2 人嫌いの魔法使い・グラン視点
人々から恐れられる暗い森には、人嫌いの魔法使いが住んでいた。名前はグランといい、彼は毎日のように森の奥に建てた一軒家で魔法の研究をしていた。
その日は、研究に使う素材を収集するために森の中を歩いて回っていた。彼は弟子を取っていないので、こういった雑用のようなことも自分でやらなければならない。
「……もう、こんな時間か」
気が付けば、陽が傾き始めていた。今日はここまでにして、そろそろ帰ろうかと考えていた時、ふと視界の端に何かが映った。
「……? なにかな」
そちらの方向をよく見ると、木の下に誰かが倒れているのが見える。近づいてみると、そこにいたのは気を失っている見知らぬ女だった。この国のものではない服を身につけているため、おそらく旅人だろう。
「ねぇ、大丈夫?」
声をかけてみたが、返事はない。脈を測り、呼吸をしているかどうか確認したが、どちらも正常だった。ただ気を失っているだけで死んではいない。となると、彼女をどうするのか考えなくてはいけなかった。既に死んでいたならば、このまま放置して動物の餌にすればいい。けれど、まだ息のある人間をこんな森の奥に放置しておくほど、グランは人でなしではなかった。
「とりあえず、家に連れて帰ろう」
そう決めると、グランはその女を背負って帰路についた。
***
家に入ると、グランはまず魔法で家にある清潔な布を集めてこんもりと山を作った。そしてその上に、ここまで運んできた女をドサリと置く。彼に自分のベッドを貸すという発想はなかった。
「う……」
布の山に置かれたときの衝撃が伝わったのか、女の意識が少し戻る。彼女はぼんやりとした表情のまま、ゆっくりと目を開けた。
「ここは……」
「目が覚めたようだね」
「! きゃあっ!」
突然聞こえた声に驚いたその女は、反射的に起き上がって距離を取る。警戒しているような視線に気づいたグランが言った。
「別に危害を加えるつもりはないよ。落ち着いて」
しかし、それでも彼女の緊張は解けないようだった。女は無言でその場にじっとうずくまるようにしゃがんだままだった。そんな様子を見ても気にすることなく、グランは一方的に語りかける。
「まずは自己紹介からしようか。僕は魔法使いのグラン。君の名前は?」
「あ、アリアです……」
「ではアリアさん、君の家まで送ってあげよう。目立った傷もないし、もう意識もはっきりしているだろう」
「えっ、いいんですか……!」
グランは暗に「早く出て行け」と告げた。人当たりよく伝えているが、余程の馬鹿でもない限り察するだろう。だが彼女は、それすら気づいていない様子だった。すっかりグランを良い人認定したようで、先程までの拒絶するような態度は鳴りを潜めている。
「ありがとうございます」
その一言と共に深々と頭を下げた。それから、グランの顔を窺うように見上げる。
「あの、本当に家まで送って頂けるんですか?」
「ええ」
「じゃあ、お言葉に甘えて……。でもすみません、実はここがどこか分からないから、帰り道が分からないんです」
アリアの言葉にグランが思わず眉間にシワを寄せた。
「……どういうことだい?」
「えっと、ですね。私、人間の国を見てみたくなって、こっそり人間の国に向かったんです。でも途中で雷雨に遭ってしまって、気がついたらここにいました。だからここがどこか分からないことには……」
彼女の言葉を聞いて、グランはどこか違和感を覚えた。なぜ特定の国名ではなく、人間の国という広義での表現をしているのだろうか。まるで自分が人間の国ではない所にいたような言い草だ。
「人間の国と言うとだいぶ幅広いけど、君は一体どこから来たの?」
「えっ? どこと言われましても……私の住んでいた国は竜人の国ですけど」
「……え?」
予想外の答えにグランは一瞬固まってしまった。そしてすぐに、彼女が何者なのか推測を立てる。この女はもしかすると――。
「竜人の国から来たということは、つまり君は竜人ってこと?」
「はい」
「なかなか信じがたい話だけれど、間違いないかい?」
「は、はいっ!」
「……」
グランは、アリアの発言が本当かどうか疑っていた。というかほとんど嘘だと思っていた。しかし、ここで下手に追及して機嫌を損ねるのは得策でないと考え、とりあえず表面上は信じている風にした。とにかく彼女を穏便に帰す必要があるのだ。
