第13話:ヴルタヴァ
「おい! 早く答えろ!」
「こいつ……武器を構えようとしているぞ!」
アイレが取れる選択肢は三つ。
戦うか、逃亡するか、大人しく捕まるか。もちろんゆっくりと考える時間はない。
もし、戦うを選択した場合、ヴルダヴァに入ることはできない。他国でそのことが広まれば今後の旅も絶望的なことになる。となると、逃亡も変わらない。
しかし、写真は譲ることのできない大切な宝物だ。返してくれといっても、絶対に話は聞いてくれないだろう。
それならいっそ、全員殺せば――
「なんだぁー? がやがやうるせーな」
アイレの後ろから、女性の声が聞こえた。驚いて後ろを振り向くと、長身の女性が、髪をかき上げながら睨みを利かしている。綺麗な蒼い目に見惚れるような細い脚と輝くブロンドヘアー。
「……フェローだ」
「な、なんでここに!?」
「こいつの……仲間……様……?」
武器を構えていた門兵たちが明らかに動揺しはじめた。いや、どちらかとうと恐怖で顔が歪んでいるようにも見える。
フェローと呼ばれた女性は、それに意を介さずアイレをのほうに顔を向けて、
「おい、ガキ。道中にあった魔物の死体はお前の仕業か?」
美人な顔立ちとは裏腹に、男勝りの口調でアイレをガキと呼んだ。
「……そうだ。けど、俺だけでやったんじゃない」
フェローは表情をピクリとも変えず、
「おい……フェロー! 仲間じゃないなら邪魔をするな!」
「こいつは変な物を持ってる!」
恐れながら叫んでいる門兵を睨みつけた。
「うるせえ。キャンキャン吠えんな」
ぶっきらぼうにそう言うと、門兵に近寄って写真を奪い取った。
「――これはどこで手に入れた?」
「……大切な人からもらったんだ。俺の……宝物だ」
嘘はつかずに、本当のことを伝えた。この人には何もかも見透かされるような、そんな感じがした。
するとフェローは、突然もの凄い殺気を放った。アイレは身体が反応してしまい、短剣を取り出すと、戦闘態勢を取って魔力を漲らせてしまった。
――しまった。
「落ち着け」
しかし、フェローは一喝してから、そっぽ向いた。それから、門兵に対して、このガキを通せ、と頼みはじめた。そんなことは出来ないと、門兵は断ったが、上に言ってもいいんだぞ と脅し文句を言うと、しぶしぶアイレを通すことになった。
はじめての街のは散々なものだったが、無事に入国を済ませると、
「大切なら奪われないようにしろ」
そう言うと、フェローは写真をアイレに返した。それから、だりーなーと呟き、どこかに消えていった。何がなんだかわからなかったが、とにかく無事に入国が出来たことに感謝して、写真は大事に懐にしまった。
「次は鞄の奥に上手いこと隠すか……」
ヴルダヴァとよばれるこの街は、海沿いにある場所に位置している。くわえて、農業も盛んに行われており、水陸交通も設備が整っていた。天候も比較的穏やかで過ごしやすいとされていて、名物である魚料理を食べに観光客が来ることも珍しくない。
街の真ん中には、ヴルダヴァ大聖堂と呼ばれる建物がそびえており、それがこの街のシンボルとなっている。 ここに明確な宗教はなく、それぞれが信仰する神を崇めに来る自由な聖堂である。
ちなみにアイレは、国や街どころか、外の世界を見るのもこれがほとんど初めて。
そのため、街を歩いているだけでも楽しかった。
未知の食べ物の屋台、怪しい商品を売っている商人の姿は、心を躍らせた。これが転生前に、夢にまで見た景色――
「あの大魔法使いレムリ様が大絶賛した店はここだよ~!」
そのとき、道で呼び込みをしていた女性の声が耳に届いた。恰幅がよく、どこか給仕をしてくれた宿の女性の姿に似ていて、ほっとする。
「プロスィームおすすめだよ~!」
