迷宮(はこ)入り少女は好奇心に勝てない
「殺される…って」
何の事だと言いかけてリドルはハッとした
メイズメイカーは類稀なる能力が故に凄惨な歴史を辿っていた。迷宮は人を迷わせるということで他国から攻められづらい城造りに利用するために権力者達は多くのメイズメイカーを囲い、挙って難攻不落の居城を作らせた
しかし城が出来上がってしまうと今度はどんな迷宮でも我が家の如く開いてしまうメイズメイカー達が目の敵にされ、口封じも兼ねて彼等は秘密裏に殺されていったのだ
「父さんも母さんも帰ってこない。…きっと仕事を終えたと同時に殺されたんだと思う…」
「殺されるとわかっていてどうして仕事を受けたりなんて…」
「メイズメイカーは好奇心旺盛なの。見たことのない素材、作ったことのない迷宮、そういったものをチラつかせられると抗えない…それに手を伸ばすことを諦める位なら、死んだ方がマシだというほどに」
メイズメイカー達も殺されまいと身を隠したり、身分を偽ったりと数々の手段を講じてはいた。が、彼等には種族故の厄介な宿命があった
それは異常ともいえる程の好奇心だった。殊、未知のものに関して彼らは殺される運命も忘れてその手を伸ばしてしまうのだ
「私にもその血が流れる以上、きっと好奇心のままに死の運命に手を伸ばしてしまう。だからこうして極力外に出ないで引き篭っていたのに…!」
だのに今リドルにメイズメイカーであることが知られてしまった
この世界にあとどれ程のメイズメイカーが生き残っているのかルーチェにはわからない。だが希少性の高さをウリにすればそこそこの値がつくのかもしれない…これから訪れるかもしれない終わりにルーチェは身を強ばらせた
「とりあえず君がメイズメイカーだというのは確かなのかな」
「迷宮を作ったことはないです…けど」
「成程。まだ半人前、と」
「うぐっ…」
どうしてこうもこの男はルーチェに刺さる言葉を的確に繰り出してくるのか。食い意地も貧乏も半人前も本当のことではあるが何も口に出していうことはないだろうにと内心で少々憤慨しながらも黙って彼の出方を待つより他になかった
「わ、私を売るんです…か」
「え?嫌だよ勿体ない」
「へぁ?」
「この世にもう一人しかいないかもしれない貴重なメイズメイカーを、金ごときと引き換えになんてするわけないのに」
「えぇぇ…」
命拾いをしたにしてはあまりに腑に落ちず、ルーチェはまじまじとリドルを見つめる
騙しているようには見えない、気がする。が、そんな理由で見逃されていいものなのかと疑問にもなってしまう
「だってお金、欲しくないんですか?」
「まぁお金は生きてく上で必要さ。だが唯一無二ではない」
「さ、三食豪華におなかいっぱいになりますよ?」
「それは君の願望では?」
「御尤もです…」
先程まで死の心配をしていたはずなのに、いざあっさりとそれを否定されるのも収まりがつかず、変な方向へと食い下がるルーチェにリドルはただただ不思議そうに首を傾げるばかりだった
「それよりお金云々より気になることがあるんだよね」
「ぃっ?!」
「どうしたら君が早く一人前になるのか」
期待の篭った眼差しと共にぐぐいっと距離を詰められ、思わず喉奥で引き攣った悲鳴が上がる
先程からリドルの行動が読めない、すぐ様売り飛ばされる危険は薄れたものの未だに安全が保証された気にならないのは何故か
「ななななんで一人前に…」
「そりゃあ見たいからに決まってるさ。君がこれから作り出すであろう迷宮を」
「そ、それだけ…ですか?」
それだけの為に自分を生かすメリットがあるのか?そんなルーチェの疑問に困ったような笑みを浮かべながらリドルは返した
