第14話
「な、なんかゴメンね……」
「お、お互い様やろ……」
羞恥心から、顔を赤くした孫を置き去りに、往年のプレーヤー達は熱い庭球の幕を開いていた。共にフォアもバックも片手打ちで、薄いと表現されるイースタングリップで器用にストロークを打ち分けている。
そして「あー!」・「う~!」という、それはそれは迫力のある声を張り上げて、スライス掛かったボールを……まったりと飛ばしている。
両雄のその姿に、私は見たことのあるファミコンを思い出した。
「よく続くね~」
「こげん1ポイントが長かったら、命の削り合いやね」
ほのぼのとする死闘に汗を浮かべながらも顔を行ったり来たりさせていたのだけれども、やがて訪れた眠気に我慢し切れず口元へ手を当て欠伸すると、「こんなもんで許しちゃろ……」と、祖父が肩で息を吐きながら伝え、「勘弁しちゃろ……」と、苦しそうに長政さんが返事して終わりを迎えた――。
「ダブルスするばい」
水筒を勢いよく傾け一息つくと、然も当然のようにして祖父が言った。
「え!? だって私……」
「サーブとリターンだけすれば、後は長政の孫が何とかするやろうもん」
二人は、年齢別の大会でペアを組んでいると言う。
「栞ちゃん。かなたに任せたらよかよ」
「早よ準備せんか」
「あの、でも……えっと…………はぃ……」
一人でも十分なオーラを放っているのに、その二人から言われてしまっては、応じるしかなかった――。
(嘘やろ……)
形ばかりで持って来ていたラケットと、コートを傷めないようにと履いてきたシューズ……。私は、誰にも聞こえないように溜息した。
「中牟田さん、ショートラリーしよ」
「え!? う、うん……」
細やかな抵抗として、もたもたとケースから取り出して、ズタズタと重たい音を立てながらサービスラインへ向かった。
(なんで……なんで……)
「行かない」と、はっきり断るべきだった。
今すぐ逃げ出したい。
目標を失わせたあの日が押し寄せてくるように感じて、体が強張る。
やりたくない、立ちたくない。胸の辺りが嘔吐いて、気持ちが悪い……。
(でも、今日だけ。今、この時だけ……)
雰囲気を壊す勇気を持ってない私は、嘲ってくる後悔に押し潰されないように心を閉ざして、向こうを見た。
「行くよ!」
自分の足元にバウンドさせたボールの上がりっぱなを彼が捉える。
軽快な音の後、丁寧にコントロールされたボールがネットを越えてやってきた。
私は躊躇いながらもテイクバックをして、そのボールを迎え入れた。
――ポン
清らかな音と、インパクトの振動が伝わってきた。
熱い何かが、否が応にも蘇る……。
フォロースルーして自然とレディースポジションを作った私。
再び飛んできたボールにステップして、間合いを取った私。
(染み付いとうもんやね……)
こんなことをしていても、あの頃に戻りたいとは思わない。相手が望む望まないに関わらず、一瞬で壊されることが恐ろしい。
(耐えられんもん)
もう傷つきたくない。無駄な努力となってしまうことに時間を費やしたくない。報われないなら何もしない方がマシ……と、そんなことを考えていると、彼から送られてくるボールの内容に気付く。
(一緒……)
同じバウンド、同じ高さ、同じリズムで、彼が打ち返してくれているということに。
(なんか、悪いことしよる……)
あの日々に戻りたいだろうに、戻れないでいるのだ。
そんな彼が、ラリーをしてくれている。
チラチラと私の様子を覗いながら、返球してくれている。
「大丈夫そう?」
心を砕いてくれるその思いを大事にしたくて、私は、意識を下に持っていくことにした――。
(ダメやね……)
どうしようもなく傷痕のしこりや硬さが私の意思とは無関係に存在を確立してしまっていて、ワンクッション出遅れる感覚が間違いなくある。日常の動作とは違う動き。とても従ってくれそうにはない。
けれど、動かす度、ほんの少しずつだけれど応えてくれている気はする。それはまるで、対話するかのように。分かり合おうと、努力するかのように。
「……大丈夫」
「それじゃあ、下がろっか」
そう言って、彼は打ちながら後ろ歩きでベースラインへ向かうので、私も倣った――。
「ごめん!」
「大丈夫!」
彼のボールは、遠ざかってみても同じリズムで飛んできた。けれど、バウンド後の伸びが勢いを増していて、私の振り遅れに繋がってしまっていた。
(全然わからん?!)
