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迷宮(はこ)入り少女は運命(トラブル)に出会う

それは時におもちゃ箱、或いは宝箱、人によってはミミックのようだと評される


迷宮…一度入れば多彩な罠と仕掛け、入り組んだ構造によって人を迷わせる建造物


かつてこの世界には迷宮を創り出し、迷宮を解き明かし、迷宮を掌握することの出来る種族が存在した

その利便性に富んだ技術を持つが故に時の権力者達に重宝され、同時に畏れられた彼等は


メイズメイカーと呼ばれていた───




「あ、ふ…あぁ…」


寝落ちる前にかろうじて引き寄せたブランケットからくすんだ錦糸が顔を出す

髪と同じ色の瞳は未だ夢見心地のまま、大きく開いた口からゆっくりと踏んづけた猫の呻き声のような欠伸を漏らして肉付きの少ない背をぐぅっと伸ばす


「ねむいぃぃ…でも起きなきゃあ…」


周囲に散らばった原稿用紙を手探りで掻き集めてのろのろとまとめると、少女──ルーチェは観念してブランケットから這い出た

欲を言えば睡眠欲の赴くままに二度寝をきめてしまいたい。しかし寝落ち前に書き上げたこれらを期日までに新聞社まで届けなければ、向こう一週間木の根を齧って飢えを凌ぐ羽目になる


両親が仕事の依頼から帰らなくなって半年、ろくに働いたことのない彼女にとって唯一の収入源だ。大切にしなければいけない


「よぉし、久々のシャバと洒落こみますかぁ…」


クローゼットから一張羅のワンピースを引っ張り出して袖を通せば、外への期待と不安で胸の奥がうずうずそわそわし始める

腰にポーチを巻けばいよいよもう外に出ない訳にいかない


何事もなく終わってほしい

でも何か予想だにしないことが起きてほしいとも思ってしまう


相反するそれを胸にきゅっと表情と意識を引き締めると、ルーチェは壁に埋め込んだ仕掛け石に手を触れた


「今日はバザーだから、なるべく人気のない場所へ…っと」




エスト村──王都から遠く離れた場所にありながらも河の近くにある為、物流が盛んで週に一度大規模なバザーが開かれる程のほぼ都市といっても遜色のないその中心部、そこに二階建ての居を構えるクロックワーク新聞社

近隣で起きた事件から始まり、街の外の獣の出現情報に農作物の出来、果てはどこの誰が祝言を挙げたかまで

地域密着型といえば聞こえはいいが所謂ローカルの小さな新聞、そこの隅っこに与えられたパズルコーナーの問題作成がルーチェの仕事である


「こちらいつものブツでございます」


原稿の束をテーブル向こうに足を組んで座る紺色のスーツ姿の女性…この新聞社の編集長のマリーへと手渡すと、薄くルージュを引いた口許が子供のように綻んだ


「待ってたわァ…それじゃあ早速拝見。…うん…うん……あぁ、ここをこういう…成程ねぇ………うん!今回もいい仕事してるわァ、ご苦労さま♡」

「はぁぁ…ありがとうございますぅ」


元々編集長が道楽で載せていた自作のパズルを発行即日に解いたことがきっかけで作る側へとスカウトされ、今は一週間分の問題を納品しては彼女と仲のいい農家から分けてもらえる野菜と少しばかりの銀貨を報酬に貰っている

一週間毎にパズルを制作して届けるだけで新鮮な野菜とお金が貰えるこの仕事、ルーチェにとっては色々な意味で美味しい仕事といえた


「そ、それで今回は…」

「ふふふ、そんなに慌てなさんなってェ。今回は…これよォ」


ぐぐっと身を乗り出すルーチェをどうどうと押し止めて、マリーは夕焼けを思わせる短い赤毛をくしゃりと掻き上げてソファーの傍らに置いた布袋をテーブルの上へと置いた


「い、イモだぁぁ!!」

「昨日収穫した、形が不揃いでちょっと市場に出せないやつだけどどうぞって」

「ありがとうございますぅぅ!!」


ごつごつとしたイモ袋を受け取り、愛しげに頬擦りをするルーチェを苦笑交じりに見つめらながらマリーは少女のくすんだ金髪をぐりぐりと撫でた


「そんなに喜ばれると先方への報告のしがいがあるけどォ…好きねぇイモ」

「そりゃ勿論!焼いてよし!煮てよし!一週間これだけでもいいくらい!」

「ちゃんと肉とか他の野菜も食べなさいよォ?」


放っておいたら本当にそれだけしか食べかねないルーチェを諌めるようにおでこをぴんと弾いてから、マリーは小さくため息をついた


「初めてここに来た時よりは大分肉ついたけど、いくら親御さんが留守だからって食事を疎かにするもんじゃないわァ」

「はは…」



それはルーチェとマリーが初めて出会った日、住処に保存してあった食糧が底を尽き、外に出てきたという少女が新聞片手に新聞社の扉を開けた時、彼女の目に少女は哀れな程に痩せこけた野良犬のように見えた


