男親の病
世の中には様々な愛情表現と言うものがある。
家族に対する親愛や友愛。
それら何かに対する愛は尊くまた美しい。
しかし、何物にも限度と言うものがある。
我が国の言葉で、行き過ぎた関心や執着等は病気と呼ばれる。
それは愛するという行為そのものにさえ、例外は無いのだ。
これはそんな男親たちの病気のお話である。
足音が陰鬱に反響し、おどろおどろしい雰囲気を作り出すように造られた廊下を、靴音も高く駆け抜ける男がいた。
本来ならば、主人が一歩を踏み出すごとに重厚な空気を演出し、所有者の威厳を高める効果があったであろうが、今はただ、間の抜けた反響音を騒々しく後に残すだけの役にしか立っていない。
二昔前の洋式軍装を身に纏った男は、擦れ違う人々に目もくれず、ひたすらに奥を目指し、目的の広間目掛け、驚く衛兵の間をすり抜け、体当たりするように扉を開けた。
過剰なまでに装飾の施された両開きの扉の奥、豪壮な衣装に身を飾り歓談する人物の中に、目的の存在を見つけると、男はあらゆる礼節と作法を無視した。
「陛下! 姫様が! お姿を隠されて仕舞われました!!」
男の急を告げる言葉に虚を突かれた男は訝しげな顔をし、そして、次第に内容が頭にしみ込むにつれ、顔色を失くした。
「何――――――――――――――!」
後に、『あれも人の親だった』と語り継がれる第63代魔王ログラの発病の瞬間である。
ズゥのお出掛け
2012年、マヤ暦で言う世界最後の年。世界を激震させる事件があった。
世界のあらゆる海の海底が隆起し、幾つもの島が現れた。各国は早速、それらの島の領有権を得るための行動を開始した。しかし、派遣された調査隊は驚愕の情報を持ち帰ることになった。これらの島々には、既に人が住みついていたのである。
これらの島々には巨石文明の名残と思われる建造物が立ち並ぶ都市があり、海中から隆起したにもかかわらず、島には畑や森までが存在していた。
偵察に赴いた偵察機から送られる一連の映像を、関係者らが固唾を飲んで見守るなか、カメラは偵察機に向かって飛ぶとてつもなく巨大な翼を持つ爬虫類の背に跨った人の姿を捉えた。
これが魔族と人類の最初の接触となった『竜騎兵』事件である。
度重なる衝突と交渉の末、彼らの文明が古代に存在したと思われていた伝説の海洋文明の末裔であることが明らかになった。
かつて世界規模の大洪水に見舞われた際、箱舟伝説と共に沈んだ文明は超自然の力でその命脈を保っていたというのだ。
地脈の力で保たれていた彼らの文明は地殻変動の影響で再び地上へと還ることが出来たのだが、地脈の力を受けて育った彼らは魔力とも呼べるものを身に付けた民族へと変わっていった。結果、地上人との間に大きな隔たりが生まれていた。
「……とは言うけど、全然変わんないじゃん」
手にした小冊子、『フェンツ公国の歩き方』から薄紫色の目を上げ、通り過ぎる人々を眺めたズゥの感想はそれだった。
実際、外見に魔族と地上人の差は存在しない。多少魔族は肌が白いという特徴が上げられるが、元が同じ人間であるだけ、北欧近辺では殆ど見分けがつかないほど似通っている。
「あ~ぁ~。こんなことなら苦労して脱け出さなくってもよかったじゃん」
公園の生け垣のブロックに腰掛け、パタパタとブーツに包れた脚を揺らしながら大通りを見詰め、ズゥは軽い失望を味わっていた。
フェンツ公国は欧州の小国だが、テルワ島嶼王国にとっては最も近い地上人の国になり、国力も似たり寄ったりの両国は特に争いあうこともなく、それなりに協力し合う姿勢を見せていた。
その為、比較的行き来のしやすい国と言えるのだが、御歳六歳のズゥはたった一人でテルワを脱け出してフェンツ公国を訪れていた。
「確かに珍しいものが沢山あるけど、これじゃあ別世界って感じがまるでないじゃん」
苛立つように靴の踵をブロックにトントンとぶつけていると、ズゥの方へ二人組の男が近づいてきた。
怪しんで見つめていると、二人は困った様に顔を見合わせ立ち止まり、やっぱりズゥの方に近づいてきた。
