秀生くん。
「うっうぅ、ふぅぅ…」
悲しくて悲しくて、崩れてしまいそう。
膝を抱えて啜り泣く。
置いてかないで、どうして行ってしまうの?
1度でいいから私を見て欲しいの。
秀生くん…。
「前島さん」
肩が叩かれる。
大好きなあの声がする。
「秀生くん!」
身体全体で振り替えると秀生くんがいつもの笑顔で立っていた。
「あっ、秀生くん、会いたかったの
あなたに…っ」
「うん」
「だからね、帰ってきてくれるよね?」
秀生くんを力いっぱいに抱き締めながら、悲鳴を上げるように声を絞り出した。
だけど、
「ごめんね」
そういった秀生くんは私が絡めた腕をとって外した。
「秀生くん!待って!?」
「うん、バイバイ?」
そうやって曖昧に答える声は恐ろしい程冷めきっていて、その腕をとることができなかった。
「あっ、だめ、行っちゃだめなの」
背を向けて歩き出す彼を見ながら、力の限りに叫んだ。
「秀生くんっ!!」
がばっ
「はぁっはぁっはぁっ」
呼吸は早くて瞳は涙に溢れていた。
「あ、夢なんだ…」
乱れた髪を整えつつ、汗が気持ち悪くてパジャマの裾で額を拭った。
一週間前、秀生くんが死んだ。
自殺だったそうだ。
彼は同じクラスの男子で、私の初恋の人でもあった。
本名は本郷秀生。
私が前島遥だったから、入学直後は目の前に彼の席があった。
その頃から彼は勉強もスポーツも頭一つ抜けていて、噂では剣道も嗜んでいると聞いた。
まるで染めた事のない真っ黒で綺麗な髪が印象的で、中性的だけど切れ長で凜とした顔立ちに良く似合っていた。
第一印象は、不思議な雰囲気を持つ人。そして、近寄りがたいような気がした。
だけど何故かそれがとても魅力的に思えてしまった。
取っつきにくそうだと思っている反面、話しかけてみたいと思う気持ちが強くて、入学式の次の日に早速話しかけて見たことがあった。その時の会話は覚えていない、下らないことだったような気もする。
だけど、思っていたより彼は気さくで話しやすくてほっとしたのを覚えている。
彼を好きだと気がついたのはすぐの事で、それからは彼に近づけるようにと頑張って自分を磨いた。
彼が清楚な女の子が好きだと噂で聞いて、もっと彼に近づけるようにと清楚な女の子になれるように努力したし、席替えで席が離れてしまっても頑張って話かけたりした。
だけど、秀生くんに近づこうとすればするほど彼との距離に気づいてしまった。
どんなに話してみても、彼との距離が縮まることはなかった。
どこか掴み処がない笑顔。
誰にでも同じ態度。
優しいけれど、それがとても悲しかった。
もっと近づきたくて、気づいて欲しくて自分を磨き続けたけど、まるで眼中にない。
いつしか私は、学校内で清楚で可愛いと囁かれるようになったけれど、やっぱり彼が私を一個人として見てくれることはなかった。
そして、あの日そんな彼の印象がガラリと変わっていた。
その日は、梅雨があけた少し蒸し暑い日だったのを覚えてる。
週が明けた月曜日で、休みの間会えなかった分たくさん話しかけようと思っていたのだけど。
教室に入ってきた彼の顔を見た瞬間、かけようと思った言葉を呑み込んだ。
誰だろう。この言葉に尽きた。
まるで、全てに興味がないかのような…
いつもの彼とはまるで正反対な無骨な雰囲気だった。
いや、ちがう、やっぱり彼だ。
本質は何も変わってない。
だって、彼は…
「おはよう、本郷」
始めに秀生くんに話しかけたのは同じクラスの桐原くんだった。
彼はスポーツ万能で一年生でサッカー部のエースとまで言われていて、精巧な顔立ちをしているため、とても人気のある人だ。
明るいし優しいので人望もある。
秀生くんとはわりと良く話す人だった。
「おはよ」
しかし、秀生くんは彼を一瞥もせずに、いつもよりもツートーン低い声で返すとそのまま席に座ってしまった。
いつもとの違いにクラスメイトは困惑していた。
一度としてこんなことはなかったからだ。