『あの…このパズル解いたら賞品出るって聞いて…それで…食べ物だったら嬉しいな、って…はは…』


怖ず怖ずと、だが空腹に耐えかね、精一杯の勇気を振り絞って出したらしい言葉にマリーはいてもたってもいられず少女の痩せた身体を引っ掴んで応接間の椅子に座らせ、即席で作ったパン粥を出したのだった

あの時のことは今でも彼女の記憶に鮮明に残っている



「もうね、熱々なのを涙目になりながらがっついてる姿みたら可哀想過ぎて涙が出たわよ私は」

「はは…一週間近く水しか飲んでなくて、面目ないです」

「アンタの親御さん、何の仕事してるか知らないけど!こーんな可愛い娘をほったらかして仕事なんてどうかしてるわよもう!今度帰ってきたら私が叱り飛ばしてあげるわ!」

「…」


マリーの心強い言葉にルーチェはぎゅ…と袋を握り締めた


「ルーチェ?」

「…マリーさんにばっかり頼る訳にはいかないです。なので、父さん達が帰ってきたら私もうんと文句言ってやりますよ!」

「よぉし、その意気だ!そうと決まれば体力つけなきゃね!ランチ行くわよ、付き合いなさい!」

「ご馳走様ですっっ!」



市場近くの定食屋で二人で昼食をとり、これから人に会う約束があるからとマリーと店の前で別れたルーチェは貰ったばかりの銀貨を握りしめ、イモ袋を大切に抱えながら市場を歩いていた


これからまた住処に籠るのである。そこそこ保存のきく食料と…あとほんの少しの甘いものなんかを見繕っておきたい


(たまには果物のひとつでも買っちゃおうかな…)


威勢のいい客引きの声を少しおっかなびっくりで見回しながらルーチェは何を買おうかと思考を巡らせる


(先ずは干し肉に…あと根菜を何種類かと、あっ葉野菜も少しは欲しいな。塩漬けにすれば数日はもつし…それから…)


うんうんと考えながらたまに青果の屋台をちらとチェックしつつ歩いていたルーチェだったが


「ひゃっ?!」


突如、後ろから襲い来る衝撃にまともに反応も出来ずにルーチェは手にしていた袋の中身を思い切りぶちまけてしまう


「あぁぁ私のおイモ…ひょわっ?!」

「うぉあぁぁぁっ?!」

「ってぇぇ?!」


ゴロゴロと辺りに散らばったイモを拾い集めようと手を伸ばした先で今度は慌ただしく駆けてきた男達の集団がイモを踏んづけてドタドタと転び始める


「あわわ…私のイモが…じゃなくて…大丈夫ですかぁぁ…?」

「おうおう嬢ちゃん、痛てぇじゃねぇかあぁん?」

「おかげでほら、ひったくり野郎を見失っちまったじゃねぇかあぁん?」

「えっ?あっ…」


強面の男達に寄って集って凄まれながらルーチェは先程ぶつかってきたものか彼等の追っていたひったくりだということにようやく思い当たる


「ま、待ってください!私だって被害者…」

「こりゃ責任取ってお嬢ちゃんに埋め合わせてもらうしかねぇなぁあぁん?」

「えぇぇぇぇ?!」


ルーチェの訴えはリーダー格そうな男の言いがかりじみた言葉に掻き消され、ただ巻き込まれただけのルーチェがいつの間にか彼等の損害を支払う流れになりつつあった


「わ、私お金あんまりない…んですけど…?!」

「そりゃあ困ったなぁ?お嬢ちゃん身体も貧相だから物好きの金持ちがいりゃあいいんだがなぁ」

「うぐ…」


巻き添えで負債を押し付けられた上に身体のことまでせせら笑われ、あまりに理不尽な展開に最早泣きそうであった

しかしこの人数差では自分で何とかすることはおろか、遠巻きに関わりたくないと一瞥だけして去っていく通行人の助けは期待出来そうになかった


(あぁぁ神さま、こんなのってあんまりですぅぅ…)