ズゥの目の前まで来ると、二人組の内、どこか気の弱そうな方が話しかけてきた。
「あ~。君、ちょっと良いかな?」
「人に物を訪ねるときは、自分から名乗るのが礼儀でしょ」
釣目がちの瞳で正面から見据えられ、男はたじろいだ様子を見せ、隣の男と相談を始めた。
「やっぱりだよ。このお嬢さん、あっちの国の子だよ。どうしたもんかなぁ?」
「マニュアル通りに対応するのが一番だろ」
「でもこの子の様子じゃあ、ただの子供じゃなさそうだぜぇ」
二言三言言い交わすと、今度はもう一人の方がズゥの前に進み出た。
今度の男はズゥの前で膝を降り、制帽をとっては胸にあて、一礼した後に口を開いた。
「私はファロスと申します。我々はフェンツ公国警察に奉職しております。先程は相棒が失礼をいたしました。なにとぞ我らが職務にご協力いただけますよう」
一定の礼節に適った態度と言葉を受けると、ズゥは自然に身につけた振る舞いで答えた。
「許す。役目御苦労」
少女の仕草と言葉遣いに、ファロスは背筋に嫌なものが流れるのを感じた。
「ありがたく存じます、レディ。早速ですが御遜名をお教え願えますか?」
「ズゥ・タルナク・ログ・テレニィス。父はログラという」
ズゥの言葉を受けて、ファロスは身を強張らせた。
「で…は、テルワ島嶼王国の姫殿下であらせられる……」
苦しげな息のもとでしぼりだされた言葉に、ズゥは鷹揚に頷いた。
「なんでお姫様がこんな所にいるんだよ」
ファロスの相棒は面倒事に巻き込まれた不運を呪った。
テルワ島嶼王国首都、海嶺宮
ズゥの出奔を知らされ、ログラは平静を失ったと言っていい程に狼狽していた。
「今すぐ捜索隊を出す訳にはいかんのか」
評定の間にて側近達を前に、ログラは再三同じことを繰り返していた。
「なりません。捜索の手の者を送り込めば、姫様の不在を気取られてしまいます。まずは姫様の身を案じるために、ごく少数の者で様子を窺いに行かせておりますれば」
ログラの主張は直ぐにでもズゥを連れ帰ることなのだが、テルワ島嶼王国はその存在が地上世界に認められてから日が浅い。諸外国の中には降って湧いたような島嶼王国郡を快く思っていない国も多いのだ。
そんな国々にとって、王族の姫を保護した。と言うのは外交上かなり有効なカードを手に入れるのに等しい。
もっとも、現代社会の外交では相手側から何らかの譲歩を引き出すという使い方になるはずだが、政治形態から常識の範疇まで地上人と数百世代分の隔たりがある島嶼王国では、ズゥの命と引き換えの交渉が行われると懸念しているのだ。
「しかしだ、今、ズゥはたった一人で見知らぬ国にいるんだぞ! どれ程心細い思いをしていることか?」
……つまるところ、ログラが懸念しているのは、外交とかそんなのはどうでもよく、溺愛する娘の身を案じているだけなのだった。
「陛下、そう悲観されたことでもありませんぞ。かつて、陛下がまだ殿下の身分であらせられた時分、陛下もお忍びでお出掛けになったことがおありでしょう」
ログラを慰めたのは幼少時からの知己であり、無二の信頼を置いている重臣の一人だった。彼との出会いは、正しくそのお忍びの最中であり、得難い友を得る機会が意外な所に在ったと、折にふれてログラは話していた。
「そうだな。そう考えれば見守ることも一つの……」
今回の出来事も、ズゥにとって勉強になるだろうかと、安心しかけたログラの顔は、不意に固まり、次いで白く、色を失くしたかと思うと怒りの形相を浮かべ、何故か打ちひしがれた。
「いやいやいやいや、まだ早い、ズゥにはまだ早いぞぉー!!」
この時、ログラの頭の中では次の様な妄想が繰り広げられていた。
ズゥに友だちが出来る。そうでなくとも、いい経験になるだろう。そうだな、どんな友達が出来るだろうか……男…だと。いやいや、同年代の男子と知り合うことも消して不自然ではない、不自然では……子供でなかったら……、誰だその男は!? うちの娘に一体何をする気だ! え、何故!? 分からず屋のパパは嫌いってどうして!?