「君は、この世界のどれだけの人間が君と同じことが出来ると思っているんだい?」
「え?」
「少なくとも、俺が望むことは君にしか出来ないことだ。それが俺が君を売らない最大の理由」
(そっか…私には価値があったのか)
誰にもそうと言われなかったからルーチェにはイマイチぴんとこなかったが、リドルにそう言われると何となくだがすとんと納得出来たような気がした
こんな会ったばかりの、お世辞にも人当たりのよい人間の言うことを鵜呑みにしてもいいものかと思わなくもないが、尤もらしい理由があった方がまだ納得出来そうだと考えることにした
「ともあれ今日はもう遅い。夕食もまだだろうし俺はこれで失礼…」
帰る気になったのか言いかけたリドルがふと、ルーチェの手元に視線を注ぐ
その手には未だ食べかけのリンゴがしっかりと握られていた
「…おやつにしては随分遅い気が」
「夕食…ですが」
「…」
「…」
呆れたようなリドルの眼差しからこそりこそりと目線を外しながらルーチェはおずおずと答えた
あっ、なんか怒られる。そんな予感だけはひしひしと感じていた
「…ちょっとそこ座ろうか」
よくいえばならばたべっぷりがいい、とでも表するべきか
「…」
カツカツ、はぐはぐ、もぎゅもぎゅとものすごい勢いでかっこまれていく料理を目の当たりにしながら、リドルは美味しい?などと今更な問いをかけることも出来ずにいた
肉の最後の一切れを大事そうに噛み締めながら、傍らに用意した果実水を掴み仕上げとばかりにぐーっと一気に飲み干してからようやくまともな呼吸をし始める
「お、おいっしいぃぃ…」
「それはどうも」
リドルが即席で作った薄く切った塩漬け肉とチーズをサンドしたものにじゃがいもポタージュと葉野菜のコールスローをあっという間に平らげ、ぐでんと椅子にもたれ掛かってうとうとし始めるルーチェに食器を片しながらリドルは問うた
「大体予想はつくけど…普段一体何食べて生きてるんだい」
「えぇと、昨日は焼いた芋と塩漬けキャベツでその前は蒸し焼きにした芋と塩漬け肉の切れ端と…「わかった、もういい」
かりかりに痩せた手足も納得なそれに頭を抱えながら、リドルは手際良く後片付けをこなしていく
「健康面で死ぬ方が早そうだ…」
「えっ?」
「君はもう少し自分の健康に気を遣った方がいい。俺だっていつまでもここにいるわけじゃないんだぜ?」
「そんな…」
満足げに膨れたお腹とリドルとを見比べてしゅんとするルーチェに、デザートのリンゴを剥いてやりながらさも当然とばかりにリドルは返した
「この近くにある迷宮探索が終われば俺はまた別の場所に行くから、それまでに食生活位はなんとかして欲しいものだけど」
「迷宮?!ここ以外の迷宮?!ある…モガッ?!」
「あぁ」
思わず身を乗り出したルーチェの口にウサギ型に切ったリンゴを押し込んでから、リドルは腰につけたポーチから一枚の紙を取り出して彼女へと見せた
「通称人喰い迷宮と呼ばれていてね、何人か冒険者を送って誰も帰って来ないってんで俺に御鉢が回ってきたわけだ…」
「…」
「興味あるかい?」
「!…しょんなこほ…ないれふ」
好奇心に輝きかけた瞳をこそりと逸らしてルーチェはバツが悪そうにもごもごと尻すぼみに返した
リドルはふと手元の紙をルーチェの視界の端でさり気なくチラつかせてみる
「ぁ…」
ちらりちらりと伺う視線を感じながら今度はそれを後ろ手に隠してみる
「あぁぁ…」
(わかりやすすぎる)
まるで好奇心を隠せない野生動物と対峙しているかのようだ。ふと浮かんだ彼女が聞いたら怒るだろうそんな考えを喉奥へと引っ込める
「手始めに明日現地に下見に行こうかと思っていてね」
「下見…」
「本格的に潜るには事前準備がいるからね」
