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錆の聲  作者: 橘高 有紀
12/16

12 注目

 登校すると、ざわめきが聖司を取り囲んだ。母が事故にあったと広まっていたのだ。


 またか。

 聖司は、そんな視線を煩わしそうに払う。担任の山口まで気遣わしげな目をよこしてくるのだから堪らない。SHR(ショートホームルーム)の間も密やかな噂は教室を覆っていた。山口からの発表や新しい情報が欲しいのか、他人の不幸に興味いっぱいの同級生が鼻につく。SHRが終わった後、聖司は教師を呼び止めた。


「あの、昨日はありがとうございました」

「いや……そんなことよりお母さんの具合は? 村木も大丈夫か?」

「はい。学校が終わってからようすを見に行きます。入院の準備もそうだし、明日は検査だし……すこし病院を往復することになりそうです。先生、特に大事ありませんから、そういうのやめてください」


 困ったように微笑んだ聖司を痛ましそうに見る担任は、眉を寄せた。そんなことを言われても納得できない、と表情が訴えている。山口の目には聖司が気丈にふるまっているように映るのだろうか。


「無理はしないつもりです。それに、騒ぎになって欲しくありません」

 教師の動揺は生徒の不安をあおる。それが聖司を無言で責めているのだと理解して欲しかった。今も聖司がこうして教壇近くにいると、クラスメイトたちの目が突き立てられる。

「それと、母の事故について隠すつもりはありませんから、先生も気にしないでください」


 じい、と見下ろしてくる山口はやがて諦めたように微笑んだ。それが少し、さみしそうに聖司には映った。

「……冷静、だな。困ったことがあれば何でも言ってくれて構わないぞ」


 はい、といつものように聖司は顎を引いた。一度こんな注目を受けていたせいか、心はずいぶん静かだった。もっと苛立ちや怒りが爆発するかと思っていた。いい加減にしてくれ、なんて叫ぶかと思ったが……こんなものかと周囲を観察できる余裕まである。予想通りの展開だった。少しだけ噂は立つが、すぐにみんなの関心も消える。いちいち聖司が傷つかなければ、動揺しなければ、大したこととして映らないはずだ。


「思っていたよりお前、落ち着いてんのな」

 休み時間、やっぱり現れた真崎が、弁当代わりのパンを五つほど鞄から取り出した。教室や食堂で昼をとらず、屋上に二人はやってきていたのだ。女子生徒たちがレジャーシートを広げ、数か所にかたまってしゃべり込んでいる傍らで、男二人も腰を下ろす。


「俺は普通だけど」

 聖司も今日は買い弁だ。弁当におにぎりが三つとペットボトルのお茶である。流石に昨日の今日で台所に立つ気がしなかったのだ。ははぁ、と真崎は聖司の返事にしたり顔をする。


「まぁ、親が事故だもん、そりゃ心配もされるでしょうよ。詳細だって知りたくなるもんだ。でも、お前が平然としてたら聞くに聞けないって感じ? きっとヤキモキしてんじゃねぇの」

「……へぇ」

「へぇって……お前無関心だよな。それじゃクラスの奴らかわいそうだろ」

「別に、隠してないけど」


 クラスに打ち解けていない聖司へ、いきなり深刻な話題を持ちかける勇者が教室にいなかっただけだ。ちらちらともの言いたげな眼差しが刺さっていた。そんな遠慮か好奇心かわからない無言の問いかけは、聖司からため息しか引き出せない。クラスメイトたちの事情など汲み取れないのだ。


「話聞きたけりゃ普通に来ればいいだろ。こうだったんですって聞かれてもいないのに説明すりゃいいわけ」

「お前さあ、自分の無関心オーラもうちょい引っ込める気ない? もっと空気読むとか」

「どうせ来週にはみんな忘れてる」

 真崎は返答に窮して唸る。

 そこへ聞き知った声がかかった。


「あー、二人とも、今日はこんなとこで弁当かぁ。珍しいじゃなーい」

 写真部部長のご登場だ。なんでここに、と仰天した真崎へ、彼女は目で別所に固まる女子をさす。どうやら彼女もここで弁当を広げていたらしい。そういえば三年の教室から屋上は近かった。基本的にこの場所は三年生が多いのだ。