プロスィームという食べ物はわからなかったが、レムリ大絶賛という言葉がアイレの足を止めた。
お腹が空いているのも事実、しかし、
今お金をいくらもっているか自分でもわからなかったため、布鞄をごそごそと探ったが……インザームの家から借りた《パクった》12000コルネ。
足りるのかどうかすらわからないが、とにかく聞いてみようと女性に近づいて声をかけた。
すると、その料理は1400コルナということで、それならばと食堂に入った。
生まれてはじめての『外食』に心を躍らせながら、初日だし豪華にいこうと決めた。
店内はお世辞にも綺麗とはいいがたいが、内装が主に木で作られていることが巨樹を思い出して安心した。そして、大勢の人が賑わっており、皆同じ料理を食べている。
もしかしてあれが――
「はい、おまちどうさん!」
椅子に座ってすぐに頼んだ、プロスィームと呼ばれたこの街の名物料理が運ばれてきた。実際にここにいる店のほとんどがこれを食べている。
「おいしそうだ……」
そして丁寧に、女性は料理を机に置くと、料理の説明をした。
プロスィームとは、このあたりで取れる魚の名前で、まずバターを溶かしながらじっくと焼く。それから特製の白いクリームソースを垂らし、近辺で取れる野菜と一緒に炒めたのがこの料理。
クリームソースが特に絶品で、何度食べて見ても病みつきになると評判でもある。備え付けの丸いパンは、真ん中がぽっかりと穴が空いている。
その中にはクリームソースをアレンジしたスープが閉じ込められており、そのままかぶりつくとじゅわっと甘味が口の中で広がるようになっている。
ゴブリンと戦い、巨樹《巨樹》から落ちて、アズライトとルチルに殺されかけて……。
今までのことを考えると、まるで現実とは思えなかった。
少し罪悪感にさいなまれながらも――
「時間制限はないからゆっくり楽しんでね!」
明るい給仕の声がアイレの気持ちを落ち着かせた。
「では、いただきますっ!」
アイレはゴブリンを倒したときと同じ、いやそれ以上の速度で手を動かすと、フォークを構えた。そしてすぐに、ガツガツとプロスィームを食べはじめる。
思わず笑みが零れるほどおいしくてたまらない。このクリームソースは確かにレムリが好きそうだなとも思った。パンスープも味わったことがないほどクリームの甘味が感じられて、なんともいえない満足感がある。ものの数分ですべてを平らげてしまった。
すると、給仕の女性がアイレの横を通り、
「あらあら、もう食べたのかい!? プロスィームはおいしかったかい?」
「最高だった……今まで食べた中で間違いなく一番だ」
満面の笑顔で声をかけた。
「あら、嬉しいこといってくれるねぇ、大魔法使いレムリ様はこれを5皿も平らげたんだってさ!」
「五皿……食べすぎだな……レムリ……」
「ん? なんかいったかい?」
「いや、何もない! なぁ、この街で、その大魔法使いレムリについて何か詳しくわかるような場所ってあるか?」
唐突な質問に、給仕の女性はそうね~と上を見上げてから、
「それなら冒険者ギルドに行けば何かあるかもしれないね、レムリ様もヴェルネル様もギルドに所属していたはずだから」
快く答えた。
「冒険者ギルドか……」
冒険者については、アイレもアニメで知っている。だが、自分が見ていた異世界では違う呼び名だった。この世界と自分が知っている単語に少し誤差があるようだった。
「今日はもう遅いし、明日行ってみなよ! まいどあり~!」
アイレは1400コルネを支払い、満足気に見せを後にした。
プロスィーム代金 -1400コルネ アイレの所持金の残りは10600コルネとなった。
空はもう暗くなっていて、眠気を感じたと同時に肝心なことを忘れていたことに気づいた。
「ああああああああああああ、宿!!!!!!!」
