神様
「っん…」
なんだかやけに眩しくて、うっすらと眼をあけた。
視界いっぱいに広がるのは、どこまで続いているのか分からないほどにだだっ広い白い空間。少し驚いたけれど、無言で起きあがる。
あれ?死んだと思ったんだけど、まさか死んでも意識あるの?
学校を出たあと、わざわざ人目に着きにくい路地の廃ビルを選んで自殺したんだけどな。
意識があることに酷く落胆してしまった。
そもそも、これを放棄したいがために痛い思いまでして死んだんだから割りに合わないな。
「ほっほっほっ
そこで残念がるとはの」
いきなり声がした方を振り向けば、不自然にも宙に浮かんでいる老人が一人、柔和な笑みを浮かべてそこにいた。
老人の容姿は変わっていた。
老人は白髪を腰まで伸ばし、顎髭でさえお腹あたりまで達しそうであったのだ。こんな容姿の人間は初めてみる。
しかし、綺麗にとかしてあるのか不潔さは感じず、むしろ独特の神々しさがある。
「なんとも能面のような面構えじゃのう。
まぁ、それも無理はないのかの」
老人は秀生をじろじろと見遣ると、なにやら挑発でもするようにそんな言葉を吐く。
なんだろう、この老人。
変な人だな。
「なんじゃ、失礼じゃな」
なんか、心でもよまれてるのかな。
「主はちと、驚く事を覚えい」
なにかしらリアクションを返して欲しいらしい老人は残念そうにそう言った。
それでも秀生はただ老人を見ているだけ。そもそも、死んでしまったのだからこの老人が何者であれ、何をしようとどうでも良いのである。
「ほほ…主との会話は時間の無駄じゃのう
本題に入るぞ」
そんなところで、話しに乗ってくる様子もない秀生をみて老人は眉根を寄せ、呆れたように話を進め始めた。
「主は今世においてなにか不思議に思ったことはないかの。違和感でもなんでもじゃ。」
なんでもかぁ…
「そうだね、皆バカに思えたよ」
「…なぜじゃ?」
「つまらないことで喜んだり、悩んだり、怒るからかな」
そう、つまらなそうに答える。
「それが人じゃ」
老人は当たり前のようにそう言った。
「人らしさね、無駄なことばかりじゃない」
「じゃが、主はその人らしさがほしいじゃろう?」
「バカじゃないの?そんなわけない」
「バカは主じゃ、気づいておるのにしらばくれるでないわい」
老人の意味の分からない言葉に自然と拳に力が入る。
「おまえ、うるさいよ…
僕の方が他のやつより何倍も持ってる。
才能も力だってある!
あいつらなんて、僕の半分も持ってないのに…」
そこまで言ってはっとした。
自分がそれまで感じたことのないような怒りを自分の中に感じていたからだ。
いろんな感情が渦巻いくような、初めての感覚だった。
「なぜ怒る必要がある?
怒ったということは認めたも同然じゃぞ?」
「なにがだよ」
「本当は羨ましく思っていなかったかの?
彼らの満足している顔や喜ぶ表情を見て」
「思ってないよ
必要ないから」
知った風にべらべらと…
こんな話に付き合うのも馬鹿馬鹿しい。
さっさと終らせて別の所へ行こう。
だが、周りを見渡しても一面全てが白い空間。
気の遠くなる思いがしながらも、秀生は老人から背を向け、宛もなく歩き始める。
「嘘じゃの
お前さんは羨ましかった筈じゃ。
だからいろんなことをやってみた
勉強もスポーツも頑張っていたようじゃな。
どれも半ばで辞めたようじゃが」
踏み出した右足がピタリと止まった。
「…知ったような口を聞くなよ。
別に暇潰しにやったことだ意味なんてない。
それに、やめてない」
あぁ、なぜこんなにイライラするのか。
こんなの、放っておけばいいのに…。
そう思いながらも秀生は完全に動きを止めていた。
「辞めたよ、努力を怠っていた
もっと出来たはずじゃ、主ならば。
それでも辞めてしまったのは得られなかったからじゃろう、幸福感が。
普通に喜ぶ感情すらも理解できないじゃろう。
まぁ、それもそうじゃ得られるはずも分かるはずもないの」
老人の否定的な言葉の連続に、怒りがピークに達した。
そこには今までの飄々とした涼しい顔も、能面のように無感情な表情はなく、鬼のように目を吊り上げ、老人を睨み上げる秀生がいた。
こんなに怒りをむき出しにしたのは生まれて初めてだった。
抑えきれない感情の渦に戸惑いながらも、怒りは真っ直ぐ老人へ向かう。
そんな秀生を見ても老人は表情を崩さずに、柔和な笑みを浮かべてこう言った。
「主にはそもそも「喜び」の感情がないからの」
「は?」
老人が放った言葉は脳内で大きな衝撃を生み、サッと血の気が引いて行くのが分かった。
「そのままの意味じゃ、主もうすうす感付いておるのではないか?」
…は?こいつは今、なんと言ったんだろう。
僕に…喜びの感情がない…?
