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錆の聲  作者: 橘高 有紀
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08 友人

「あれでよかったのか」

 人通りの少ないホールエントランスが見えたころ、真崎が足を止めた。

「助かった。根掘り葉掘り聞かれるのはね」


 真崎は少し表情を曇らせて「そうか」と言う。真崎自身が、いろいろ尋ねたい一人なのだろう。昨日、聖司を引き留めたせいで母と何かあったと勘繰っているようだ。あれは聖司が勝手に後をつけただけなのに。

 しかし真崎の目前でぶっ倒れた手前、心配するなとも言いづらい。仕方なく帰りが遅くなるとどうなるか、少しだけ聖司は話した。一人にしないで、と母が癇癪を起すことを。


「それってもう……病気じゃねぇの」

「病気だよ。病院に通っている。薬もかなり飲んでる」


 淡々と話す聖司を、真崎は痛ましそうに見てくる。大丈夫なのか、と言ったあと、真崎は慌てて両手のひらを向けて振った。聖司の返答が予想できたのだろう。だから、言いなおしてきた。

「俺にできることってあるか」


「母さんに関してはないよ。だけど俺に対してなら、気遣わないで欲しいんだけど」

 真崎がきょとんとするので、聖司はさらに言葉を重ねた。

「中学のころ、周りが嫌なぐらい気遣ってくれた。その心配が、俺には逆に腹立たしかった。そういう風にされるぐらいなら、だれとも近づかないほうがマシだった」


 親しかった友人たちが遠く離れていったのを覚えている。聖司自身の変化などありはしないのに、切り離されたのだ。お前と自分たちは違う、厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだ、と異物のようにはじき出した。

 そして、今まで離れていた連中が獲物を嗅ぎつけてやってきた。鼻をひくつかせ、訊いてくるのだ。お前のとこどうなっているんだ、本当なのかよ、とへらへらと笑いながら面白半分につけ回してきた。

 教師でさえ、聖司を問題児として扱っていた。聖司の傷を見るたび、こっそりため息をついていたのを知っている。その心情の変化を察せないほど、鈍感な子どもでもなかった。


 周りが、聖司を一人にした。

 だから閉ざした心のまま進学した高校では、他人に決して近づかず近づかせなかった。そこへ現われたのが、真崎だ。勝手な誤解を解いたのは、真崎を追い詰めたかったからか……いまさら自問する。


 どういう反応を得られるか、わかっていて賭けていた。

 写真を辞めたという真崎に対し、焦ったのはあの部長だけではない。


「勝手にこっちの心情をくみ取った顔しないでほしい。腫れ物に触るような扱いも。……普通にしてくれたらそれでいい」

「ごめん。どうしたらいいか、わかんなくて」

 わかっている、と聖司が応じると、意外そうに目を丸くした。続いて嬉しそうに笑みを広げる。気味が悪くて訝しむ聖司へ、へらりと笑いかけた。


「お前に関しては心配してもいいみたいだから。心配もするなって言われたらどうしたらいいか、わかんなくなるじゃん。どうしよーって午前中ずっと考えてたんだぞ」


 ぽんぽんと聖司の肩を叩いた真崎は、エントランスの隅で「ここがいいか」と弁当を広げだした。

 戸惑ったのは聖司のほうだった。なぜ、そこまで他人に意識を傾けられるのだろう。脳裏に、どうして、と嘆く母の姿がちらつく。しかしそんなことを聞くにきけず、二人は弁当を広げている。奇妙なことになったものだった。



 友だち、なのだろうか。


 そんなことを聖司が考え出したのは、真崎とつるみだして少し経ってからだった。真崎は聖司の家の事情には一切口を挟まず、一人勝手にしゃべっている。あの時の写真を現像した、と真崎が持ってきたときも聖司は嫌そうにしたのに、ぺらぺらと一方的にしゃべって写真を押し付けられた。


