第8話
「甘露寺くんは、もともと福岡の人なん?」
横並びに坂を下っていく私達。もちろん弥生が真ん中だ。
「ううん、生まれも育ちも東京。今年の三月に引っ越してきたんだ」
「都会やね~」
「福岡だって都会だし、素敵な街だと思うよ」
「九州では、一番大きな街やけんね」
「海も山も近くて、凄くいいよね」
そして、「松葉杖要らなくなって良かったね」と、覗き込むようにして彼が言うので、「君には関係ないやろ」と、視線を前方へ預けたまま私は答えた。
分かってる。そりゃあ、彼氏発言については、きっちり文句を言ってやりたい。でも、今のこの感情は、それが大きく起因していることじゃない。
滾るものが、こうさせているのだ――。
(イラつく)
例え私が事故に遭わなかったとしても、辿り着く事の出来ない高みに彼はいる。
それは変えようのない事実として、受け留めるべきことで、怪我をする以前の私なら何かを得たいと思い話し掛けていたかもしれない。
けれど、今は違う……。
あのプレーを観て思うこと。
それは、妬み。
なんの問題もなく才能を発揮することが出来ることへの妬みだ。
「栞も、テニス上手らしいとよ」
「じゃあ、今度みんなで一緒にやろうよ!」
「やったことないけん、甘露寺くん教えてね!」
「うん!」
場の雰囲気を変えようと、ぎこちなく二人が会話を進めるので、私は黙って歩くことにした――。
「近所にテニスショップがあると、ガット張る時に便利でいいよね」
歩きながら、ロータリー向こうのテニスショップへ鼻先を持ち上げて中を確認してみる。見ればそこには、接客中の父の姿があった。
「別に張らんし」
何処で降りるか聞いていなかったけれど、後ろから彼が話し掛けてきた。
〈仲良く帰らんといけんよ〉
ポケットからスマホを取り出してみると、三つ先の駅で降りる弥生から、母親のようなLINEが送られてきていた。
「どうして?」
「テニスはせんけん、別にいいと」
「やめちゃったの?」
「関係なかろ」
「うん。でも、出来るなら続けた方がいいんじゃないかなって、そう思って……」
無駄に心のこもった彼の言い草に耐え切れず、私はタップする手を止めて振り返った――。
「ちょっと上手いからって何様なん? 上から物言うのも大概にせんね」
私は右の靴を脱ぎ捨てて、サポーターを外して、きっちりと靴下も下げて醜い脚を持ち上げてやった。よく見えるようにと、スカートをたくし上げてやった。
「見てん。私のこの脚ね、事故に遭った時に変な方むいててばりきしょかったとよ。この通り傷痕も残っとって、テニスげなする気になれんとよ。脚だしてスカートも穿けんとよ」
「ごめん……」
謝罪の言葉を口にしながら、彼は瞳の先を地面へ落とす。
「なんが〈ごめん〉ね? 人の気持ち知りもせんと」
「……」
「そもそも、上手いのば自慢したいだけやろ? 確かに【君】は凄かよ。あげん出来るげな羨ましかよ。私なんか努力して努力して頑張って頑張って。それでも上手くいかん時がたくさんあって。それでも諦めんでやってきて……なのに……なのに……。もう、どうしたらいいか、いっちょんわからんっ!!」
これまでのことが蘇り、一気に爆発した感情。通りすがりの人達が横目に映しているみたいだけれど、視界の歪みでよく分からない。
私は思う、(――醜い)と。
傷痕じゃなくて、心が醜いと。
嫉妬して中る自分。苦しさをぶつける自分。
だったら、復帰を目指せばいい。
でも、それは心が追い付かない……。
自分の不甲斐なさを隠す為に他人を犠牲にする。
何も変わらない。
直ぐに浮かんできたのは、セルフジャッジ。
接戦時にはアウトにしていた。『疑わしきはイン』という教えを無視してコールしていた。過ちを犯す度に(貴女だって)と正当化していた。
今日まで、目を逸らし続けてきた醜悪な私が今はっきりと現れる。
「――僕のこの白髪ね、病気のせいなんだ」
「ぇ?」
崩れるように脚を下ろして聞こえた彼の言葉。
「血液の病気で、今は大丈夫なんだけど、まだ再発の恐れがあって無理できないんだ」
告白。口にする辛さが、微笑みを硬くしている。
「それって……」
「まだ思いっきり運動できないんだ。それに、定期的な受診も必要で、東京の先生から病院も紹介されてる」
「これから先、ずっと?」
「受診は必要になると思う」
「テニス、思いっきりできんと?」
「今後の経過次第。だから、久しぶりに今日は人と打てて嬉しかったんだ。でも動いたのバレたら怒られちゃうけど」
苦笑が切ない。まさかあの笑顔が、プレー出来たことに対する喜びだったとは思わなかった。
「あの、えっと……」
頬を伝わる雫をそのままに、私は彼を見つめていた。
言葉が出ない。
謝罪しなければいけないのは、よく分かっている。
なのに、それだけじゃ足りない気がして、口から出て来ない。
「女の子にとって、傷って大変なことだと思うから、僕の話じゃ役に立たないと思うけど……。僕はこの白髪には慣れたよ。でも、やっぱり黒がいいかな」
左手で白髪をいじりながら、ぎこちなく微笑んだ彼。そして、「溜め込まないで、吐き出したいよね」と続けた。
(なんも出てこん……)
毒づいたものが、全て残らず返ってきた。
まさか自分よりも不幸な人が目の前に現れるなんて、思ってもみなかった。
――ほんとうに?
誰しも不幸なんてもの、いくらでも存在するんじゃないのだろうか?
現に身近な父だって、最愛の人を失ったという悲しみが未だにある。そして、それを乗り越えようとする姿を間近で見てきた私が、何を思っていたんだとはっとなる。私だけが一番不幸だなんてことは、ないのだ。
(なのに……)
駄目な人間だと思った。だって――
(私、すごく辛いんよ)
そう思う自分がいる。
今の告白を聞いても、叫ぶ自分が真ん中にある……。
「行こうか」
「……うん」
促された私は、情けなさと悔しさを連れ立って、歩き出した。