出掛ける前に何か起きたらいいと思いはしたが、こんなドラブルを望んだわけではなかったのに…普段神頼みすらしないルーチェではあったが、この時ばかりはどこぞにいるそれに責任をとってほしいと切実に願った




「あだっ?!」


ルーチェに不埒な手を伸ばそうとしていた男の一人が不意に変な声を上げる


「ん?」


頭を押さえて辺りを見回す男の足下にころころと何かが転がるのが見えて、ルーチェは恐る恐るそれに手を伸ばした


「…木の実?」


茶色く固い殻に包まれたそれは続けざまに男達の頭や背中に命中し、余程の勢いでぶつけられたそれに彼等は呻き声と共に蹲った


「畜生、どこから…」

「アニキ!あそこですぜ!」

「舐めやがって…とっ捕まえてたたんじまえ!」


下っ端そうな男の指差した先の路地裏から再び木の実が発射され、ようやく手で払い除けてから彼等は鼻息荒く其方へと駆け込んでいった



「あー…」


(助…かった…??)


あっという間の出来事にしばし呆然としつつも、漸く我に返るとルーチェは慌てて辺りに散らばったイモを拾い集める


「よかった、思ったより無事だ」


多少割れたものでも洗って潰せばスープに出来る。貴重な食料を取り戻してほっと胸をなで下ろしたその時だった


「君、大丈夫かい?」


不意にかけられた声にハッとして顔を上げると、そこにはルーチェよりも少し年上らしい雰囲気の青年が心配そうに手を差し出していた

一纏めにして後ろに垂れる銀硬貨よりも澄んだ銀髪、流れの旅人なのか少し小麦色に焼けた肌にそれはよく映えていて、更に青空を思わせる双眼ははっとする程に綺麗だった


(誰だろう…?)


雰囲気に押されるままに手をとると、ぐっと引いた手が軽々とルーチェを立ち上がらせて頭のてっぺんから足元までをまじまじと検分し始める

まさか新手の人買い?!と思わず身構えると、それに気付いたらしい青年がぶんぶんと手を振って慌てて否定した


「いや!俺はけっして怪しいものではなくて…」

「あ!いたいた!お兄ちゃーん!」


ますます挙動不審の男をじぃと睨みつけていると、後ろから幼い少女の声が響きルーチェの横を小さな三つ編みがすり抜けていく


いかにもはじめてのお使いといった出で立ちの、買い物かごを両手に抱えた少女が息切らして青年の前に立つと彼は懐からひょいと巾着袋を取り出して彼女へと放った


「ほら、また盗られない内にさっさとお家に帰りな」

「うん!ありがとう、お兄ちゃん」

「え?え?」


彼等を交互に見比べてルーチェは訳が分からないとばかりに瞳を瞬かせた

するとそれに気付いた少女は恥ずかしそうに籠をぎゅっと握り締めながら怖ず怖ずと口を開いた


「あのね、わたし今日はじめておつかいをたのまれて市場に来たんだけど…」

「さっきのガラ悪い奴らがいただろ。アイツらにぶつかって治療費だって金巻き上げられたって泣いてたから、取り返したんだ」

「えっ、じゃあさっきの私にぶつかったひったくり野郎とかいうのは…」

「そう、俺」


ほんの少し申し訳なさそうに笑う男にルーチェはわなわなと怒りに身体を震わせながらも、少女の手前文句のひとつも言うことが出来ずぱくぱくと唇を戦慄かせた


(い、いい人みたいだけどこの人がぶつかったせいで私はあんな目に…うぅ…でも…)


ルーチェがぐるぐると葛藤に煩悶しているその間に笑顔を取り戻した少女はお礼と共に去っていき、笑顔で手を振り返してからバツが悪そうに彼女へと振り返った青年が口を開いた