「あの封筒に追加しといて」

 真崎にとってこの写真は何か意味があるらしい。


 聖司には不可解な写真だった。茜がほとんどなくなりかけている空を背景に、自分が微笑んでいるのだ。こんな顔しているのか、と改めて思う。顔があって、表情があって、己という存在があるのだ、と気づかされた。自分をどこか突き放している聖司には、違和感のある写真だ。


 真崎はあの日以降、部室へ顔を出し始めたらしい。この間写真部部長とばったり出くわしたとき、彼女から猛烈に感謝された。人を写すことに関しては辛口な評価をしたって、彼女は彼女なりに真崎を気に入っているのだ。いや、評価自体は全然辛くなかったか。むしろ彼女は真崎を好きなのでは……。そんな憶測を勝手にたてて、聖司は笑った。


 保健室の前を通り過ぎるとき、保健の岸田先生は聖司に気がつけばひらひらと手を振ってくる。意味がわからないまま頭を下げると、岸田はそれだけでうれしそうだ。

 担任の山口も同様だった。真崎と共にいる聖司を見ては、積極的に話しかけてくる。よくよく見ていれば、山口は笑顔が多くなったように思う。


 人間関係が以前より増えたことは、何となく理解していた。それが煩わしいと感じない自分がいることも。


 静かな日々を過ごしていたはずだったが――平穏は少しずつ崩れていた。その違和感に気付けないほど、ささやかに充実した日々は聖司を満たしていたのだ。


「これは、なぁに」


 夕食の準備をしていた聖司は、息を呑んだ。聖司の勉強机にしまった茶封筒が母の手にあったのだ。出しっぱなしにした記憶はない。火を止め、濡れた手を拭いて、母から封筒を受け取ろうとする。だけど母は手放さない。これはなぁに、と繰り返すのだ。


「友だちが……撮った写真です。理由あって預かっています」

 友だち、と口にするのが妙に照れくさかった。それを隠すように丁寧な口調がつっけんどんなものになる。だが母はそんなことなど気に留めない。


「友だち……、あなたの」

 ぼんやりとした態度のまま、母は封筒をしげしげと眺めていた。

「いけませんか。大切なものなんです」

「たいせつなもの……」


 聖司が母の手から取ろうとすれば、母はひょいと避けた。かあさん、と聖司が咎めると、母は封筒から写真を引き抜く。思わず封筒を奪おうとした拍子に、写真が散らばった。ぎょっとなったのは聖司だ。これは、大切な預かりものなのに。


 散らばった写真を拾う中で、母が一枚を手に取った。予想外の行動だった。母が手に取ったそれは、不思議な写真だった。やはり何を撮ったものなのか、一瞬わからない。


「きれいね」

 ぽつ、と母が微笑んで、言う。

 それまで母が何をするか注意深くなっていた聖司は、緊張をわずかにといた。母がこんな表情を見せるのはどれぐらいぶりだろう。


「これは、その友だちが撮った中でも気に入っている作品なんだそうです」

 母は、夢とも現ともつかないぼんやりとした状態でいる間は、温厚な姿を聖司に見せた。ぽろぽろと涙をこぼすこともあったが、静かに涙をあふれさせる。こんなときは、わめいたり暴れたりしないのだ。くしゃくしゃの髪からやさしい眼差しを見せる母がいると、聖司はいつも安堵してきた。

 ああ、昔の母さんだ、と。


「これは、何を撮ったものなの?」

「俺にもよくわかりません。今度訊ねてみます」


 微笑みを崩さず、むしろ内心あたたかな何かを満たしながら――聖司は母から写真を受け取ろうとした。しかし、母はその写真をそっと持ったまま「もう少し見せて」と言う。


 聖司は母の心が動いたことを意外に思うと同時にうれしくなり、そのまま写真をわたしてしまった。母親が封筒に入れてあった聖司の写真を、誠一さん、と繰り返し胸に抱くことを知らないまま。

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