エタっても立ち上がれ(補足)
前段「エタっても立ち上がれ」を投稿したあと、ご一読くださった方からこのようなご意見がありました。
「私は完結させてから投稿しているので、エタった経験というものがありません」
私は率直に感動しました。
大変素晴らしい姿勢であると思います。
きっちり仕上げた「完成品」の状態に整えてから、公表する。
創作活動をする者(私個人が)として、見習うべき、模範とすべきだと思いました。
まさしく「克己」の姿でありましょう。
投稿したいという衝動を抑え打ち勝っているからです。
何事においてもいえることだと思いますが、ときに「これくらいなら」と自分に対し甘くなりやすいものです。このふとした心を乗り越えることは、簡単なようでいて決して簡単なことではない。
こうした、自分と向き合う姿勢を保ちそこから目を背けず逃げなかったならば、その強い心は作品のクオリティをも大きく向上させることでしょう。
ただ、私が前段(エタっても立ち上がれ)の内容を取り下げることはありません。
「~でなければならない」
「~であるべきだ」
という議論は、物事への見方を硬直させてしまうからです。
かの作者様の姿勢に敬意を表し私自身がそれを見習いたいと思いつつ、しかし他の作者様への進言としては「また違った角度からのあり方(前段で述べた内容を指します)」を唱えます。「べき論」というのは固定した観念を押し付けることにつながり、結果としてストレス、プレッシャーを与えてしまいかねません。
かつて、私はそれをしてしまったばかりに、他の作者様に無用の圧迫を加えてしまい、せっかくのモチベーションを削いでしまったような形跡があります。二度とその過ちを犯すまい、と思うのです。
繰り返しになりますが、連載を抱えているのに無計画にまた連載を始めた末、挫折してしまうようなやり方には賛成できません。
しかし、一つの連載を続けようと頑張ったけれども力及ばず挫折してしまったならば、そこで恥じたり悔いる必要はないと思うのです。
そこから反省し学んでいけば、必ず次の道が開けてきます。
上手くいかなくたっていいではありませんか。
つまづいたって転んだって失敗したって、恥じることも悔やむこともありません。
なぜそうなったのか?
では、次はどうすればいいのか?
そこに目を向け、しっかり考えてみればいいだけのことです。
そして改善策を講じてみて、また失敗したってよい。
大事なことは、そうやってどんどん次へ次へ進んでいく意欲と心なのです。
失敗(ここでは創作におけるそれを指します)はそれ自体が悪いことではありません。
そこから目を背け、向き合わないことが悪いことなのです。
人は上手くいったことよりも、失敗したことから学ぶことのほうが多いといいます。
失敗を恐れず、むしろそれを土台にして飛躍していくくらいの心意気でいたほうが、きっといつか得心のいく作品を書けるのではないかと思うのです。