これが、娘を持った男親に発症する病気『父親病』である。
この父親病と言うものには発症までのパターンがいくつか存在する。大概の父親病は生まれた娘が大きくなり、男友達と付き合い始める頃に発症する。
この様な時、男親は娘に対して過保護な態度に出る。これが父親病の典型的な症例である。
ログラの場合、ズゥがあまりに早く独り立ちしたと錯覚し、また、彼女の身を心配するあまり父親病を発症していた。
この様な状態に陥ると、娘に対して、完全にバカな父親となり、ほぼ役立たずになる。
「呆れるわね」
冷やかに評したのはログラの妻、アルトゥ王妃だった。
ズゥの行方不明を知らされた時のログラの絶叫は自身が持つ魔力の波動に乗り、親族や近しい家臣団の全員に強制的に発信されていた。その為、アルトゥは園遊会に出かけていたにも拘らず、呼び戻されることになってしまい。公務を疎かにせねばならなかったことで、幾分気を悪くしていた。そこへ、この様なログラの醜態である。正直、彼女はもううんざりしていた。
「あの子だって無力なばかりの子供ではないのよ? 力も使えれば分別も持っているのだから、少しは落ち着いたら良……」
ログラを説き伏せようとした矢先、バルコニーから直接評定の間の中へ侵入する影があった。直ぐ様近衛の兵による警戒が敷かれようとして、彼らの緊張は忽ち消え失せた。影の発した言葉で、もう闖入者が王宮内に入り込むという異常事態を引き起こした人物の正体が明らかになったからである。
「兄上ぇ~! ズゥが一人で出かけたというのは本当ですか!?」
窓から侵入を果たした男は、全身青を基調とした衣装に身を包んだ中年の男だった。
「おお、コルサン、そうなのだよ。私は心配で心配で」
「わかります、ご心中、痛い程に分かります」
コルサンはログラの二つ下の弟で公爵の位を持っており、ズゥにとっては叔父にあたる人物だった。
「ズゥは船に紛れていってしまったのですな? ああ、私が庁舎に詰めておらねばこの様な事にはならなかったものを」
コルサンはテルワの海軍を一手に率いており、諸外国を行き交う主要な手段である船舶の出入りを管理する立場にある。
普段は港の管理舎に詰めているのだが、この日は中央庁舎に赴く用があったのだ。それを心得ていたからこそ、ズゥはこの日に抜け出したともいえる。
このコルサンという男もやはり発病している。コルサンの場合は父親病の亜種とも謂える。ある童話にたとえれば『あしながおじさん病』とも言えるだろう。
元々コルサンは将来子を授かったならばどのようにしてやろうと考えている類の男であり、先天的に父親病を患っていた。しかし、現在まで、コルサンとその妻の間には女児は生まれておらず、子供は二人の息子だけだった。
それがある日、三歳になったばかりのズゥと会った時、たどたどしい口調で『おじ様』と呼ばれた瞬間、コルサンは発症した。この様に内包していた感情が爆発的に噴出した症例を『劇症型父親病』と言う。
以来、コルサンはズゥに対して完全に甘い叔父であり続け、その身を案じることに掛けてログラに引けを取らない。
「今すぐ騎竜を駆って探しに行きたいところだが」
騎竜は島嶼王国が保有する特殊な生物群の中で、軍用の騎乗動物として知られる爬虫類種の総称で、コルサンの様な貴族は羽根付きと呼ばれる翼竜種に騎乗している。コルサンがベランダから現れたのはこのためで、今そこには窮屈そうに白い翼竜がとまっている。
無論この様な騎竜が地上世界の街中に現れれば、パニック映画さながらの混乱を引き起こすのは間違いなく、確実に空軍の出動騒ぎにまで発展するだろう。
その点に考えが及ぶ辺り、コルサンはまだ理性的と見えたが、不意に、思案顔になると「それも手だな」と言い始めた。
コルサンの中では不安に怯えているズゥのもとに、白馬の騎士ならぬ白竜に乗った叔父様が颯爽と現れてズゥを救いだすという構図が描き出されていた。そうなれば、ズゥは感極まって私の下に駆けてくるだろう、その姿は目じりに涙を浮かべているかもしれない。可哀そうに、もう大丈夫、抱き上げてそっと涙を拭ってやろう。大丈夫、私がいる。
