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錆の聲  作者: 橘高 有紀
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01 真崎

 図書館が聖司は好きだった。街中にあるのに、そこだけが異質な空間のように思えるからである。日々の喧騒から遠ざかれるあの雰囲気がいい。外観も好みだ。木々のまばらな囲いと煉瓦造りの大きな建物が、真新しさを打ち消しているところが。ちょっとした噴水があるのも好きだ。中に入れば一生通っても読みきれそうにない蔵書だって山とある。


 この中央図書館に週末通うのが、ささやかな聖司の楽しみだった。そう、過去形だ。その理由は――目の前の人物にあった。笑いをこらえながら漫画を読みふけっている少年で、名前は……真崎亮平といったはず。


 二週間ほど前から聖司にくっついて来るのだ。本来なら普通科の聖司とは顔をあわせることもない、商業科の生徒である。写真のモデルをして欲しいと、ある日言ってきたのだ。唐突な申し出は即行で辞退したが、なぜかこうして付いてくる。


 聖司は、気味が悪いと思いながらも無視を決め込んでいた。こんな変人と関わりあいになりたくなかったのだ。元々人付き合いを避けてきた聖司だ。クラスでも孤立するタイプを地でいっている。


「なぁなぁ、これ知ってる? あ、お前もしかしてこういうの読まない? ここ堪んなくてさあ」

 だが、真崎のほうは聖司の意図など眼中にない。本に集中したい聖司はかすかに眉を寄せながらも、返事はしなかった。しかし一方的な会話はだらだらと続き、話が止んだと思えば笑い出す。非難交じりの視線が八方から集中するのも、気がつかないのか。我慢の限界に達した聖司はとうとう口を開いた。


「図書館ぐらい黙ってられないか」

 不快だ、と顔に書いて軽く睨みつけると真崎はへらっと笑った。

「だぁって、ずっと本読んでるだけじゃん」

 ここは図書館だぞ。と思った聖司の思考を読んだように、真崎は続ける。


「天気イイのに閉じこもっちゃって、うずうずしねえの。外行こうぜ外。つまんねぇよ」

「一人で行け」

 とっとと失せろ、とばかりに本を持って立ち上がった聖司の腕を、唐突に真崎が取った。

「モデル、してもらう約束は?」


 つかまれた手を払い、聖司は目当ての本棚へ向かって歩き出す。人の集まっている通路を横切って、煩わしそうに髪をかきあげた。本に囲まれたここは、誰にも干渉されない場所だった。他人だらけの孤独な図書館が、聖司には心地よかったのだ。それなのに、集中することさえままならない。何のためにここへ来たのかさえ、わからなくなる――


「おい、顔色悪くねぇ? なんか真っ青?」


 思わずため息をついたところで横合いから声が響く。ぎょっとなった聖司は、気遣わしげな真崎から二メートルほど距離をとった。そのとたん手に持った本を落としてしまい、イライラを増長させてしまう。知らず、舌打ちしていた。


「ついてくんな。男撮ってナニが嬉しいわけ」

「あー……男がいいんじゃなくって、女が面倒臭いだけっつーのか。こっちは被写体……んにゃ、イメージとしか見てないってのにすぐ彼女気取りだしさ」


 好きになる女のほうが悪いと言うような口ぶりに、聖司は嫌悪を抱いた。大方、こんな風に付きまとって口説き落としたのだろう。好意を勘違いするのも当然ではないのか。

「それなら、俺じゃなくていいはずだ」


 口の端で笑った真崎は、すい、と本棚を視線でなでている。

「俺、人間撮るのって苦手なんだ。ホントは風景のほうが得意でさ」

 聖司がいぶかしげになった。

「でもあんたは雰囲気が面白いよ。無機質で冷たい、でもぱっと見、受ける印象は穏やかな感じ。うまく言えないんだけど、俺、あんたの作る空間が好きなのかも……ってことじゃ理由にならない?」

「意味不明なんだけど」


 冷たい目が真崎を貫く。そんな反応を予想していたのか、真崎は肩をすくめる。奴自身は、そういったこだわりがないらしい。


 人を撮るのが苦手な理由は、その人物個人の個性を写さないからだと言った。撮りたいように撮ることが好きで、モデル側の「見せたい部分」は二の次になる。それでも何枚かは挑戦し、コンクールにも惜しいところまでいった、と言う。


「人間ってイメージ通りになかなか撮れないんだ。表情引き出すのも面倒で、いろいろ口説いてご機嫌うかがうんだけど、満足いったのって一枚もない。だから個人じゃなくていいやって思ってた。でも、村木の場合最初から雰囲気面白くて。うん、なんか印象深い感じがして」