…だけど確かに、そうだったら合点がいく。けど、だったら…
「そうじゃ、無駄じゃった
お前さんが欲しかったものは
「喜び」それから生まれるはずの感情全てじゃ
ただ、人間らしく在りたかったのじゃ
そのためにしてきたことは、まるで無駄じゃった」
老人はここぞとばかりに捲し立てる。
今の秀生を崩すことは、それこそ赤子の手を捻ることよりも容易いことだった。
「…!
いや、違う!そんなもののためじゃ…!」
そうだ、羨ましかった。
他の人が。
「違う!絶対に…」
普通で在りたかった。
ちょっとしたことで喜んだりしてみたかった。
だからいろんなことに挑戦した。
始めは勉強、次にスポーツ、それでもなにも感じることが出来なくて、虚しかった。
あらがってみたくて、近所にあった剣道場に入門してみた。
2年もせずに青年部門で優勝までこぎつけたけれど、やはりなにを得た気もしなかった…変わりに決勝相手の悔しそうな顔を見て、意味も分からず嫉妬した。
結局、僕は何も持てないと悟ったから、自ら命を立った。
「あ、あぁああ…!」
羨ましい、妬ましいんだ。
全てを覆うように、手で顔を覆う。
「ちと、ほじくり過ぎたかの。
もともと欠陥品のようなもんじゃったが
中身がまるで育っとらん、まるで癇癪を起こす幼子のようじゃ
…壊れたかの」
あまりの絶望に立つ気力もなく、膝を折って座りこんでしまっている。
「絶望するのはまだ早いぞ
お主にはまだ道は残っておるわ」
どこか虚ろで、猟奇的な目をした秀生に老人は宥めるように言った。
「今から行く世界で、人族を殺すのじゃ。」
虚ろな瞳は深い暗闇のようで、しかしその耳は言葉をかすかに聞き届けた。
「人を…殺す?」
「そうじゃ、人族の文明を壊して欲しい。
そのためには人族で一番栄えておる王都を転覆させて欲しいのじゃ。
修復不可能なほどに」
老人は柔和に笑っていようとも、その表情はどこか凄みがあり、妖しく恐ろしい。
「…そもそも、根本的になんで僕に「喜び」の感情がないのかを教えてよ。」
可能性を提案されたおかげもあってか、幾ばくか落ち着いてきた秀生は、自分の中の一番の疑問を老人にぶつけた。
「ほ、そうじゃったの
まずはお主は今死んで人間でいう天界におる。
ワシはお主らが言う所の神にあたるのじゃ」
…ここが死後の世界だとはなんとなく分かっていたけど、この老人が神だとは思えないないよね。
「主は本当に失礼なやつよのぅ
まぁええわい。
天界にはルールがあっての、現世で罪を犯した者は天界で試練を与えられ、それを完遂するまでは転生することはできん。
中には試練をせずにのうのうと生きたような生活をする輩もおるでな、試練から逃げ出させぬために、試練執行時以外は「喜び」の感情を奪い、強い虚無感を植えつける事になっておる。
過去をみてもこの試練から逃れた者はそうおらんでのう、どんなに強情な者でも50年と持たずに耐えきれなくなる。
だが、ただ一人この試練から逃れた者がおった。
今から500年も前の話しじゃ
一人の罪人が自身の罪から逃げるために、一世界を管理する神の一柱を殺して、天界を脱走したのじゃ。
察しも着くところじゃが、それがお主の前世じゃ。
結果、主は「喜び」の感情が奪われた状態で産まれ、まるで呪いのように強い虚無感が魂が刻まれることとなったのじゃ」
なんとも突飛押しもない話だ。
こんなの、信じる方がおかしいな…
だけど僕が欠陥品だったのは事実…だ。
死んでやっと、自分を受け止めることが出来た。
「ふぅん、そうか…
嫌だと言ったら?」
「どうもせぬ。
その業と共に永遠にさ迷う覚悟があるのなら主の好きにするが良い。
ただ、主はもうその業の恐ろしさを知っておるじゃろう?」
「ははっ…つまり拒否権はないと…」
「…まぁ、そうなるの
魂の記憶が無かろうと罪は精算してもらわねばならぬ。
そうせねば魂自体がすれて使い物にならなくなるからの。
じゃが、それだけでは主が余りに不憫だからの、試練を見事完遂させられたならば、主の新たな人生を約束しよう。
そのまま主を送る世界に住むも良し、主が望むならば他の世界に移動させることも可能じゃ」
「そっか…なら、早く送ってよその世界に」
「なんじゃ、やけに聞き分けがいいのう
もっとごねるものだと思っていたがの」
「別にいいじゃない」
早く試練を完遂させて、本当の意味で全てを手にいれるためだ。
そのために払う犠牲ならしょうがない、人だって殺して見せるよ。
ここに、ニヤリと笑う鬼が一人生まれた。
国を相手に鬼ごっこでも始めよう。