リドルがひとつ、またひとつと言葉を紡ぐ度にルーチェがずいずいと身を乗り出してくる
「迷宮…下見…」
うっとりと薄い唇が呟くのを見逃すことなく、最後の一押しとばかりにリドルは囁きかけた
「入りさえしなければ迷宮もちょっかいは出せないだろうし、まぁピクニックの延長のようなものと思って行「行きます!」
落ちた
獲物がまんまと罠に掛かった瞬間は何度体験しても堪らないものだ
どうやらメイズメイカーが好奇心を擽られるものに弱いという触れ込みは本当のようだ
「明日また迎えに来るよ」
こくこくと力一杯頷くルーチェに背を向けてリドルはこっそりと苦笑を洩らした
ピクニックのようなものだからと、いつもより張り切って早く起きたルーチェは鼻歌交じりに台所に立った
折角外で食べるのだからとランチバスケットに食べ物を詰め込み、水筒にとっておきの紅茶を入れるとルーチェは昨日と同じ入口を開けて数時間ぶりの外へと飛び出した
「あっ!」
そこにはいつから待っていたのかリドルが壁にも背を預けて立っていた
「やぁ、早いね」
「リドルさんこそ!」
昨日よりも少し装備が増えている彼の傍に駆け寄ると、向こうもルーチェの出で立ちを確認しているようだった
「それは?」
「お昼ごはん作ってきました!ベーコンポテトサンド!」
「…好きだね、芋」
それ以上何も言わずにリドルは早速とばかりに地図を開く。ルーチェも覗き込ませてもらうとそこにはこの村の周辺らしい地名と雑な走り書きがびっしりと書き込まれていた
「場所は村の北の方から出て一時間位歩いた先だ。昼前には着いておきたいところだね」
「村の外に出るの初めてです」
「危険なものが出るのは軒並み夜中だけど、見慣れないものには不用意に触らないこと」
「はい!」
元気な返事に一抹の不安を覚えながらリドルは地図を手に先行して歩き出す。彼の背を見失わないようにとルーチェも小走りに後を追った
比較的辺りを見回せる平地は隠れるところもなく、明るい時間ともなれば物盗りに会う危険もない
…が
「おぉ…!おぉぉ…!」
あちこちに興味を惹くものがあるのか、そのうち首でももげるんじゃないかというほどに辺りを見回すルーチェの足取りがあまりに進まない為、リドルは彼女の手を引いてやりながら迷宮までの道を急いでいた
(こんなものが珍しいかねぇ…)
リドルにとっては親の顔より見た景色だがルーチェにとってはそうではないらしく、言いつけは守っているものの誕生日におもちゃ屋に連れてこられた子供のようにあちこち目移りしては小さく歓声を上げている
程なくして岩の扉に閉ざされた大きな祠の前へと辿り着き、一先ずは目的達成とばかりにリドルは溜め息を吐いた
「丁度頃合いだし、休憩も兼ねてお昼にしようか」
「ごはん!」
流石に祠の目の前で、というわけにもいかず、少し離れた場所の芝生がふかふかと茂っているところを見つけて敷き物を広げる
めいめい腰を下ろして一息つくとランチボックスを開ける
「見たことない、美味しそう…」
「ひとつどうぞ?」
「では私のもどうぞ」
薄いパンを新鮮な野菜や塩漬け肉に巻いた不思議な食べ物を受け取り勢いよくかぶりつく
内側に塗られていた酸味のあるソースと素材の美味しさに舌づつみを打ちながら、ルーチェは自分の作ったサンドイッチを口にするリドルをちらと窺う
「…思ったより合うな」
ぽつりと零れた好意的な感想にしてやったりと内心でガッツポーズを決めながらルーチェも食事を続けた
いい天気に過ごしやすい気候、ピクニックにはうってつけのそれで迷宮の下見に来たことを思わず忘れそうになる
(他所の迷宮…一体どんなところなんだろう)
何しろ自分の家以外のものを見るのは初めてのことだ。どう違うのか、考えただけでもワクワクが止まらない…