 あんたを壊したら面白そうな絵、撮れそうな気がするんだ。と、屈託なく真崎は笑う。


 ぞくり、と聖司の背筋を這ったのは悪寒か。こいつは危険だ、と何かが警報を鳴らした。楽しそうにしゃべる真崎が、ずかずかと自分の領域に足を踏み込んでくるのがわかる。

 まだ何か話している写真部員に聖司は背中を向けた。頭痛がする。だが、こいつが付きまとってくる限りこのイライラや頭痛はおさまらない。


「待てって。あんたちっとも人の話聞かないよな、愛想なし。だからクラスで浮いてんだってわかってる? 俺はそこがイイな、とも思ってるけど。ああ、それは置いといて!」


 目をあげれば、真崎が進行方向を塞いでいた。眉間にしわを寄せる聖司に、奴はずっと持っていた大判の茶封筒を突き出してくる。何、と目だけで問いかければ、「いいから」と押し付けられた。それきり真崎は聖司の視界から消える。図書館の出口へとすたすた歩いていったのだ。


 ほっとしたのは、否めなかった。誰かと一緒にいるのは煩わしいのだ。もしかしたら真崎は、これを手渡しに来たのだろうか。少し罪悪感を覚えながら、B5の用紙がそのまま入る封筒をあけてみた。すると、出てきたのは十枚ほどのモノクロ写真。


 コントラストの強い陰影のはっきりした風景から、植物や人物まで無節操に撮ってあった。どれも白黒で、何を写したのか咄嗟にはわからないものが多い。よくよく見て「これはもしかして」と、思うのだ。

 例えば、錆びているだろう空き缶の底から夕日を写したもの。新聞を燃やしてその穴から逆光の人物を撮ったもの。池と逆さまに写る桜の木。不思議な影の浮かんだ女の子…

 自然のはずなのに人工物のような印象を受けるものが多かった。モノトーンなせいか、どれを見ても無機質っぽく見える。


 聖司はついその場で写真をめくっていた。なぜか強く惹かれた。言っていたように、真崎にしたら、人は写真という空間のパーツでしかないらしい。そのモデルそれぞれの個性より、モデルの形をモノとして彼は捉えているのだろう。不可思議な、加工したような写真が関心を引いたのかもしれない。


 無心になって写真を見つめていた聖司は、最後の一枚でぎくりとなる。自分の姿がそこにあったのだ。

 廊下の窓際に姿勢よく立つ聖司を、横から――恐らく階段の踊り場辺りから仰ぐかたちで撮られたものだった。他の生徒も写り込んでいるが、中央にいない聖司へ目が向かってしまう。何気ない日常の一コマだが、不思議と印象深い一枚だった。


 これが、真崎の目に映る聖司の姿なのか。奴の言っていた「面白い雰囲気」とはこれなのか。自分ではない気がして、聖司は右手で顔を覆った。

 確かにうまく撮れているが、こんなものは虚像だ。これは真崎のイメージであって聖司ではない。これを求めているのであれば、いい迷惑だった。こんなもののために、付きまとわれていたのか。


「写真、みた?」


 その日の夕暮れ、閉館間近の図書館から出てきた聖司を待っていたのは真崎だった。呆気にとられる聖司に構わず、笑顔で彼は感想を尋ねてくる。封筒を少し誇らしげな真崎に返し、聖司は気に入った写真を伝えた。惹かれた事実を隠さなかったのは、あの写真が引っ掛かったからだった。


「最後のも、お前が撮ったやつ?」

「そそ。でも納得はしてないんだよな。あんたにはどう映った?」

「……らしくない気はした。写真なんかわからないけど」

 この一枚だけがカラーなせいだろうか。そう付け加えると、真崎は苦笑する。どこか照れたような笑いにも見えた。


「他の奴にも言われた。お前こういうのも撮るのかってさ。俺自身そう思っているから、やっぱなぁ」

 この写真に限っては、聖司を写しているのだ、と真崎は言った。他の写真はその形を撮るのに対し、被写体をメインにすえているのが違和感の原因だろう、と。


「咄嗟に撮ったものだから自分でも妙な感じなんだ。でも、気に入っている。ちゃんとモデルを撮れた気がするから。人を撮るってこんななのかなぁって思えたんだ。因みにぃ、あえてど真ん中からは外してるのは狙ってだから。その方が異質さが際立つだろ?」

 屈託のない表情はくすぐったそうだった。だけど、真崎はすぐに顔をしかめる。


「でも、俺の写真じゃない気もするんだ。だから、今度はちゃんと撮らせて欲しいな、と」

「いい加減しつこい」

「だぁって、あんたも違和感あるって言ったじゃん。いいだろぉ、減るもんじゃなし」


 知るか、と思いながら聖司は足早に歩く。真崎の自己満足になぜ己までが巻き込まれなきゃならない。こういった身勝手な人間は嫌いだった。しかし、ふと足を止めて聖司は振り返る。


「異質……? 俺の何が?」

「えっと、雰囲気とか? なんか普通と違う感じあんじゃん。見た目もイイしさ」

「……そう言えば俺を壊したいって」

「いやいや、壊すっていうのはものの例えね。俺の手入れた絵、撮りたいって意味」


 それこそあれだ。いつものあんたらしくない奴だと面白くない?

 茶化すように歯を見せた真崎を刹那凝視し――笑わない面に聖司は初めてくっきりと笑みを刻んだ。夕日に照らされた真崎が怪訝そうにするのさえ面白かった。



「じゃあ、付いて来ればいい」

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