何か決意を秘めた顔になると、コルサンは早速ベランダに向かって踵を返したので、それを押しとどめ思いとどまらせるためにまた評定の間は大騒ぎになった。
「陛下。いま、王女殿下を発見したとの知らせが」
伝令官は魔術を介して直接頭に響く別の伝令官の声を聞くために寝ぼけたように目を細めた。
そのまま意識を研ぎ澄まそうとする所へ、ログラやコルサンばかりか王妃や重臣達までが一度に詰め寄ったため、伝令官の集中が乱れてしまった。そのため途切れた思念しか受け取ることができないまま、断片のすべてを口にしてしまった。
「いま、王女殿下は……二人の男……と一緒だと……」
言葉が終らぬまま、評定の間に魔力の嵐が吹き荒れた。
狂奔者たちの苦悩
フェンツ公国警察の警官二人を伴って、ズゥは公国の港町の商店街を歩き、ウィンドウショッピングを満喫していた。
ファロス達はズゥが王族と知るや否や、直ぐに態度を改めようとして結局果たせなかった。王族と接する機会などないため、改めようがなかったのだ。
辛うじて、ファロスが連れの人間の有無を確認することは出来た。そしてズゥが一人だと知ると、仰天し、即座に保護を申し出た。
「この国には未成年の独り歩きは補導される法でもあるの?」
と切り返されてしまった。仮にも王族であるズゥをどのように扱っていいかなど、平の警官二人組に知りよう筈もない。
テルワはフェンツ公国に大使館を持っていないため、具体的にどう対応するかのマニュアルもないのだ。もしこれで、ズゥが密入国と言うことであれば、補導することはやぶさかではないが、ちゃんと渡航許可証を所持し検印も済ませていた。
彼らが最も苦慮したのは、王族のゴシップに対する対応である。フェンツ公国も貴族の習慣が残っており、王族のゴシップネタは厳禁で在り、可能な限りそれと知られないように処理をするのが暗黙の了解としてまかり通っているのであった。
二人は、それをズゥに対しても用いるべきかどうかで、苦慮し(最終的な決断はファロスに押し付ける形で相棒は投げた)それとなくズゥの身柄を守りつつ、観光に満足して帰って貰うことにしたのだ。
当初の思惑はこうだったのだが、二人はよほどその見通しが甘かったということを、今になって思い知っていた。
ズゥの、と言うより、王族と云えども小女の好奇心と行動力を侮っていたのだ。
とにかく、ズゥは退屈していたのかどうかわからないが、二人を伴って町の中心まで行くと、そこに在るものに片端から手を出して行ったのである。
まず、露店を一通り眺めた後、衣類店や宝飾店は無論小物から置き物、家具に到るまで、ズゥの興味の対象は尽きることがなかった。
分からないものがあると、ズゥはファロスを呼びつけて尋ねた。ズゥの名前を尋ねた時のファロスの態度はそれなりに礼節に則っていたため、ズゥは大いに気を良くし、ファロスを気に入ったようで、従者の如くこき使っている。
「そういえば、お前たちは私がテルワの人間だと分かっていたようなことを言ってたんじゃん? 何で分かっちゃったんじゃん?」
二人を見上げたズゥはその場で軽く一回転して見せた。服もちゃんとこっちに合わせて来たのにと不思議がる様子には、思わず相好を崩してしまった。
「なんで笑うじゃん? どっかまちがってる?」
どちらかと言うと、ズゥの服装に誤りはない。しかし、格好そのものが違うのだ。
ズゥの服装は赤と黒のチェックの縁取りがなされたワンピースタイプの服を着ていたのだが、フリルの量が多く、幾重にも布を重ねた造りをしていた。おまけにスカートがとても長かったし、袖もきっちり手首まで覆っている。
造りは今風でも着こなしが産業革命の頃の女性物と同じで、肌の露出が手先と顔ぐらいしかないのだ。
きょう日の女の子でここまできっちりとした格好をする例はほとんどない。テルワから訪れる女性に多くみられる着こなしなのだった。
「もうちょっと簡単に着るってこと? はしたないじゃん」
そう言って聞き入れない風を装ったものの、最初に立ち寄った衣類店で半袖のワンピースを手にとっていた(やはり抵抗があるのか試着はしなかった)。
