4月22日(金) その3
これまでに被災地でたくさんの被災地荒らしが起きているからか、最初声をかける際には相当警戒される。
益城町ボランティアセンターから来た者である事を丁寧に説明してから、ビラを配るようにした。すると、ようやく安堵されるのか、ホッとした表情でこちらの話に耳を傾けて下さる。
「一人ではとても片付けができないから助かる」とか「私よりも大変な所があるはずだから、そこから行って欲しい」などの声が返って来る。
中にはこれまで一人で不安にされていたのか、前震や本震の事を事細かに教えて下さる方もいらっしゃった。そこにはテレビなどでは伝えられない経験者ならではの言葉の重みがあった。
それを私が間接的に伝える事もできない。当たり前だが私が伝えられる事は、私が実際に体感した事に限られる。それを超えた事を伝えようとすれば、もう記録簿ではなく物語になってしまう。それでは記録簿を書く意味がない。
そんなことが頭によぎりながらもビラを配り続ける。やがて、センターへ戻る時間となったので、私達4人は役場へと戻った。
役場に戻ると他のグループが既に戻っていた。そのまま、行きと同じ車に乗る。それぞれがビラを配った時に感じた事を思い思いのままに語っていた。
同じ風景を見ても、被災した人と県外からの人では感じ方がずいぶん違うみたいだ。やはり、被災していなければ、どこかよそ事のように感じるのは仕方ない。
しかし、全くの無傷だからこそ、余裕を持ってボランティアに望めるし、冷静かつ客観的に被災地を分析できるのだろう。そんな事よりも、遠路はるばる熊本まで駆けつけて下さっている事を素直に感謝しよう。
やがて、車はボランティアセンターに着いた。リーダーが本部に活動報告をした後に解散となった。私はつくづく性根がねじ曲がっているな…と思いながら、自転車にて帰路についた。
家に帰ると、水が再び出るようになっていた。まだ、濁った水しか出ないけど、どうやら本格的に復旧したようである。私は半分まで減った湯船の水を並々になるまで継ぎ足した。
また、都市ガスも少しずつ復旧しているようである。これも水道局や都市ガスの職員や他県からの応援者が徹夜でライフラインの復旧に取り組むおかげだ。道路も日に日にきれいになっていく。本当に頭の下がる思いである。