「人助けとはいえ無関係の君を巻き込んだのは悪いと思ってる。ついては何かお詫びをしたいんだけど…」

「?」

「この市場に売ってるもので何でも好きなものを君に奢る、っていうのはどうかな?」

「……なんでも?」


聞き捨てならない単語にルーチェは言質とばかりに聞き返す。すると青年は一瞬きょとんとしながらも勿論、とばかりに大きく頷いた


「言いましたね?」

「あ、あぁ。言ったね」

「何でもですよ?」

「いいとも。服だろうがアクセサリーだろうが、何でも言ってくれ」


念押しに返ってきた言葉にルーチェはにんまりと欲の滲んだ笑みを浮かべた


「じゃあ…!」




帰路の道程がいつも以上に軽やかだ

思わず鼻歌でも口ずさみたくなるほどに足取りは弾み、口許は油断するとにやけたまま頬が落っこちてしまいそうだった


「君はその…なんていうか…」

「はい?」

「いや、満足いただけたなら幸いだよ。うん」


ルーチェの少し後ろを歩く青年…名前をリドルというらしい…は両手いっぱいの荷物を抱えながら力なく笑っていた


「ふふふ、大きなバケットにチーズ、塩漬け肉の塊に蜜たっぷりのリンゴまで…これを一週間分…ふふ、うふふ…」

「普段どんな食生活してるんだい君は…」


パズルの記事の報酬だけではとても買えないような食材の数々を奢ってもらい、ルーチェは込み上げる笑いを洩らしながら歩く


「ところで街の中心から随分離れたけど、本当にこっちなのかい?」

「あっ」


リドルの問いかけにルーチェはハッとした

たっぷりの戦利品に舞い上がり、お言葉に甘えて荷物まで持ってもらってしまっていたが、こんな会ったばかりの人間に住居を知られるのは拙いのではなかろうか

薄れかけた危機感が今更ながら戻ってくるのを感じながら、ルーチェは恐る恐るリドルを見つめた


「え、と…あの…ここまでていいです…から」

「あれ、ひょっとして警戒されてる?」

「!いえ、そんなことは…」


図星をつかれ、慌てて否定するもそれが余計に警戒心を浮き彫りにしてしまう

ますます慌てふためくルーチェに笑いを必死で堪えながらリドルは言った


「仮に俺が悪い泥棒だとして」

「!」

「それでも君の家は狙わないかなぁ」

「どうして…」

「割に合わないからね」


言葉の真意を測りかねているルーチェに手にした荷物を手渡しながらリドルは小さく肩を竦めた


「どう見ても金目のものがなさそうなところに入っても無駄足だろう?」

「む…」

「色気より食い気のお嬢さん」


そう言って笑ったリドルにルーチェは内心でムッとしつつも食材の恩人だからとぐっと堪える

どうせここで別れればそれきりなのだ。無意味に噛み付く必要など、ない


「奢ってくださってありがとうございました!ではさようなら!」

「はは、気をつけて」


振り切るように肩をいからせて早足で曲がり角へと曲がると、並べられた植木鉢を爪先でちょいちょいと退かし、予め埋め込んでおいた仕掛け石を爪先で踏みつけた


カチリと解錠の音と共にすぐ後ろの石床に地下へと続く階段が口を開き、ルーチェは両手いっぱいに抱えた荷物を抱え直すといそいそと階段を降り始める


そうして降り切ったと同時に迷宮へと続く入り口は音もなく閉じ、代わりに壁に設置したヒカリゴケが辺りを照らした



「いない…」


ルーチェの消えた方を覗き込みながらリドルは呟きと共に辺りを注意深く探索し始める

先ずは手近な壁を探る。指先で材質を確かめ、継ぎ目などがないかを調べるがそれらしきものはない

次に石床を小刻みに踏み締め、それから地べたに這いつくばって違和感を探す


「…あった」


よく目を凝らしてやっと分かる、僅かに色の濃い部分にリドルは勝利の笑みを零した

早速押し込んでみれば案の定近くの床に隠し階段が顔を出した

興味津々で階段を降りていけばそこは石造りで出来た道が暗い奥へと繋がっている。住居というにはあまりにも不穏な空気を漂わせたそれは、どちらかといえば


「っ?!」


一歩足を踏み出した途端、辺りの空気が一気に敵意に満ちたものへと変わる


「この気配…迷宮か?!」


鋭く叫んで退いた床がカチリ、と嫌な音を立てて沈む。次の瞬間頭上から大きな鉄球が地響きと共に襲いかかってくる

背後に逃げようと身構えかけるも、ふと嫌な予感を感じてリドルは僅かな壁の隙間に手足をかけて登って難を逃れる


「…うっわ…」


鉄球の転がっていった先…リドルが先程までいたその後ろにいつの間にか立ち塞がっていた壁にびっしりと鋭い棘が待ち構えているのを目の当たりにして、リドルは背筋が冷たくなるのを感じた


