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錆の聲  作者: 橘高 有紀
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04 執着

 部長だったのか、と聖司はぼんやり廊下を歩いていた。ハキハキした人だったな、と思ったところでため息をつく。結局押し付けようとしたはずの写真は、まだ手元に残っているのだから。


 真崎が何組かを聞いたおかげで、すぐにでも会うことはできそうだ。写真部部長からは逃げ回っているが、聖司に対しても同じだろうか。されたところで、追いかけるだろうか。


 真崎は何度断っても粘り強く追いかけてきた。学校がない日にも幾度か顔をあわせている。彼の撮りたいイメージに余程合っていたのか。

(どうしてそう執着できるのか)

 だれかに強く執着できることが、少しだけ羨ましくなる。そういったものを聖司は理解できないのだ。いや、したくないのかもしれない。


 ため息混じりに学校を出たころには、ずいぶん遅くなっていた。

 自宅から遠い高校を選んだ理由は、登下校に時間がかかることと、知り合いの大勢通う近所の学校に進学する気力がなかったためだ。母親と過ごす時間を自然に減らしたかった。そして、だれも自分のことを知らない場所が欲しかったためだ。


 村木さんのおたく、ご主人が事故で……

 ああ、聞いたわ。なんでも奥さんの妹さんと……

 奥さんが離婚に反対して……

 でもご存知です? あの奥さん、今ちょっと……

 ああ、知っているわ。ああなってしまったらお仕舞いよね……


 近所で噂が立てば、通っていた中学でも当然口の端に上った。学校側は事情をくんで具体的な説明を避けてくれたが、クラスの誰もが事件を知っていた。他県に一人住む祖母が心配してくれたが、聖司はそこへ逃げることさえ叶わなかった。――母がああなっている限り。


 鬱屈は澱となって聖司のこころを蝕んだ。それまで仲の良かった友人さえ、腫れ物に触るような態度をとった。聖司自身が何かをしたわけでもないのに、よそよそしく距離を置くのだ。教師も同様だ。機嫌を伺う言動と、問題児扱いするあの目が刺さる。迷惑だ、と口にこそ出さなかったが態度に表れていた。


 聖司は、高校へ上がってからは、これを気取られないよう注意していた。高校側もあの事件を触れずにいてくれた。一応担当教師は目をかけてくれるようで、さりげなく「どうだ」と話しかけてくる。どうだ、しか言ってくれないところが聖司はありがたかった。深く探られない限り、「特に何も」と笑顔で返せるからだ。


 しかし、あの事件を知られたくないがために敷いた他人との距離は、もろく崩れていく。たった一度の気まぐれによって。


「仕方がないな」

 少なくとも、真崎が写真部を辞める原因を作ったのは聖司だ。明日は探そう――そう決心を固めたときだ。駅前で、真崎を見かけてしまったのは。


 真崎は薄汚れた駅ビルの一つに入っていった。最上階でエレベーターを降り、迷わす歩いていく。古びた駅ビルは、閉鎖されたテナントやオフィスが多くずいぶん薄暗かった。三十年前は賑やかだっただろうその場所を抜け、非常階段を上がっていく。

 聖司は嫌なものをひしひし感じながら、声をかけられずそっと後をつける。関係者以外の立ち入り禁止を告げる格子にあった南京錠を外し、さらに奥の階段へ足をかける。その先にあったドアノブも、がちゃがちゃ数秒触るうちに開けてしまった。

(鍵でも持ってるのか?)


 赤い光と風が吹き込んでくる。やがて屋上へ出た真崎はフェンスのほうへ歩いていく。持っていたカバンを足元に置いて、頼りないフェンスによじ登り、向こう側へと身を乗り出す――


「おい! なに考えてんだよ!?」

 さすがの聖司も声を荒げ、金網から真崎を引っ張りおろす。真崎は電流が走ったように体を弾ませ「うわ!?」と悲鳴をあげた。文句を言おうと振り返ったのだろう。しかし聖司と顔を合せ、ぱくん、と言いかけた言葉を飲み込んだ。


「……なにか用」

 フェンスから無理やり降ろされた真崎が憮然とするが、怒りの眼差しで聖司は応じた。

「あんた、なに考えてんだよ。自殺でもしようってのか」

「は? 自殺? なんで? 俺が?」

 いぶかしげに問い返され、聖司は言葉に詰まった。勝手な思い込みだったらしい。二の句が告げない聖司を見て察したのか、真崎はすこし微笑んだ。


「ああ、夕日見ようと思ったんだ。ここからの景色、好きでさ」

 言われてみれば赤々とした空が真崎の向こう側に見えた。なんでもこのビルが駅前では一番高いらしい。フェンスによじ登った真崎はそこで腰を下ろす。手の中で弄んでいた鍵を聖司にちらつかせた。

