第6話
「部活ば、入らんと?」
「ん~、今からっていうのもね……弥生は?」
あれから一月が経ち、通院の回数も減って松葉杖も必要なくなった頃、すっかり仲良くなった彼女と下校するため、下足場で靴を取り出しているところだった。
「文化系には興味あるっちゃけどね。こんど見に行かん?」
「よかよ」
そんな他愛ない話をしていると、「中牟田?」という声が廊下からしてきた。
「はい……」
「やっぱり! 久しぶやなぁ」
「えっと……」
端正な顔立ちに満面の笑み。長身のその人は、サッカーウエアで「分からんか?」と、自身を指差し近づいてくる。私が答えに詰まっていると、前髪を持ち上げてガッツポーズを作ってみせた。
「あ!」
「思い出したか」
(ギャップ萎え王子……)
女子選手の間で話題になる年上の男子だった。見た目のよさと反比例するように、帽子のツバを後ろに昆虫のような動きでプレーする姿が残念だという話だったのだが、隣で試合をすることが多かった私は、声の大きさが印象的で迷惑だったのを覚えている。
「この学校だったんですね」
「おお。にしても中牟田。ここには、テニス部なかとぞ。もうやっとらんとか?」
「ええ、まあ……。先輩は、やってないんですか?」
「今はサッカーばやりよう。他のスポーツにも興味あったけんくさ……」
「そう、ですか……」
互いに歯切れの悪い答えをした後で、マネージャー募集という話を先輩は始めた。
最初こそ、弥生はこの話を興味を持って聞いていたけれど、徐々に熱を帯びていく勧誘に苦笑いで目配せをしてきたので、私は彼女の声なき声に応えようと断るタイミングを計った。けれど、大きさを増していくその声にあの頃を思い出して口を挟めないでいた。すると、
「――お待たせ」
澄んだ声。聞いたことのある声。胸が締め付けられるような、印象深い声……。
私は、先輩越しに声の主を探してみた。
(あ……)
やっぱりという思いで視界に捉えていた。あの日あの公園で壁打ちをしていた少年が、黒のラケットケースとシューズケースを左肩に掛けて立っているのだから。
その姿勢の良さが、男子の平均的な身長を補おうとしているみたいに見えることが、爽やかさを色濃くしていた。
(高校生やったんやね)
紺のブレザーを着る彼は、とても繊細そうだった。私は先日してしまったことが蘇り、気まずさで目が泳ぐ。
「帰ろう」
彼は、漂う感情の空気を振り払うように歩み寄って来て言った。
私は「え!?」っと軽く声を上げて驚く中で、目にするものがあった。それは、髪。この間は気付くことのなかった、向かって右に見える彼の白髪だった。チョークの粉でも付けたような、一掴み分の白髪。決して、綺麗な色じゃない白髪。
「誰ね?」
首を捻り見下ろす先輩が、棘のある声を出した。
一瞬だけ、白髪へ視線が向いたのが分かった。
私は、弥生のことも盗み見てみた。
(なんなんやろ)
松葉杖を使わなくなって「よかったね」ということを伝えてくれた時と同じ硬い表情だった。考えてみると、彼女が私の脚について触れたのは、この時だけだった。しかもそれは、聞いてこない安心感と、聞かれない不安感の板挟みに私から振ってのことで、その結果、私は消化できない何かを抱えることになっていた。
「僕は、一年の甘露寺かなたと言います」
「俺は、二年の小永吉慶太たい。中牟田の友達ね?」
凛と名乗った彼が言い淀む。少し目尻が下がっているところや、愛嬌のある鼻の形に見覚えのある気がして、私は不思議に思った。
「彼氏です」
私のことを映した彼が、サラリと先輩に答えた。
そうか、私の彼氏か――。
「……………………はぁぁぁぁっ!?」
先程までの思考が吹っ飛んだ。代わりに、頭の中にある稚拙なコトバンクで彼氏という日本語の意味にソコソコの自信を取り戻したとたん、私は言い難い感情に狂れそうになった。もしかしてこれは、先日の仕返しだろうか。だとしたら、絶対に謝らない……。
「中牟田の彼氏ね。ナンパしとるわけやないけん、安心してよかぞ」
「でも、困っているみたいですよ。もう、いいんじゃないでしょうか?」
「は? 貴様に何が分かるん?」
表情を一変させた先輩は、彼に詰め寄り「テニスやろ? 勝負しちゃあ」と、そう言って道具を取りに向かってしまう。
仰け反る彼は驚いた様子で後ろ姿を見送り、口を開けたままの私は、彼を睨み付けていた――。