さらに幾つかの商店を回った後、ズゥは美容院の前で目を輝かせた。
「ここ絶対寄んなきゃ」
そう言って、ズゥは一時間以上も出てくる気配がなかった。
この間に、ファロス達二人はようやく一息つくことが出来た。
「しんどいな~。まともに犯人追いかけるより疲れるぜ」
喫茶店の席に腰を降ろして直ぐに、ファロスの相棒はぐたっと脚を投げ出した。
ファロス自身は警察官の対面を取り繕う様に、澄まして椅子に座っていたが、内心は同じ様に脚を投げ出したい気持ちでいっぱいだった。
「定時のパトロールが終わるまで後一時間半、その後はどうするよ?」
「それまでに切り上げて貰うかしかないんじゃないか?」
そうは言いながら、二人はお互いに「あのお姫様じゃそれはなさそうだ」と思っていた。
そんな二人を離れた所から監視する目があった。
テルワの伝令官と、もう一人、十代の少年であった。
「どうやら、二人は公国の警察官の様ですが」
「だとしても、安心はできないぞ? 政府と繋がってるんだ」
「妹君が心配ですか?」
伝令官が砕けた口調で言うのに、少年は真面目に返した。「当たり前だ。王宮の父上達の様子を見ろ、あんなに慌てふためいて、『軍を出せ!』なんて息巻いてるんだぞ?」
伝令官同士のやり取りが乱されたことで、断片的な情報だけが伝わってしまい、ログラとコルサンはズゥが誘拐されると、もはや手のつけられない有様だった。
そこで、ズゥを助け出すため、フェンツ公国に内密に留学していた次男のアルクに声がかかったのだ。
伝令官と合流したアルクは、ズゥが二人の警察官と思しい人物を従えていることに始め戸惑い、やがて納得した。
二人はズゥのペースに引きずられているのだ。
そう理解したアルクはズゥを単に連れ戻すことやめ、見守ることに徹すると決めた。
このアルクも父親病の如きものを内包してはいるが、この場合は横暴なガキ大将から妹を守る兄の心情である。いずれこの感情も別の病気へと昇華する可能性はあるが、今のところ、アルク達は遠見の術で様子を見る以上の行動はしなかった。
そうするうち、ズゥが美容院から出てきた。二人の位置からはズゥの姿が背中からしか見えないが、どうやらズゥは髪型を大胆に変えたらしい。シルエットが美容院に入る前と大きく変わっている。
そればかりか、ズゥの姿を認めた途端、二人の警官は見入った様にズゥを見つめ、道行く人々もズゥの姿をふり返っている。
「どうやら御髪を結い直されたようですが…」
伝令官がズゥ達の様子を窺う間に、アルクが隠れていた建物の二階から落ちた。正確には堕ちるように降りた。
「殿下っ、殿下!? どうしちゃったんですか」
「ズゥが髪形を変えるなんて予想外だ! 髪を上げていたらどうする! そんなことまだ早いぞ! お兄ちゃん許さないぞ!」
うなじを見せるような髪型は女性の中でもレディとなった頃にするものと言う風習がかつてはあったが、テルワではそれはさらに厳格に守られていた。
そして、現代最新の技術によって手入れがなされたズゥの髪は後姿でも素晴らしく艶やかに映えていた。その姿を正面から見ずにはおれないという衝動に突き動かされ、アルクは行動していた。
……遂にアルクも何かの病気を発症してしまったようだ。
美容院から出たズゥは自慢げに髪風に靡かせていた。それまでは長髪を背中に向かって垂らすだけの簡素なものだったが、美容師たちの手によって編み上げられたサイドテールが追加され、青味がかったプラチナブロンドの髪を殊更に美しく見せていた。
「たまげたなこりゃ」
「なんともかわいらしい」
二人の感想は洗練されてはいないが、十分ズゥを満足させた。
「やっぱ、こっちの香油はすごいじゃん。髪も艶々ですべすべになったじゃん」
ズゥの髪には掛け値なしに天使の輪が浮かんでいた。それまでも愛らしかったズゥの容姿は正しく天使のようになり、男やもめ二人の心を捉えるのに十分だった。
この瞬間、ズゥはフェンツの心の中に娘に対する憧憬を芽生えさせ、『先天性父親病』の芽をまいたことを知らない。
ご機嫌なズゥに対して、二人は申し訳なさそうに顔を見合わせた。
