第13話
「え!? お祖父ちゃん、私しよらんよっ!!」
来た! やっぱり来た!! 貞子の方がマシ!!!
照りつける太陽と、三十度を超える最高気温にうんざりする八月の夏休み。
なんでも試合が近いので、練習相手をして欲しいと祖父から電話が入ったのだ……。
「なら、球出しでよかたい」
絶対にコートに立ちたくない私は、あれこれ理由を思い浮かべて小さな抵抗を試みたものの、どう考えてもそれなら出来る訳だし、入学させてくれたことを踏まえれば当然断る訳にはいかなかった――。
「で、なんで僕が一緒に行くことになるの?」
細かい数値の変化はあるものの、定期検診で正常な範囲と診断された彼を伴い、午後四時過ぎの学校に足を運んでいる。ウエアー姿でラケットケースを肩に掛ける彼は、戸惑っていた。
「君が相手すれば、ぜんぶ上手くいくけんやろうもん……」
イエローグリーンのドライTシャツにジーンズ姿の私は、斜め掛けに背負う布地の赤いラケットケースが重さ以上に感じて、ピンクとネイビーで配色されたテニスシューズの底を引き摺りながら祖父が待っていることを補足のようにして今つたえていた。
坂の途中まで来てみると、蝉の声が一層激しさを増して尚のこと気が滅入る。日没は十九時頃のはずだから、最低でも二時間ぐらいはいることになりそうだ。
「中牟田さんのお爺ちゃんは、孫娘とやりたいんじゃないの?」
痛いところを突かれて、私は蝉の大合唱の所為で聞こえない振りをして、「軽く相手すればいいけん」と、それだけを伝えた――。
「どれ、相手しちゃろう」
彼の心遣いは、全くもって無用だった。私が紹介するなり、右上の金歯を光らせ祖父は狂喜した……。
「遅くなってしまいましたが、入学させて頂いて有難うございました」
「そげなことはどうでもよか。さっさと始めるばい」
「はい! よろしくお願いします!」
そうして二人がベースラインへ向かおうとすると、「かなた。そげな老いぼれの相手ばすることなか」という声が聞こえてきた。
「長政のお爺ちゃん!? お久しぶりです!」
出入り口に目をやると、黒いラケットバックを左肩に掛けた彼の祖父がいた。
「栞ちゃん、久しぶりやね。元気しとったね?」
「はい!」
目尻の垂れ下がった大黒様のような顔立ちに、ふっくらとした体形の長政さん。
その出で立ちはというと、ほとんど祖父と一緒だった。
真っ白な半袖のポロシャツを真っ白な短パンにきっちりと仕舞い込んで、脛の真ん中まであるソックスにシューズも白。「ウインブルドンにでも出場するんですか?」と、そう聞きたくなるような恰好をしているのだが、昔のプレーヤーは大抵こんな着こなしだったらしい。見分けがつく所と言えば、胸の部分に施されたワニの向きが右か左かということ、それぐらいだった。
「なんか、栞。このジジイと知り合いね?」
「――!? ち、ちっちゃい頃から、よく食べに行かせて頂いとうと。食後のデザートなんかも、いつもご馳走になっとうとよ……って、話さんかった?」
「くだらん話は、覚えとらん」
「そ、そう……」
どう取り繕えばいいものかと笑顔を引き攣らせていると、祖父を一瞥した長政さんが負けず劣らずの暴言を宣い、自身の孫を蒼ざめさせる。
「ボケが始まっただけやろうもん」
「――お祖父ちゃん!?」
我が祖父も更に毒づく。
「貴様の話ば聞くぐらいなら、ボケた方がましたい」
「ほう。そんなら貴様んは、若いころからボケとった訳やな。それじゃあ話が噛み合わんのもよう分かる。こげなへそ曲がりの頑固ジジイに似らんで、栞ちゃんは本当よかったばい」
「お前の話やろうもん」
「なん言いよっとか。儂ほどさっぱりした男はそうはおらん。かなたもよう似とうけん、顔よかテニスよかになったったい」
「なぁん言いよっとか。貴様んに似よったら、牛蛙みたいなツラになっとった挙句に詰まらんドロップショットしか打てんかったやろうが」
こと話がテニスへ及んだ途端、本性を剥き出しにする二人。
「なんかこの! 貴様んの方こそ、こげな美人が青大将ごたぁツラになっとった上にショボかスライスサーブしか打てんかったとこやろうもんっ!?」
「なん言いよっとか! そのしょぼかスライスサーブに手こずっとうジジイは誰かっ!?」
「貴様んこそ、詰まらんドロップショットに追い付けんくせしてからくさ、デカか口ば叩くな!」
「せからしかたい、サッサと準備せんか! 本番前に負られに来るんは、貴様ぐらいたい!!」
「なん言いよっとか!? この間の大会は、儂が優勝したっちゃなかか!」
「この間の大会はつまらん大会やけん、貴様に華を持たせてやっただけたい!」
「相変わらず器の小さか男やね! 素直に負けば認めんか!!」
「その前は俺が勝ったろうもんっ!?」
「それこそ勝たせてやったっちゃなかかっ!」
「なぁんが――」
ご老人の、健やかなる激しいバトルに目を丸くする私達。その争いは暫く続き、やっとの事でラケットを手にするところまで辿り着いたのだが……。
「長政ぁ。また買い替えたとか? そげん重かラケット、貴様に使えるわけなかろうが」
彼の祖父の取り出したラケットは、レジェンドと呼ばれるロジャー・フェデラー選手が使用している真っ黒なラケットで、重さが340グラムあるものだった。
「はぁぁぁぁっ!? 大膳くらすぞコラ! 貴様んと違うて、いつも重かフライパンば持って鍛えとったい! 貴様んこそ、トップスピンば掛けられんくせしてからくさ、そげな派手なラケット買うて恥ずかしくないとか!? ははぁん、それとも年相応のラケットば選べんほど、ボケが進んでしもうたとかっ!」
祖父もレジェンドの一人、ラファエル・ナダル選手が使用しているラケットで、メインカラーがイエローとブラック、スロート部分が空気抵抗を減らす為に奇抜なデザインをしているものだった。
「せからしかたい! さっさと構えんか!!」
「貴様んこそ、さっさと構えんか!!」
「貴様んが――」
そして、この後も耳を塞ぎ、目を覆いたくなるような舌戦が互いのベースライン上から繰り広げられた……。