 嫌そうな真崎に取り合わず、部長はスカートを押さえながらちょこんとひざを曲げた。


「聞いたよ、村木くん。お母さんが事故だって」

「はい。でも大丈夫です、軽いけがで済みましたから。ご心配をおかけしてすいません」

「ゴシンパイだなんてことないけど、そっか。重傷とか重体じゃないならいいの。もー、真崎がね、血相変えて学校飛び出して行ったもんだからさ。やめなさいって言ったんだけど」

「わー! 部長、何しにここにきたわけっ!?」

「何よ、いいじゃない。真崎ったらね、あいつは――」


 とたんに「わー!」という大声。思わず耳を手でふさぐと、いつの間にやら三人は注目の的と化している。写真部部長は肩をすくめた。顔を真っ赤にしてうなる真崎を「しようがない」と眺め、話題を変える。


「私も、噂を聞いてどうしてるかなって思ってたところだったの。――思ったより平気そうで安心した」

「俺は普通のつもりなんですけど……」


 同じようなことをまた言われる。しかもこれで三度目だ。そんなにも俺は頼りないのか、聖司は考え込んだ。クラスの奴らだって、親が事故にあっても無事だとわかればケロリとしているだろう。それともうちが母子家庭だからか。だが、写真部部長の彼女が聖司の家庭事情を把握していると思えない。


 聖司が口をつぐんだ隙に、今度は真崎がしゃしゃり出た。

「そーそー、だから騒がないであっち行ってくれって。デカイ声でぎゃーぎゃー言われると、困るのこいつなんだから。部長だってメシの途中っしょ。ほら、呼ばれてるしぃ」

「私は村木君を心配していたの! 普通そういうもんでしょ。私だってショックだったし気になるのよ。まったく嫌みな奴ね」


 パンを頬張りながら口をはさむ真崎に噛みつく部長は、聖司には笑顔を返して女子の群れへ戻っていく。聖司は、彼女の小さな背中を見つめてぽかんとしていた。部長の華奢な背に向かってシッシッと手を振っていた真崎が、それに気づいて「どうした?」と問いかけてくる。


「いや、心配するのが普通だって、言うから」

「いやいや、そこは感心するとこじゃないって。見知った奴の身内だもんよ、するだろ普通。うちの親が事故ったら心配してくれないわけ? 俺が凹んでないか考えないわけ?」


 そんなことは、と口ごもった聖司をそら見ろ、と言わんばかりに真崎が叩いた。

 息を吐き出して見上げた空は、青かった。水色がかった青い空で、きっとこれからが夏本番なのだ。血に汚れた制服は冬服だった。今は聖司も夏服を着ている。腕の包帯はもう取れた。


 雲の隙間を鳥がよぎっていった。空は碧くて、いつもと変わらない。こんなに奇麗なものだ、と気づかせてくれたのは隣でパンをかじる真崎だ。あの写真はモノトーンだったが、こんな鮮やかな色をしていたのではないだろうか。


「……中学とは違うんだな」

「そりゃあ俺ら成長期だし、いつまでも中学と同じじゃヤバくねぇ? ところで今度俺んち来いよ。うち、お前んとこほど家でっかくねぇけど、他の見せたい写真とか結構あってさ。犬もいるし猫もいるし、妹もいるし。ゲームとかやる? ……って、どうした?」

「いや……、誘われるのって久し振りで」


 言ったきり、ペットボトルをあおる聖司はバツが悪そうに目をそらした。らしくもなく照れたのが、自分でもわかった。ニッと真崎が笑って聖司の背を叩く。

「俺だって今度そっち遊び行くからさ! じゃあ決まりな! 今日でもいーぜ」

「だから今日は、行くとこあるっつってんのに」

「えー? ちょっとだけなのにー」


 笑い声や会話、くだらないことをして遊ぶ声。そんなものが心地よいと感じる自分が、聖司には少しくすぐったかった。

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