「殿下、申し訳ありませんが、そろそろお別れの時間が近づいております」
「なんでじゃん!」
ズゥは怒った様に二人を振り仰いだ。
「我々の交代の時間なのです。これ以上は職務を離れる訳には参りません」
「そんなのダメじゃん! 一緒に来るんじゃん! わたしはここのお祭りを見に来たんじゃん! 見るまで帰らないじゃん」
途端にききわけを失くし。次いで傷付いた様な眼でファロスを見上げた。心苦しくはあったが、公務を放り出すわけにはいかない。
「残念ですが」
「もう知らないじゃん!」
背を向けて歩き出すズゥに向かってファロスが足を踏み出した途端、ズゥの姿が不意に欠き消えたように無くなってしまった。
そして、それを不自然に感じられなくなっていた。
「やられた」
ズゥ達の一族が魔族と呼ばれていたことを完全に失念していた。
「まずい、ズゥを見失っちゃったぞ!?」
「殿下が気を抜かれるからです! 王族級の魔力は私達には追えないんですぞ」
「だってあんなにかわいいんだぞ? 愛でない訳にはいかないだろうが! とにかく探せ!」
最早役立たずと化した兄達を後に残し、ファロス達はズゥを探しに動いた。しかし、どこへ向かったのか手掛かりさえ分からなかった。
父親達の挽歌
追手の二人を撒いたズゥは肩を怒らせて一人ずんずんと歩いてゆき、祭りのパレードが見れる通りに一人で陣取った。
「まったく、気が利かないったらないじゃん」
パレードの時間まで、ズゥは適当に祭り見物をして時間を潰していた。そして、夕暮れに差し掛かった辺りでいよいよ雰囲気が盛りあがり、パレードが始まった。
過去に起こった戦におけるフェンツ公国の勝利を記念して行われたのが起源とされるこの祭りでは、往時の軍団の姿に扮装した人々が行進するパレードが一番の目玉だった。
音楽と共に行進する騎馬の列は高々と軍旗を掲げ、当時の威容を誇らしげに見せていた。また、その後ろには有志で参加した市民達の扮した兵隊が続く。こちらは統一感が実に微妙な具合に整った仮装行列の様子を呈している。
「くぅ~。これこれ、こういうのが異国情緒ってもんじゃん。テレビやラジオよりも生が一番じゃん」
千年規模で隔たりのあるズゥ達テルワの住人の感覚では、車や電気製品といった道具よりも、こうした人の列といった者の方が遥かに共感しやすく、興味を引いた。鮮やかな色使いや装飾などにはとても大きく心を振るわされるのだ。
パレードの行列が近づくにつれて、見物する人々の動きが乱暴になり、ズゥの前にも人が割り込んでしまった。
「ちょっと、前が見えないじゃん!?」
抗議の声を上げても、祭りの喧騒に飲まれて聞き届けられることはない。その内、人の流れが出来て、身体の小さなズゥは流れに飲み込まれてしまった。
「何するじゃん、どくじゃん、も~!」
ようやく、足場を確保できたと思ったら、そこもやはり人で埋まっていた。
「あ~っもう! 髪ぼっさぼさじゃん、せっかく綺麗にしたのに」
ふと眼を上げると、ズゥは急に不安に駈られた。自分がどこにいるのか分からなくなってしまったのだ。
目印にしていた建物を見つけようと顔を上げても、見えるのは大人の顔や背中ばかり。そしてまた新たな流れに押されてしまう。
「ちょっと、やめっ、私は動きたく無いじゃん。やだ~」
ようやく流れから解放された時は、祭りの大通りから完全にはぐれた所にいた。
「~~~~~~~」
祭りの期待を打ち砕かれ、惨めな思いをして、目に熱いものがこみあげてきた。
それでも我慢した。自分で出て来たのだから我慢した。
一人になってみたかったのだから。一人でやってみたかったのだから。
だから、我慢した。
背中に靴音が聞こえても我慢した。
それが近づいてきても、我慢した。
けれど……。
「見つけましたよ、レディ」
優しくされたら、見つけて貰えたから、安心したら、我慢できなくなった。
「お願いですから、いきなり居なくならないでください」
「ほっといてほしいじゃん、いま、かおなんかみられたくないじゃん……」
「それでも、約束してください。いきなり居なくなってはいけません」
