4月16日(土) その2
どうして、用心のために父の実家で一晩を過ごさなかったのか? 私は激しく後悔する。
過去に何があろうとも、このような非常事態の際は病弱の父に寄り添うべきだった。これで何かあれば悔やんでも悔やみきれない。
その道中、母の家にも寄ってから母の安否確認も行う予定であった。だが、母の部屋の前で何度ドアを叩いても何も反応がない…。嫌な予感がした。
まあ、ずっと、母の家の前で立ち止まるのも危険である。気を取り直して、父の家に向かう。
その道中、急にあたりが明るくなった。どうやら、電気が復旧したようである。それぞれの目的地へ向かう人々の表情が一瞬だけ明るくなったように思ったのは気のせいではない。
電気が付くだけで、町がこんなにも明るくなるなんて…。普段、夜も明るい町にすっかり慣れていて、電気がこんなにもたくさん町を照らしてくれていたとは…。身を持って、電気の大切さを痛感した。
道中で、何度も父に電話するが「おかけになった電話は現在、電波の届かない所にいるか、電源が入っていないためかかりません」と言う機械音声が虚しく繰り返されるのみだ。
もともと、寝ている時間に電話で起こされたくない父は夜間、携帯の電源を切っている。だが、災害時は気を利かせて携帯の電源を入れて欲しいものである。そうすれば、道中の不安も幾分か和らいだのに…。
どうにか午前三時前、父の家に着く。ドアベルを鳴らすと父はすぐに出てきた。良かった…。真っ先に携帯の電源を災害時だけは入れるように伝える。それから、お互いの無事を喜び合った。
またしても、重いブラウン管テレビが地震の衝撃で棚から落下したため、二人で起こした。いつか、薄型テレビを買ってあげなくてはいかんな…とうっすら思う。
そうしている間も何度も大きな余震が熊本の地を襲った。真夜中なのにNHKの災害特番は何度も地震速報のけたたましい音を響かせている。
もう、あまりにも地震がたくさんあり過ぎて、震度3ぐらいまでなら何とも思わないぐらい感覚がマヒしていた。携帯やスマホの緊急地震速報もうるさいぐらい響く。
直下型地震のため、速報が鳴る前にすでにS波の大きな揺れの最中だ。プレート境界型地震みたいに震源が離れていないと速報は間に合わないようである。
午前四時過ぎ、揺れは一向に収まらずに誰にも遠慮する事無く頻発している。しかし、午前1時半の地震のせいで全く眠れていないので、眠くて仕方ない。
もう、地震は収まらないと割り切って、とりあえず寝る事にした。疲れからか、すぐに眠りに落ちるが、地震が何度も起きて、その度に起こされるので、朝まで深い眠りに落ちることは一度もなかった。