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熊本・大分(九州中部)地震 記録簿  作者: あまやま 想
9月17日(土) 記録簿が果たす役割
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9月17日(土)

 あの震災から5ヶ月が過ぎた。幸いにも8月31日以降、今のところ大きな余震はない。震度3以下の余震もずいぶん減った。それで感覚も元に戻ったのか、震度3でも敏感に反応するようになっている。


 以前なら、震度3や4ぐらいであれば、これくらいなら大丈夫と思っていたのに…。感覚が完全にマヒしていたようだ。


 ようやく我が家にも震災復旧工事の順番が回って来る。これまでは仕方ないとは言え、ベランダは歪んでいて、外壁が上半分浮いていた。またアパートの階段の外壁は完全にぐらついていた。万が一、次に大きな揺れがあれば、階段もベランダも崩落の危険性もあるほどである。


 また、解体工事もどんどん進行しており、熊本市近郊では至る所に新しい空き地が出現している。一方で空き地に新築の建物が建つのはまだまばらだ。ただ、大工さんが不足していて、建築が追いついていないだけならいいが…。


 余震も収まって来ているようだし、生活もほぼ震災前と変わらずに暮らせるようになって来た。そのような状況であれば、被災者の記憶から震災の記録が薄れていくのは当然の事である。


 いつまでも震災を引きずって生活する訳にもいかない。震災が落ち着けば、おのずと仕事や生活に追われる日々へ戻らざるを得ないからだ。


 それに人は忌々しい記憶と共に生活できるほど強くない。都合の悪い事は一日も早く忘れたいのだ。震災直後は毎月14日と16日を強く意識していたのに、今ではニュースを聞いてからハッと思い出す程度である。


 この記録簿を4月14日から読み返すと、一つ一つがしみじみと思い出された。しかし、その記憶は思い出したい時、もしくはこのような記憶を必要とされる時以外は忘れていたいものである。


 これこそ、私が震災の記録簿を残そうとした理由の一つだ。記録さえあれば、どれだけ月日が経って人々の記憶が風化しようとも、経験者が誰もいなくなっても、必ず共有できる。


 記録があったからこそ、これまでの震災の情報が生かされただろう。数百年前の記録もあったから、過去にも同様の地震が起きて、その後に東南海や南海、山陰でも大地震があったことが分かるのだ。過去を知る事で予測も立てやすくなるだろう。

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