第2話
「――筑清学園やったら、入れるばい」
強豪校に進学予定だったのを取り止めて、思考を停止させて入院生活を送る私に父が言ってきた。
「お祖父ちゃん、おったっちゃね……」
そこは最寄りとする駅から三つ福岡方面に進んだ学校だった。私は不思議に思い理由を聞いてみた。すると、母方の祖父が理事長さんで、入学を頼みに行ってくれたという。
父方の祖父母は数年前に他界していて、幼い頃から母方の話を聞いたことがなかった私は、子供なりに気を遣うものがあって詮索したことはなかった。
「……実はな――」
父が初めて語ってくれたこと。それは、結婚を許して欲しいとお願いに行ったものの、祖父に反対されて駆け落ち同然、母は勘当されたも同然で結婚したという話で、私が生まれた時と母が亡くなったとき以外は、長らく音信不通にしていたということだった。
如何にも世間にありそうな話だし、反対された理由を薄々感じ取っていた私は、北九州市に住む祖父母の家に父が行ってくれたことが素直に嬉しかった。
そこでは生憎と言っていいのか、幸運にもと言っていいのか、祖父に会うことは出来なかったそうだ。だけど、「手続きが完了した」という知らせを帰り際に祖母から伝えられて、父は思わず涙ぐんだそうだ。
私は、父からの言葉もあり、緊張しつつも祖父母の家に電話をした。すると、「お前は別たい」と、ぶっきらぼうにも祖父から孫娘を想う気持ちを伝えられて、「たまには遊びに来んしゃい」と、優しい言葉を祖母から掛けてもらい、心温まる思いをすることが出来た。
なのに、滾るものが、どうしても拭えないでいる――
話せば話すほど、加害者を恨む気持ちが膨らんでいっていたのだ。
努力を叩き壊されたことが、絶対に許せない。
不要な経験を植え付けられたことに、強く強く憤りを感じている。
進むべき道を見失わせたことが、憎しみを生み続けて消えてくれない。
そうして、加害者に思うこと。
(死ねばいいのに)
その気持ちが、恍惚としてあった。
事故原因は、結婚して間もない奥さんが、産気づいたという知らせを受けて焦っていたことだそうだ。その加害者は、捻挫程度で済んで私からすれば無傷と変わらない。
加害者は、出産を終えた奥さんと、新しい息吹である長女を抱いて、何度も私の病院を訪れ面会を求めて来ていた。
当然、私は会わなかった。代わりに応対する父は、最初こそ声を荒げたものの、純朴な若い夫婦ということで「あんたも親になったっちゃけん、しっかりせないかんばい」と、そう言って励ます声が廊下からしていた。
本音を言えば、父には厳しい態度を貫いて欲しかった。だけど、その優しさで育てられた身としては、認めざるを得ない部分な気がして、そうすると、私の感情は澱んで燻ったまま、時間だけが過ぎ去ってしまっていた――。