアリアさんに飲んで欲しくて」
「でもそれじゃ悪いです。助けてもらった上にこんなに良くしてもらって……。そのせいで迷惑かけてばっかりだし……」
そう言うと、俯いて小さく縮こまってしまった。
「そんなこと気にしなくていいよ。僕が好きでやってることだから」
そう言って笑ってみせたものの、グランの気持ちとは裏腹にアリアは落ち込んだままだった。
「このまま帰れなかったら、フレイに心配かけちゃう。どうしよう」
ぽつりと呟かれた言葉を聞いて、グランの中で嫉妬の炎が巻き上がった。
「ねぇ、フレイって君の恋人なの? 教えてくれる?」
自分でも驚くほど低い声が出たことに驚きつつ、努めて平静を装いながら訊ねた。彼女を奪いたいという衝動が湧いてくるが、まだ早い。彼女の心を手折るには早すぎる。グランはその思いを押し込めた。
「恋人というか……夫なんです」
「へぇ……そうなんだ」
予想通りとはいえ、やはり面白くない話だった。思わず不機嫌になりそうになるのを抑え込み、にっこり微笑んでみせる。
「僕、体調悪いしもう寝るね。君は好きにしてていいよ。ただし、外は危険だから勝手に出ないようにね」
そう言い残して寝室へ向かう。後ろからアリアの声が聞こえたが、無視した。ベッドの上に仰向けになって天井を見上げる。先程のアリアの言葉が頭から離れない。
『夫なんです』
グランは舌打ちをした。きっとフレイとかいう男がアリアの番なのだろう。つまり正攻法で迫っても、彼女が自分になびく可能性は皆無に等しい。当たり前だ、竜人なのだから。寧ろそこが素晴らしいと思っていたのに、今は煩わしくもある。
ふと、記憶消去の魔法があることを思い出した。これを使えばアリアの記憶を奪うことができるかもしれない。しかしすぐに思い直した。それは最終手段だ。他にもっといい方法があるはずだ。そう考えながら、いつの間にか眠りについていた。
***
ガタゴトと音がして目が覚めた。何の音だろうと耳を澄ますが、音の正体が分からない。少し考えたあと、ハッと気付いて慌ててベッドから起き上がった。
「アリア!?」
玄関まで急いで向かうと、そこには鍵を開けようと奮闘するアリアの姿があった。
「あ、おはようございます! ごめんなさい起こしちゃいましたよね」
「……どうしてここにいるの?」
グランが呆然としながら問いかけると、アリアは申し訳なさそうに目を伏せた。
「あの……私、やっぱり家に帰ろうと思って」
「駄目だ!」
反射的に大きな声で叫んでしまったが、すぐに気付いた。怯えさせてしまっただろうかと恐る恐る見つめるが、彼女は意外にも落ち着いた様子でこちらを見ていた。
「僕言ったよね。この森はとても危険な場所なんだって。魔物だってたくさん出るんだよ。だから、君を一人で帰すわけにはいかない」
「でも、いつまでもお世話になるわけにもいきませんし……」
「いいんだ。気にしないで。それに、僕は君のことが心配だからこう言ってるんだよ」
これは本心だ。彼女をここで放り出したらどうなるのか。考えるだけで恐ろしい。
「でも……その、心が痛むんです」
返ってきたのは、不思議な返事だった。もしかしたら、彼女は心臓の病気でも持っているのだろうか。
「どういうこと?」
「フレイに、何日か会えないことは今までもありました。けど、いつ会えるのか分からないなんて初めてで、もう私どうすればいいのか……」
アリアは目に涙を浮かべている。その涙を自分で拭いながら、ぽつりと言った。
「寂しいんです、すごく」
その言葉を彼女の口から聞いて、自分の中で何かが切れた気がした。
「寂しいなら、ここにいなよ。そうしたら僕がずっと一緒にいてあげる」
グランはうわごとのように呟いた。小さい声でも、竜人の耳にはよく聞こえる。アリアは戸惑いながらも、冗談めかして笑って言った。
「それはちょっと無理かなって思います」
グランの胸がチクリと傷んだ。そうだ、こんなことを言うはずではなかったのだ。本当はもっとスマートなやり方を考えていたはずだった。それなのに、何故自分は今、こんなことをしている? 彼女の前では上手く振る舞えていない。まるで自分が自分でなくなってしまったようだ。そんなグランの心の中を知ってか知らずか、アリアは言葉を続けた。
「私が帰れないと、グランさんに迷惑かけちゃいますし」
「別に迷惑じゃない」
グランは食い気味に答えた。
「そんなことより僕は君にいて欲しい。迷惑なんかじゃないよ」
そう言うと、アリアは少し困ったように笑みを漏らした。
「――私が迷惑なんです」
「……え?」
「いくら私でもグランさんが理由をつけて、引き留めようとしていることくらい分かります」
「……はは、参ったなぁ」
グランは降参するように両手を上げた。
「じゃあ、はっきり言おう。君を離したくないんだ。そのためなら僕は何だってするよ」
「……何でもですか?」
グランは静かにアリアの目を見据えて答える。
「うん。例えば――君の記憶を消したりとか」
一瞬の沈黙のあと、アリアの顔色がサッと青ざめた。
「……っ!」
「大丈夫だよ。何も怖くないから」
言いながら、グランは指先に小さな光を集めた。それを見たアリアは、鍵のかけられた扉をガチャガチャと必死に開けようとしている。さっき自力で開けられなかったことをもう忘れてしまったのだろうか。
「ひっ……やめて!」
「やめない」
そう言って、光の玉をアリアの頭に近づけた。
「ごめんね」
グランがそう言った直後、光が弾けてアリアの頭の中に吸い込まれていった。