────
「?リドルさん、何か言いましたか?」
「ん?」
ここにはルーチェとリドルしかいない。が、ルーチェは勿論リドルも何の事だと首を傾げている
ならば一体誰の声だ?不思議に思いながらルーチェはそれへと耳を凝らしてみる
────…ぃ
ルーチェのただならぬ様子にリドルも食事の手を止めて辺りを窺う
不意に風が止まり、草のざわめきが消える
─さびしい
「寂しい?って言ってます…」
「おいおい…昼間から幽霊の類いじゃないだろうな」
「あっちから聞こえてきてます」
ルーチェが指さした方向…祠の入り口へと視線を向けてますます嫌そうな顔をしてリドルはサンドイッチの切れ端を呑み込む
「この分じゃ生存者は絶望的だな…」
「でも生きてる人が言ってるのかも」
「もしそうなら普通は助けてとかじゃないか」
「あ、そうか」
こんな昼間でも幽霊が出るものなのかと感心しつつルーチェは祠から視線を注ぎ続ける
その間もさびしい、さびしいと誰かへと乞う声は飽きることなく響き続けていた
しかし
───ねぇ きみ
「へっ?!」
唐突に向けられた問い掛けにルーチェは反射的に応えてからしまったと口を押さえた
(確か幽霊って助けてくれそうな人に着いてくるって本に…あ、わわ…どうしよう…)
なまじ声だけしか聞こえないせいで恐ろしい姿ばかりがルーチェの脳裏を過ぎる
───きみ ぼくのこえが きこえるの?
(聞こえないです聞こえないです!何も聞こえないです!)
呼びかける声に耳を塞いで聞こえないふりをしようとするも、蓋をした掌を難なくすり抜けて声はねぇ、だのあの、だのと執拗に声をかけてくる
「ルーチェ?」
怪訝そうにこちらへと問うてくるリドルに声を出してバレないようにと目配せをするも、リドルには何も聞こえていないのかただただ首を傾げるばかりだった
どうやら誰かの声はルーチェだけにしか聞こえていないらしい。どうしたものかと声をかけあぐねていたその時だった
──ねぇ きみ ぼくのめいきゅうにおいでよ!
「迷宮?!」
「さっきから誰と話してるんだい、君は」
「…大変です、リドルさん。迷宮が喋ってます」
「えっ」
──やっぱりきこえてる!うれしい!ねぇ、おいでよ!
ひそひそとリドルに耳打ちしたことで完全に迷宮にそうと認識されたらしい。声は先ほどよりも明瞭に、そして怒涛の勢いでルーチェへと話しかけ始めた
「メイズメイカーは迷宮と心を通わせると聞いていたが、話すことも出来るんだね…」
「えっ?すみません、迷宮の声がすごくて聞こえないです!」
「迷宮は!何て言ってる?!」
「どこから来たのかとか!何が好きとかですね!」
「ナンパか!!」
リドルには長閑な環境音しか聞こえてはこないがルーチェはそうでもないらしく、先程から戸惑ったりたじろいだりと実に忙しそうだった
事情を知らない人間が見れば完全に奇行に走った人間のそれではあるが、どうやらルーチェは完全に人喰い迷宮にロックオンされてしまったらしい
「リドルさんどうしましょう?!さっきから来い来い言われてるんですけど?!」
「参ったな…今日は下見のつもりで来たからろくな装備ないぞ」
「て、手前で軽くお呼ばれされるとか…?」
「相手は迷宮だぞ…大丈夫なのか?」
よく言えば好機にも見えるこの状況にリドルも流石に考え込む
迷宮が好意的な今ならすんなり攻略させてもらえるかもしれない。だが相手は人ならざる者である。不測の事態は想定しておかねばならない
「うー… ん」
考えに考え、リドルは荷物の中から予備の水筒を出してルーチェへと渡した
「近くに小川があったろ」
「えっ?はい」
「飲み水確保したら出発するぞ」
「!はい!!」