第12話
「中牟田さん、ごめんね……」
大博通りと呼ばれる、太閤町割の基本路線ともいうべき古い歴史を持った大通を北西の方角に十五分ほど歩いた御供所地区。
お寺が多く混在する地区で、狭い道幅が山笠の迫力を余すことなく伝えてくれる場所だと弥生は言う。
「こっちこそ……」
私の右側に弥生、そして、反対側には彼がいるのだが、人混みの為に高さ違いの肩が触れ合ったままだった。
「東京って、どこもこんな感じなんやろ?」
空けた道の真ん中を覗きながら聞いてみる。
目の前の大学生ぐらいの男の人が小刻みに体を動かすので、ちゃんと見えるか不安だ。
「場所によると思うけど、たくさんいるのは間違いないかな」
「戻りたいとか、あると?」
「……全然」
「そっか……」
気恥ずかしい思いを紛らわそうとした会話だったけれど、翳った表情を見て私は後悔した。
「――来たばい!」
向こうを向いたままの弥生がポンと腰を叩いて教えてくれる。見れば白み始める空の中、水法被と呼ばれるものに身を包んだ男達が「おいさ! おいさ!」の掛け声と共に地下足袋でアスファルトを叩き付けるようにして迫って来ていた。
「前切れ〈行く手をあけろ〉――!」
舁き手が山笠を担いでひた走る。
前さばきが道を開いて運行役を必死で担う。
鼻縄を握り締めるベテラン勢が懸命に方向を定める。
台上がりが舁き山に座して、意思統一の鼓舞を送る――。
(凄か……)
彼の表情が消えない私に飛び込む光景。
声を掛けてみようかと考えるものの、邪魔するようだし言葉も思いつかない……、と――
「きゃ!?」
先ほどから気になっていた前の男の人が舁き手に向かって掛けられる勢水を避けようと、後退さった拍子に私の方へ倒れ込んできた。
伸ばすこともままならない手を出しつつ、私は押し倒されていく――
「大丈夫!?」
彼の、真剣な表情が目の前に飛び込んできた。
背中には、思っていたよりも逞しく感じる右の腕。
割って入って助けてくれた彼に、思わず息を呑んだ私……。
「あ、ありがと」
俯き前髪を整えながら態勢を取り戻し、謝罪する男性に「大丈夫です」と答えて、様子を見る弥生に私は無事を伝えた。
そんな中、背中から離れていく手に何処か名残り惜しさを覚えて、戸惑いを覚える自分に不思議な感覚でいると、
「――危ないから」
止まったようだった。鼓動も、時も……。
耳元で囁く彼の声にも鳥肌が立ってしまう。
「……ぅ、うん」
何かを考えるよりも先に、小さく小さく返事した。硬直する体。強く蒸気する頬。けれど、そんな反応を押し退けて、ある感情が真ん中にあった。
――安心する。
私の左手に伝わってくる彼の右手の感触。それは、空白の時間が続いているとはいえ、プレーヤーとしてグリップを握ってきたとは思えないほどに柔らかくて、そして、心の波を凪いでくれる優しさ溢れる感触だった。
考えてもみなかった彼の行動に大きく後押しされた私は、飛び込むように唇を動かした――。
「あの、大橋駅でのこと……、ごめん。君に八つ当たりばした。それと、最初にあった時にも意地悪した。どっちも本当にごめん。ううん、ごめんなさい。あと、その、だから……ありがとう」
跳ねる心が頭を白くする。けれど、(言えてよかった)と、そう思った。
悩んでいたことの正体。それは、謝罪だけじゃなくて感謝を伝えたかったということだった。それを伝えることで彼の告白が無駄じゃなかったということを知らせたかったのだ。
私は、そんなことすら伝えながら気付く自分の愚かさに顔をくしゃくしゃにしてしまいたくなる。
すると――
「僕の方こそ、ごめんなさい」
「え!? 君は、なんも悪いことしてなかよ?!」
「ううん。立ち入り過ぎたよ。テニスの事だったから、つい……。でも、ちゃんと謝りたいってずっと思ってたんだ。だけど折角普通に話せるようになったのに、無理に話題に出して気分悪くさせたらどうしようって考えちゃって……」
「……そっか。じゃあ、お互い様ってことでも、よか?」
「うん!」
触れ合うその手に、彼が少しだけ力を込める。
恥ずかしさよりも、私の中で感謝が募る。そして、翳らせてしまった表情が和らいで見えることに、ほっとなる。
「――二番流、来た!」
お尻を叩いてきた弥生。振り向いて見えたのは、揺れる後ろ髪……。
私は、視線を山笠へ預けた。そして歴史ある光景に熱中しようとした。けれど、笠の揺れのような心地いい高鳴りが邪魔で集中できなかった。
繋ぐ手に絶え間なく意識が向かっていて、焦点を合わせることもままならないでいた。
おいさ! おいさ――!
火照る顔で山笠を見送りながら、(手汗……、大丈夫やろか)と、心の中で心配した――。
「んー! 凄い迫力やったね~」
「古賀原さん、良い所で見せてくれてありがとう!」
「楽しんでもらえたようで何よりです。さて、どげんする?」
「私は今日、お父さんとこ手伝う約束しとうけん、まだ時間あるけど帰る」
すっかり陽も昇り、見物人達が思い思いの方向へ歩き出す中、スニーカーを持ち上げて状況を伝えた。靴下まで濡らしてしまっていて凄く気持ちが悪い。
「僕も予定あるから帰るよ」
「そっか。じゃあ、わたしも帰って寝直そーっと」
そうして彼と弥生は、未だ冷めやらぬ興奮を語り合いながら、中州川端の駅を目指して歩き始めた。
私は、その後をついて行く……。
すると、彼の右手で視線が止まった。
(……)
ついさっきまで、空が白み始める前までは、気にも留めなかった手。最後の流れが過ぎ去るまで繋いでいてくれた手。申し訳ない気がして、情けない気もあって……だけど嬉しかった。
「栞、どうしたと?」
複雑な心境を顔で語っていたようで、振り返る弥生が心配そうに私のことを見ていた。
「な、なんでもなかよ。アクビば我慢しとっただけ」
「中牟田さん、ずっと眠そうにボーッとしてたもんね」
「なっ!! それは君が……っ!?」
「『君が』、なん?」
怪訝そうにしながら、今度は私の方へ足を伸ばそうとする彼女。
「なんでもなか!」
蒸気しっぱなしだろう顔を怒っているからということにして、追及の手から逃れるように二人の間に割って入り私は通り過ぎた。
「ちょっと、一人山笠になっとるばーい」
「いいと!」
「中牟田さん、格好いいよ!」
「ありがとう! おいさ、おいさ!――」
二人に顔が見えていないことを自覚して、私は小さく笑った。




