第29話
具体的な事は何ひとつ分からなかったけれど、美紀さんは私に何かを伝えたそうにしては、それを飲み込んでいるような状況だった。そして、「ありがとう……」と、ただそれだけを目を潤ませて言う。
彼は、明らかに弱っていっている……。
どんどん痩せこけて、頬の膨らみも無くなってしまった。
クスリの所為なのだろう。日によっては、酷く浮腫む体。
そんな彼に私は一体、何をしてあげられるんだろう。暗くならないよう努め、かと言って余計な気遣いはしないように……。
けれど、私は毎日のように咽び泣いてしまう。一人になると、夜になると、声を押し殺して泣いてしまう。
でも、それでも回復を唯々信じて、時を刻んでいる。
闘病する彼の傍にいることが、こんなにも辛いなんて思いもしなかった。
過ってしまう、死んでしまうんじゃないかという不安と恐怖……。
そして、そんな考えを固く目を閉じ強く頭を振っては、有り得ないことと消し去ろうとする。
だけど、そんな気持ちを追い払い切れずにもいる。それに、私の人間性が表れる思考回路も時の間、通り過ぎたりもしていた。
出会ってさえいなければ、こんな辛い思いをしなくて済んだんじゃないのか――と。
でも、それでも、(かなたの傍にいたい)ということが結局のところ私の全てで、自然と私を突き動かすものだった――。
そうしてある日のお見舞いに行ったその帰り、私は久しぶりにあの公園へ足を運んだ。
すると、あのお婆さんが薄暗くなる景色に電灯が灯り始める中、いつものように拝んでいる姿を見かけた。
私は彼女の背中を目に留めながら長椅子へ向かおうとする……だけど、無性にその姿が気になって、数歩過ぎ去ったところで立ち止まり見つめた。
(澄んどう……)
何か、清らかなものを感じた。私に足りないものを感じた。私に必要な、何かを――。
「……こんばんは」
程なくして、彼女は頭を起こして合わせていたその手をそっと離すと、気配を感じたのか、私の方へ振り返る。
私は、声を掛けた。
「こんばんは」
微笑んでくれる。
「ここのお稲荷さん、ご利益あるとですか?」
キョトンとした後、柔らかい口調で話してくれる。
「こげな寂れて見向きもされんお稲荷さんやからねぇ……。ご利益あるとかしらね」
「じゃあ、なんで拝みよったとですか?」
「私は、感謝を伝えていただけばい」
「感謝?」
「そう。今日も充実した日を送らせてくれてありがとうございました。明日も充実した日に出来るように、しっかりと気張ります……ってね」
「……感謝」
「そうよ。結局、良い今日にするか、悪い明日にするかは、自分次第やけん」
「そう、ですよね……」
お婆さんは暮れ行く空を見上げて言う。まるで、その姿は遠い誰かを想っているかのようだ。
(感謝……)
こうして話してみると、彼女は何処となく、あの母の写真と相通ずるものがあるような気がした。
(気張ります、か……)
私は、今までの様々な彼の様子を思い出す。
楽しそうにしている姿。
揺れる白髪。
素振りをする光景。
嬉しそうな笑窪。
目を輝かせる横顔。
光る涙。
努力を惜しまない、あの、笑顔――。
(そうよ)
彼は、今も懸命に頑張っているじゃないか。そんな彼の傍にいて、私が不安や恐怖から日々を充実させることが出来ないでどうするのか。
「そうですよね。ありがとうございます!」
包むような笑みを私に向けてくれる。
彼女のその表情は、とても美しく、そして、私に勇気を与えてくれるものだった。
(――よし!)
私は入れ替わるようにして、お稲荷さんに手を合わせた。
(かなたと今日も一緒に過ごさせてくれて有り難うございました。明日も、そしてこれからも、ずっと二人で素敵な日を迎えていきます……)
そうして私達は、また、日が昇る明日を迎え入れる――。