ズゥはそっぽを向いたまま答えなかった。
小さな体の全部を使って、悪いのはファロスの方だと無言で主張していた。
「困りましたね? どうすれば、許してもらえますか?」
「……しらないじゃん」
困った様に屈みこんだファロスは、乱れたままのズゥの髪を整えてやった。
「レディの髪に手をかけるのは、はんそくじゃん」
それでも大分落ち着いたのか、おかんむりだったお姫様が顔を見せてくれた。
すみません。と断って、ファロスはズゥを振りかえらせた。
「服が、かわってるじゃん……?」
ファロスの服装はそれまでの制服から、パレードに出ていた騎手達の装いに変わっていた。
「警察でも乗馬の出来る人間は、行列に駆り出されることになっているんですよ」
ふふ~ん。とズゥが何かを思いついた様な顔をした。
「きゃっほ~」
パレードの第二陣の騎馬隊の先頭に、ズゥを伴ったファロスの姿があった。ファロスの鞍前に座ったズゥはパレードの主役よろしく注目を集めていた。
なりふり構わぬテルワからの交渉で、フェンツ公国の上の方では彼女の扱いについて、多少の無理を聞いてやる方針で話しが付いていたから出来ることだった。
ズゥの姿に戸惑いを見せていた観客も、お姫様然としたズゥの存在を直ぐに受け入れ、パレードの新しい趣向だと勝手に了解した。
ズゥのほうも、まるで天使の微笑みとでもいえそうな笑顔を振りまき、観衆に手を振って答え、盛大な歓声浴びていた。
「あまり動かないでください、落ちてはあぶないですから」
ファロスは片手で手綱をとりながら、もう片方で旗を支えなければならないため、ズゥがはしゃぐ度に鞍から落ちはしないか気が気ではなかった。
実際、ファロスの腕に背中を預けているとはいえ、ズゥの身体を支えているのは彼女の小さな手一つだけなのだ。
「堅いこと言いっこなし、楽しまなきゃ損じゃん」
「しかしですね」
それでも譲らないファロスに、ズゥは先程よりもさらに何かを思いついた顔をした。顔いっぱいに広がる笑顔は、何か悪戯を思いついた様でもあり、獲物を見つけた猫の様にも思えた。
「じゃあこうすれば大ジョブじゃん♪」
言うや否や、ズゥはファロスの胸にに抱きついた。沿道からは更に歓声が上がり、ファロスは音に動揺した馬の脚を乱さないようにするのに手一杯になった。
「何をなさいます!?」
「これで安心じゃん」
気を許した様子のズゥにすっかり毒気を抜かれ、半ば諦め気味にズゥの気紛れを許そうとした刹那、何処からか悲鳴の様な声が上がった。
「それは許さ~ん!!」
必死の叫び声と共に、仮装行列の中に紛れていたアルクが列の前に飛び出してきた。
「お兄様!?」
突然現れた兄の姿に驚く暇もなく、次いで父親のログラや叔父のコルサンまでが騎竜と共に現れたことで、その年の祭りはてんやわんやの大騒ぎになってしまった。
対応に苦慮するファロスや彼に詰めかかるアルクやログラ、ひそかな野望を奪い去られたコルサンを尻目に、ズゥはずっと楽しげに笑っていた。
結局、テルワの王族たちを交えたその年の祭りは、それまでで一番盛況な祭りになったともいわれ、この日を境に、テルワ島嶼王国とフェンツ公国の間には様々な条約が結ばれることになり、テルワは正式にフェンツの重要な隣国となった。
この大騒ぎの後、テルワに設けられたフェンツの大使館に駐在する警備員の中にファロスの姿が在ったのは言うまでもない。
ども、石蔵です。
この作品『父親の病』いかがでしたか?親バカって色々いると思うのですが、娘を持った父親の親ばか具合はもう病気と言って差し支えないでしょう。
どうですか皆さんも病気と言われる程執着するものがありませんか?
愛ならばいいのですよ愛ならば。きっと許される日も来ます。
男親が全てこうなっているとはいえませんが、皆さんも考えて見てください。
娘ですよ、それはもうお姫様ですよ。こう考えている私は紛れもなく「先天性父親病(劇症型)」です。
皆さんも何時かは分かる時が来るかもしれません。そして女性の方々、そうなった時、旦那さんを覚めた目で見ないでください。あなたへの愛がない訳ではないんです