以前読んだ文献に書かれていた迷宮の言い伝え

かつてどこかで存在していたメイズメイカー…彼らによって造られた迷宮は意思を持ち、如何様にも姿を変えて侵入者を襲うのだという

ならば今リドルを明確に排除しようとしているここも彼らによって造られたものなのかもしれない…


(彼女…何者なんだ)


生き残りか或いは拾われたか、何にせよこんな場所を住居として使っているなら無関係ということはないだろう

是が非でもここを突破して彼女に会わねばなるまい…!リドルはにまりと口許を綻ばせた


「ははっ、面白くなってきた!」





「本当に色々なことがあった一日になったなぁ」


住居スペースまでの道をとぼとぼと歩きながら、ルーチェはじわじわと襲い来る疲労感に溜め息を零した


途中の貯蔵庫に食材を突っ込み、リンゴをひとつ手に取ってから近くの椅子を足で手繰り寄せてどかりと腰掛ける

するともうお尻がぴったりと張り付いたようになり、背もたれにぐでんと寄りかかったままルーチェはリンゴを齧る


「ふぁぁ…あまぁい…さいっこぉ」


ほんのりと酸味の効いた甘みに頬を緩ませながら、ルーチェはふた口、み口とかぶりついた


「もう夕飯これだけでいいなぁ…」


仕事終わりに甘いもの、自堕落に浸るにはうってつけと緩んでいた意識は、しかし突如鳴り響いたけたたましい警告音に無理矢理引き戻される


「えっ?!何?何?」


はるか昔、出掛ける両親が侵入者が入り込んだ時にそうなる機能をつけたと言っていたような気がしたが、実際発動するのは今日が初めてだった


「えっ?これどうするの?泥棒?えっ嘘?」


しかし警報が鳴ると聞いたものの、そうなった場合の対処など聞かされていなかったルーチェには食べかけのリンゴを握り締めたまま狼狽えることしかできない

そうこうしているうちに壁の向こうから地響きと破壊音が近付き…


「やぁ!すごいところに住んでるじゃないか君!」

「ひゃぁぁぁぁぁ?!!」

「迷宮のエサにされてる人間は見てきたけど、住居にしているのは初めて見たよ!」

「や、やっぱり泥棒じゃないですかぁぁぁ!!!」


ドカン!とぶち抜かれた壁の向こうから現れた、もう会うことはなかった人物にルーチェは悲鳴を上げて椅子から転げ落ちた


「いや、泥棒じゃないよ。ただ君は急に消えるし、隠し階段の匂いがしたものだからつい…」

「つい、で勝手に家に上がりこまないでくださいぃぃ!」


無遠慮にずかずかと近づいてくるのを椅子を盾にしながら、ルーチェは何とか追い払おうと投げつけられそうなものを探して辺りを見回す


「帰ってください!かーえーれー!」


紙束やブランケットをばさばさと投げつけるも、難なくそれらを払い除けながらリドルはルーチェの前の椅子を掴んで後ろに放ると、フーフーと毛を逆立てる猫の如く威嚇するルーチェの前へと跪いた


「っ!」


間近で見た顔は先程の胡散臭さや小馬鹿にしていたそれとは打って変わって、思わずたじろぐ程にキラキラとそれでいて子供のように目を輝かせていた

…なまじ整った顔立ちで一瞬でも見惚れてしまったなどと、是が非でも認めたくはなかったが


「君…いや、ルーチェ」

「へっ?」

「君、メイズメイカーって知っているかい」

「知りません!」


リドルの問いに間髪入れずに否定を叫んでからルーチェはしまったと口を噤んだ


「ふぅん…?」

「あ、わ…本当に知らないから…」


挙動からそれが嘘だということをこの青年はとうに見抜いているのだろう

含み笑いでこちらをまじまじと見つめてくるのを、ルーチェは背筋に冷や汗がだらだらと流れるのを感じながら力なく首を振って否定する


「違うから…ころさないで…ください」

「殺す?どうして?」


涙交じりのルーチェの言葉にリドルは首を傾げる

確かに押し込み強盗のような訪問をしてしまったのは事実だが、リドルの手には今武器らしい武器はひとつも握られてはいない


「どうしてそう思うんだい?」


努めて柔らかく問いかければ、ほんの少しだけ警戒を解いた眼差しがリドルを映し、再び怯えの色に俯いたルーチェがぽつりと呟いた



「だって…メイズメイカーは殺されるものだから」


絞り出された言葉は沈黙の満ちた部屋にぽとりと落ちた


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