いつもなら、教室は入って一番に挨拶をするのは秀生くんのほうで、普段の彼からしてもあんな風にそっけ無くというか無骨な態度をとることがなかった。
そして、まず彼を取り巻く雰囲気がまるで別人のようで、何を考えているのかもわからない無表情はどこか不気味だった。
桐原くんはびっくりしてその場で固まっていたし、他の皆は明らかに違う秀生くんの雰囲気に少し恐怖しているようにも見えた。
そのまま予鈴がなって、先生が入ってきたからその場はそのまま過ぎたけれど、明らかにクラスのムードが困惑と少し恐怖に淀んでいた。
授業が終わって休み時間に入っても誰も話しかけに行くことをしなかった。
私を含めて。
昼休みになって桐原くんが呼び出されて先生に秀生くんのことを聞かれたみたいだったけれど、桐原くんも分からなかったみたいだ。
どうしよう、授業中そればかりで内容が頭に入ってこなかった。
彼にかぎってこんなことは初めてだったから。
話しかけにいかなきゃいけない、何故かそんな気がする。
彼を少しでも繋ぎ止めなくてはいけないと思った。
だけど、彼の雰囲気を見て、そんな勇気も出せなかった。
もし、話しかけてあの態度をとられてしまったら、私はどうすればいいのだろう。
6時間目が終わりSHRで連絡事項を告げたら先生は足早に去ってしまった。
急いで最後尾の真ん中の列に目をやると、秀生くんが机の荷物を鞄にしまっているところだった。
その目にはなんの感慨も浮かんで居なくて、そこに居るのにまるで走っても追いつけないほど、呼んでも届かないほど遠くにいるように思えた。
背を向けてドアに歩き出す彼を見て、またどうしようもなく不安になった。
「秀生くん…!」
おもわず、叫ぶように引き止めてしまった。
振り返った彼は驚いたかと思いきやなんだか無表情で、いつもの雰囲気とは違って無骨で、温度のない瞳で私を見ていた。
「なに?」
また、ツートーン低い、抑揚のない声。
こわい…とても。
私は見て分かる程に焦った。
そもそも用事なんてなかった。
引き留めたかっただけだなんて言えない…。
何やってるの、私…!
そんなこと言っちゃったら…それこそ呆れられちゃうかもしれない…
「いや、雰囲気が違うっていうか…
なにかあったのかなって、…おもって…」
しどろもどろになりつつも必死に答えた。
「何もないよ
…それだけかな?」
まるでこちらに興味がない様子。
呼び止められたことすら迷惑そうだ。
どうして、そんなに遠いの?
「あ、うん…その…」
どうしてそんなに
「それだけなら僕はもう行くね
今日はすることがあるんだ。」
離れて行こうとしてしまうの?
少しでも近くにいたいだけなのに、どうして近づけないの?
繋がりさえも、掴めない。
「あ、そうなんだ。
えっと、呼び止めちゃってごめんね。
…またね?」
涙が滲み出そうなのを必死に我慢した。
不安だったから求めるように、すがるように最後の言葉を絞り出した。
「うん、バイバイ?」
曖昧に、冷たく吐き出された言葉は欲しかった言葉ではなくて、なんだかはぐらかされたような気さえした。
「またね。」って言ってくれないの?
ただの被害妄想だったらよかったのに。
貴方が居なくなってしまうだなんて。
ずっと前から思っていた。
いつか居なくなってしまうんじゃないかって。
だって、貴方を縛るものなんて私を含めて誰もいないから。
だって貴方の本質はいつだって誰にも興味がなかったから。
いつだって分かってた。
君にとって必要な存在になんてなれないこと。
分かっていたんだ。
あの時、少しでも現実を受け止めたくなくて、彼をそれ以上引き留めなかった。
彼のなかに、一ミリも自分の存在が無いことを知りたく無かったから。
もっと引き留めていたならば、もっと覚悟して彼の心に触れていたならば、なにか変わったんだろうか…。
いつだって一線引いていたのは彼だけじゃなくて、そんな自分を守った私自身だったのかもしれない。