直前までは、ゆっくりと飛んで来ているように見えるのだ。それに、彼のモーションだって決して速くはないように映ってる。だけど、反比例するような伸びにスイングのタイミングが計れなくて、焦る気持ちが更にズレを大きくさせている。
今までだって、男子と練習したことはあるけれど、こんなことはなかった。力任せのショットにも、それなりに対応は出来ていた。なのに、今の私はインパクトの位置や角度なんかがバラバラで、ブランクがあるとはいえ本当に目も当てられない……。
願わくば、彼に球威を抑えて欲しいと伝えたくなるのだけれど、前回見た時よりも間違いなく加減してくれてるだろうことを考えると申し訳なさ過ぎて言えない。それに、その必要がないと考えてのことなのだろうとも思う。だって、私がネットさえしなければ、途切れないのだから。
(こげな時に!)
正面から見るそのフォームに何処か惚けそうになっていた。この人は、観衆の前でプレーしてこその人なんだろうと魅了されそうなのだ。浴びるような拍手を受けるべき人なんだろうと囚われそうになっているのだ。
そしてそんな彼との違いを歴々と見せつけられた私の脳裏に、コートから立ち去って行く小永吉先輩の後ろ姿が浮かんでくる。
圧倒的な実力差。目を逸らすことの出来ない現実。
怪我をする以前の私が、同性からこれだけの差を見せつけられたら、果たして耐えられただろうか? 今の先輩なら、終わったことと気にしないのだろうか。だとしたら、あんなにも肩を落したり彼のキャリアを調べ上げたりするような真似もしなかったんじゃないだろうか。何より去り際、(親父の言う通りやった)という言葉が私の中で留まっているのは、なんなのだろうか。
(もう!)
今は彼に出来るだけ迷惑をかけないようにすることの方が大事と、私は意識を無理やり戻すことにした。
(栞、集中ばい!!)
私は全く動く必要がない。それなら、正確な彼のストロークに対して、今からでも少しずつでもタイミングを掴むべきと頬をはたくように戒めた。芯となる考えを定めて、それに心を砕くことに決めた。
ネットを必ず越そう。ボールが短くならないようにしよう。左右に散らないようにしよう。一球一球、丁寧に……。
私は再度、(集中)と、念じた――――
(私……)
ふと気付いて、驚く。自分の集中の『仕方』に、驚く。
相手を気遣う為の集中。こんなの初めてだった。今までは、勝つ為だけに意識を傾けていたもの。けれど今は、一球を途切れさせない為に心配りして築き上げようとするもの。
(不思議……)
自分じゃないようだった。
同じ時を刻む清々しさが、研ぎ澄ますものを与えてくれている。
ラリーに対する彼の気遣いがより伝わってくるようで、その人となりを強く感じさせてもくれる。
モノクロのように見えていた全てが、鮮明に映し出される……。
嫌いになったテニスなのに。
嫌いになった『はず』の、テニスなのに――
(やっぱりこれって……)
相手にされるはずのないキャリアの彼に、今、こうして打ち合えてもらえているからだと、そう思った。
(でも……)
何か違うような、そんな気もした――。
「始めるばい!」
祖父の声に合わせて、長政さんがラケットを誘導具のようにして彼をこちらへ追いやった。
「中牟田さん。リターンのサイド、どっちやる?」
「じゃ、じゃあフォアサイドで……お、お願いします」
夢から醒めないような思いで、挙動不審にペコペコと彼に私は頭を下げて、年の差100オーバーのダブルスを始めたのだった――。
「かぁー、悔しかねぇ!」
「長政のスマッシュミスが敗因ばい」
「なん言いよっとか貴様ん。何本ボレーミスしたと思いようとか?」
「貴様のカバーの為やろが」
「儂のボールば横取りしよっただけやないか」
「なんか!」