「あの南京錠は簡単に空くんだ。屋上の鍵はこれ」

「そんなものどこで?」

「内緒。ここのビル管理甘いんだよ」

 昼間に比べて、少し冷えた風が真崎の髪を揺らしていた。


「……写真部、辞めたって聞いたけど」

「うん。撮る気なくなったんだ。なんか、一気に冷めて……何のために撮ってたのかもわかんなくなっちゃって、それで」

 存外さっぱりと真崎がしゃべるものだから、聖司は面食らう。写真部部長からの伝言も話せば、「あの人、人使い荒いから」と苦笑していた。予想ほど落ち込んではいないのか。しかし聖司が例の茶封筒を見せると、真崎は怯むようにふいと顔を夕日に向けた。


「……いいよ、もう別に。捨ててくれて」

「気に入っていたものだって聞いたけど」

「いいんだ。今見たらきっと胸糞悪い」


 拒絶の態度だった。聖司はその先の言葉を待って、夕日を眺める。空を遮るものが何もない高さだった。なぜか見覚えがある。そういえば、と聖司は階段のほうへ少し後戻りし、写真を一枚取り出した。ここの風景だと気づいたのだ。

 だが、この写真と景色は不思議と重ならない。足元の汚れたコンクリートと空と街との境目があやふやで滲んでいる。それに溶け込むようにフェンスがぼけているのも印象深い。「何を撮ったものなのだろう」ととっさに浮かばない風景なのだ。何気ないもののようで、どこにもないような、懐かしく感じるが他人を拒絶するような、あたたかさと冷たさが内包していた。

 聖司の好きな一枚でもある。


 真崎のなかに眠っているセンスは、独特のものだろう。こんな風に聖司とは違った世界を、彼は見ているのだ。罪悪感が再び聖司を襲った。アレは、真崎のフィルターにどう映ったのだろう……。


「付け回して悪かったと思ってるよ」

 聖司はハッとなって真崎を仰いだ。

「あんなこと探られちゃ、気持ちのいいはずないもんな」


 夕日の赤を全身に受けて、真崎の口角が押し上がる。だが、目はそれを裏切って切ない色をしていた。表情だけで「すまない」と訴えてくるのだ。写真を辞めた理由、気に入ったものがいらなくなった理由を待っていたが、真崎は聖司の沈黙を勘違いしていたらしい。聖司は目を伏せた。

「それはいい。こっちも悪かったって思っている。知って気持ちのいいものではないし」


「勘違いすんなよ」

 口調の変化を感じ、聖司は口をつぐんだ。

「言っとくけど、あんたが原因じゃないんだ。……元々考えていたことだ。俺は写真、向いてないって言われたことあったから。あんたのことはきっかけに過ぎない」

 突然の怒りに、どうしてと理由を尋ねれば「あんたに関係ないよな」と突き放された。少し聖司の癇に障った。愛想よい真崎しか知らないので、余計そう感じるのだろう。聖司は茶封筒を真崎に突き出した。のけぞった相手の眼前に持ってきてやったのだ。


「写真、捨てるんなら自分でやれ」

 たじろいだ真崎は、一瞬悲しそうな目をした。先ほどまでの怒りをたちどころに静め、背を丸めている。そして言うのだ。できない。あんたが捨ててくれないか、と。聖司は訳がわからなくなった。


「俺が原因じゃないって言ったのはそっちだろ。理由話そうともしない奴の言うこと、なんで聞かなきゃならないんだ」

「見たくないし、触りたくない」

「自分が撮ったもんだろ」

「そうだよ。写真撮るの楽しいって気持ちが、いっぱいつまってる」

「あの写真は自分で破ってなかったか」


 真崎が途方に暮れたように、押し付けられた封筒を見下ろした。あの写真たちは真崎の誇りにちがいなかった。それを胸糞悪いとか、破り捨てたくなるのは、どういう気持だろう。


「本当に嫌なら使う? なんなら貸すけど」

 言って、聖司が投げ渡したのはライターである。真崎がぎょっとなった。聖司はあまり表情を動かさない、いつもの態度でささやく。

「胸糞悪くなるんだろう?」

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