「いいよね、竜人って。確か決められた結婚相手がいるんだろう? うらやましいよ」
そう適当に竜人について知っている情報を話す。とはいっても、精々昔のおとぎ話レベルの情報源だ。真偽のほどは定かではない。しかし彼女は嬉しそうに笑って言った。
「そうなんです! 私にも番がいて。フレイって言うんですけど、すごくかっこよくて……」
「ふぅん。それはいいね」
グランは適当に相槌を打ちながら思った。この手の女は面倒くさい。フレイとかいう男が実在するのかは別にして、随分と相手に入れ上げるタイプのようだ。しかも、その相手が唯一の伴侶であるかのようにように話すあたりタチが悪い。グランは早々にこの話を切り上げた。
「ところで僕の魔法なら君の帰る方角を突き止められると思うよ」
「本当ですか!?」
そう告げると、アリアの顔が一気に明るくなった。それを見ながら、さっさと魔法を使って早めに家まで送り届けようと準備を始める。魔法で家の周辺を探り、彼女の通ってきたであろう道を辿れば帰れるはずだ。
「分かった。こっちだよ」
「わぁ! ありがとうございます!」
家を出て鍵をかける。とりあえず送り届けるのは森の外までだ。そこから先は自力でなんとか出来るだろう。
家の扉に魔法で複雑な施錠を施していく。森を抜けるだけでもだいぶ時間がかかる。しっかり鍵が掛けられているか何度か確認していると、背後で何かの気配が勢いよく膨れ上がるのを感じた。振り返ってみると、そこにいたのは人間の女ではなく、巨大な竜だった。
「……な」
グランは思わず目を奪われてその場に立ち尽くしていた。その竜の姿はあまりにも美しかった。透き通った青白い鱗に覆われた身体は、日の光を浴びてきらきら輝いている。翼を広げた姿は荘厳ですらあった。その竜はグランの方を向いてじっと見つめてきた。
「まさか……アリアさん、かい?」
恐る恐る尋ねると、喉から小さく音が鳴った。そして肯定するようにゆっくりと首が縦に振られる。グランは驚愕した。竜人は本当に今も実在していたのか、と。竜人についての伝説は古いおとぎ話で、もうとっくに滅んでしまったものだとばかり思っていた。
「すごい……本当に竜人なんだ」
グランの呟きを聞いた竜は、不思議そうに首を傾げた。そしてそのままグランの顔を覗き込むように顔を寄せてくる。グランは思わず後ずさりしたが、竜は特に気にしていないようだった。興味深げにグランの瞳を見つめている。
グランは密かに竜人に対しての憧れを持っていた。竜人というよりも、竜人の生き方に対する憧れだ。二人で一組の番が互いに尽くして、本当の意味での永遠を誓い合う。それはグランが一生得ることのできないものだった。
グランがまだ街で家族と共に暮らしていた頃、大好きだった童話があった。竜人の少女が人間の番と出会い、幸せに暮らす話だ。幼い頃は純粋にその物語を楽しんでいたけれど、大きくなって学校に通うようになると、歴史の授業でその話の本当の結末を知ることになった。
モデルとなった人間の王子には既に婚約者がいた。そして結婚の間近になって、竜人の少女が目の前に現れたのだ。自分の番はこの国の王子だ、と訴える少女を王子は愛妾として受け入れた。だが、晩年に見つかった王子の日記から、王子がその少女のことを愛していなかったことが判明した。それどころか、得体の知れない化け物だと蔑んでいたことが分かった。愛妾として受け入れたというのは建前で、彼女の竜人としての力を利用して、都合の良い護衛兼身代わりとして扱っていただけだったのだ。結局、竜人の少女は愛する人と心から結ばれることなく、王子を刺客から庇ったことによって死んでいった。
その話を聞いた時、当時のグランは衝撃を受けた。同時に同族である人間から、ひどく裏切られたような気持ちになった。どうして竜人がそんな目に遭わなければならないのだろうか。確かに人間とは異なる部分を持っているけれど、それでも人間と同じように生きているのに。自分がその王子だったなら、そんな酷いことはしない。真綿に包むように大事に大事に扱ってみせる。そうひっそりと考えるようになったのだ。
目の前の竜の姿に目を奪われたまま、ある考えがグランの頭をよぎった。彼女が本当に、本物の竜人ならば――。