「なんが、なんか!?」
結果は7-5で私達の勝利。彼は、二人の機嫌を損ねないように適度なラリーでシーソーゲームを演出していた。すると、真剣そのもののお祖父ちゃんズは決め球とみると私の方へ打ち込んできていた。
私はそんな二人に対して「キャー」とか言いながら中盤まではプレーしていたのだけれども、ボールが当たりそうになったことには頭にきて、以降、敬いながらもワニワニパニックさながら確率はともかく叩き込み返してやった。
そうして気付けばポイントを取る度ごとに彼とハイタッチで喜びを分かち合い、敵の詰り合いも笑って見ていたりもした――。
「そろそろ帰りますね」
「かなた、祖父ちゃんと車で帰らんね?」
「駅前の本屋さんでテニスマガジン買って帰るから、電車で帰るよ」
「そうか。どげんもなかか?」
「うん、大丈夫!」
「栞は、どげんすっとか?」
「私も甘露寺君と一緒に帰るね」
「ん。わかった」
「大膳、もうひと勝負ばい!」
「おう、痛い目みせちゃろう!」
元気が有り余る優しい眼差しの祖父達に別れを告げて、その場を後にした――。
「……なん?」
シューズの底で下り坂を軽快に踏み鳴らしながら、物言いたげな彼に声を掛けた私。ゲーム中に目に映したシングルハンドのバックボレーが鮮やか過ぎて、隣のこの人が本当に同一人物なのだろうかと現状のオーラの無さに苦笑したくなる思いだった。
「え!? いや……別に……」
「なんか言いたいこと、あるっちゃろ?」
「よかったら、またやろうよ。古賀原さんもやりたいって言ってたしさ……」
「……テニスは好かんと」
「そう、なんだ……」
「なんっ!?」
「え!? いや、別に……」
会話が途切れたことを理由とするように、胸の内にあるものを出してみた。
「……一つ、質問してもいい?」
「何?」
「あげん相手のことば考えながら、いつもプレーしようと?」
「え?」
「やけんね――」
私は、感じたことを不器用に話してみた。
「そんなふうに言われと、なんか恥ずかしいな……。でも、お互いの為にラリーするんだから、途切れない方がいいと思うし、その中で自分のショットを磨いていけばいいと思うんだよね」
「じゃあ、試合の時は?」
「逆に相手の嫌がることを考えて、自分の得意な展開になるように心掛けるかな」
「なるほどなぁ……」
「中牟田さん、テニスまたやりたくなったんじゃ――」
「なっとらんもん! ていうか、お祖父ちゃん達にあげん甘い球ば送るんやったら、私の方に飛んで来んようにしいよ!」
「……ごめんなさい」
忍び笑いをした私は、その後は他愛ない話をしながら、二人でゆっくりと帰っていった――。
「長政。お前んとこの孫は、どうね?」
私達が校門を出る頃のこと。
「前向きにはしようばってん、決壊寸前のごたぁ」
「早う復帰できるといいな」
「ん。栞ちゃんは、どげんやった?」
「初めて今日ちゃんと会うた。真っ直ぐな良い子に育っとった……ばってん、あん娘も複雑そうやった」
「女の子やけん、怪我は猶のこと辛かろう……。かなたの入学、無理言うて悪かったな」
「せからしかぞ。それよか長う間、娘の……明子の大切にしよった家族の様子ば知らせてくれて感謝しとうとぞ」
「なんがか。儂が勝手にやっとっただけのことやろうが」
「……今更ばってん、結婚ば認めてやるんやった」
「儂らの年やったら、出が気になるんも仕方なかろう……。それに、体の弱か明子ちゃんと、それを支えて行かないかん徹也君のことば考えてのことやろうが」
「……、今の俺に、なぁんが出来るっちゃろうか」
「儂も、同じばい……」
消えていく後ろ姿を同じ表情で二人は目に映す。
「長政、始めるばい!」
「おうっ!」
そうして相談し合うように、二人はプレーを再開した――。