のんびりと街を観光したあとで、美味しい食事を堪能していたことに少しだけ後悔して、宿を探しはじめた。といっても、今までそんな経験もない。
どうしたらいいかと右往左往しているときに、道端でバッタリとシェルとアクアと出会った。
「シェル! アクア! 宿を探してるんだけど知らないか!?」
勢いよく、それでいて切実に必死に質問した。二人はびっくりして少し後ずさりしながらも、シェルが、
「それなら俺たちと同じ宿は? 朝ご飯もついてて安いと思うよ」
「そうだね、綺麗とは言い難いけど……宿の人も明るいし」
アクアも続いて答える。それからアイレはハッとした表情をして、節約もしないといけないと気付いた。今までお金のことなんて考えたこともない。
これからどのくらいの長旅になるかもわからないが、それが10600コルネで足りないとはさすがにわかる。直後、プロスィームを食べた自分に後悔が、数秒後もう一度食べたいなと味を思い返した。そんなことをぶつぶつと交互に自問自答しながら、シェルとアクアに不審な目で見られつつ宿に到着した。
「ここだよ」
「階段があるから気を付けてね」
二人はアイレを宿に連れて行った後、自分たちの部屋に戻って行った。
アイレはまだプロスィームがもう一度食べたいと考えていて――
「ねぇ、聞いてる? 聞こえてる?」
放心状態になっていた入れに、受付の女性が何度も声をかけてくれていた。風貌は給仕の女性と同じく恰幅で、気さくそうにも見える。
アイレはごめん気づかなかったと謝ってから、
「ここの宿の値段って、一泊いくらなんだ?」
「あんた、大丈夫かい? 一番安い部屋は一泊3000コルネ 個室なら6000コルネでだけど、どちらも朝食付きだよ」
「3000コルネでお願いします!!」
問答無用で即答した。
宿代金は一日ごとに払うか、あらかじめ宿泊する日数が決まっているならまとめて払うかの選択制だったが、この街でお金を稼ぐ手段を見つけないといつまで滞在できるかわからないため、アイレは三日分だけの宿泊代金を支払った。
宿泊代-9000コルネ、残り所持金 1600コルネ……。
「プロスィームあと一食分あるか……」
なけなしのお金を見つめながら、まったくまたもや同じことを繰り返した。
それから受付の女性が寝床を案内してくれた。二階にあがって、扉を開くと、木製の二段ベットがいつつほど等間隔に並べてある。そのうちの空いてるベットを好きに使っていいとのことだった。
そこで寝泊りしている人たちは実に様々で、白髪の老人、恰幅の良い男性、瘦せ型の女性、明らかに体つきが尋常ではない男性三人組が会話をしたり、眠っていたりした。
こういった場所で寝るのはもちろん初見だったので、少しドキドキしたが、不安以上に楽しみが勝っていた。
「えーと、空いているベットは……」
いくつかあるベットで空きがあるのは、二段ベットの下。恰幅の良い男が上で鼾をかいて寝ている。
さすがの長旅で体力の限界を迎え、疲れがドッと溢れてきたのですぐに横になった。夜遅いためか、灯りもほとんどなく、すぐに皆静かに横になっていった。
すると先ほど上で寝ている男性が、さらに鼾の音量をあげはじめた。さらには寝返りを打つたびに、下で横になっているアイレのベットも大きく揺れ動く。
「……」
まるで細やかな地震を常に味わっているかのように揺らされながら、絶対にいつか個室で寝てやるからなと、天井を見つめながら誓った。そして、
「ヴェルネルとレムリもこんな所で寝たりしたのかな」と思いをはせた。
それからとても深いとは言えないが、すぐに眠りにつくことが出来た。
深夜遅くまで、いや、朝方まで、アイレのベットはゆさゆさと何度も揺れて、そのたびに目が覚めた。
 




