リルドの森2
*
あれから俺はそのまま用意された寝床に連れて行かれた。
リオにあてがわれた寝床はリウルを含む剣が眠る場所で、ぽっかりと開いた小さな洞窟のようなところだった。
洞窟は薄暗く、一瞬暗闇にすっぽりと包まれていたけれど、リルドの目を持つ俺はすぐにそれに慣れて洞窟内の景色を視認できるようになっていた。
と、同時にふわりと草のかおりが漂ってくる。
どうやら洞窟の中には大量のコケや葉が敷き詰められているようで、それがベッド代わりになっているらしい。
他のリルドたちは皆そこに身体を丸めるようにして眠っていて、リウルはその間をぬうように進みながら俺を導いた。
「ここ、空いてる」
リウルが指差した先は、洞窟のほぼ一番奥の、暖かそうな場所だ。
リウルはそれだけいうと、俺に指差した場所の横に座り、横たわった。
リオはしばらくそれを見つめ、リウルが身体を丸めるのを見てから同じように葉でしきつめられた場所に体を横たえた。
思いの外柔らかく寝心地のよいその寝床は新品のようで、誰のにおいもせずただふんわりと青葉の香りがしているだけだ。
それに俺はほっとして、身体をぎゅっと丸めて目を閉じた。
*
「・・・て」
小さな、囁くような声が耳ににわかに届いた。
まだ睡魔に打ち勝てない俺はその言葉に耳をすますことをせずに再び身体を丸めようとする。
「起きて」
すると今度ははっきりと、少し鋭い声とともにズンと重いものが降ってきた。
俺は驚いてぎょっと身体を起こし、すばやく辺りを見渡した。
そのまま一瞬、自分がどこにいるのか、この声の主は誰なのかと考えてからすぐにリオはすべてを思い出していた。
自分はリルドの森に送られて、青いかおりのする寝床で眠ったのだ、と。
「さっきから起こしてる。起きるのが、遅い」
きょとんとして寝ぼけた俺の前には空色の髪を揺らしながら俺の肩に手を置くリウルが居て、少し銀色の瞳を細めてこっちを睨んでいた。
ずんとのしかかってきたものは、リウルの獣のものである腕だったらしい。
一瞬それを見てたじろぐが、すぐにそれは自分の腕にもついていることを思い出す。
・・・早くここに慣れないと。
リオはぶんぶんと頭を振り、「ごめん」とぼそっと言った。
リウルはすぐに気にしていないふうに頷き、すぐに立ち上がってこちらに振り返った。
そして手を外に向け、こっちに来るようにと俺に頷きかけてそっと洞窟を出て行った。
リオは体中についたコケや葉のくずを振り落としてから慌ててから一息、深呼吸をする。
また新しい一日の始まりだ。どこかでアルフレドに連絡をとるチャンスはあるだろうか。
そんなことを考えながらもぬけの殻になった洞窟を、そうっと足を忍ばせながら歩いてリオは洞窟の外に出た。
洞窟の外に出ると、すっかり高くのぼった太陽の光と青葉の香りにすっと包まれてリオはほっと息を吐いた。
慣れない洞窟の暗闇より、こっちのほうがいい。
最も、ずっと研究室で過ごしていたから太陽に慣れているわけではないが。
洞窟の外の森では他のリルドたちがすっかり目を覚ましていて何かそれぞれにしていて、にわかに騒がしくなっていた。
人殺しをしている血塗れた殺人鬼、というイメージしかこいつらに対して持ち合わせていなかったので、俺は少し不思議なその光景に面食らってしまった。
和やかな雰囲気はとても、昨日の人間を殺し回っていたリルドと同じようには見えない。
しばらくそうしてぼうっとしているとどんっと後ろから激しい衝撃が背中を遅い、リオは大きくよろめいた。
少し残るこいつらへの恐怖からリオは慌てて振り返り、後ろを睨む。
「おはよう、寝ぼすけ新入りさん!・・・・って何よ。何睨んでんのよ」
振り返った先にいたのは、レイナだ。
昨日リウルの次に親しげに俺に話しかけてくれた赤茶色の髪をした少女は獣を模した飾りをちゃらちゃらと鳴らしながら俺を睨んでいる。
「ご、ごめん。ちょっとびっくりしただけだ」
俺が慌ててそう言うと、レイナは大袈裟にため息をついて、けれど許してくれたらしく、目線を緩めた。
それからさっと視線をめぐらせてミトンに覆われた手で、森の端のほうを指す。
「リウルが待ってるわよ。早く行かないと食いっぱぐれるわよ、朝ごはん」
朝ごはん、という単語を聞いて思い出したようにリオのお腹が小さくなった。
慌ててお腹を押さえると、レイナはにやにやと笑いながらこちらを見ていて、俺が何か言おうと口を開くとさっさと向こうへ行ってしまった。
「・・・・」
そのまま向こうへ消えていくレイナを恥ずかしさやら、笑われた腹正しさやらで少し睨む。
けれどすぐに視界の端にちらっとリウルの姿が映って、俺は頭を振った。
リウルに視線を改めて向けると、リウルは手に何かを持って、待っているようだった。
俺は慌てて立ち上がってリウルのほうへ行く。
しかし、傍にもう少しでつくというところでぎょっとして俺は足を止めた。
リウルが両手に、血塗れた鳥を持っていたからだ。
俺が固まっているとしびれを切らしたらしいリウルがずんずんとこちらに迫ってきて、その片方を俺に突き出した。
「な、なに」
俺が情けない声で言うと、リウルはあろうことかそれをぱくっと銜えて、呆然とする俺の前でリウルはもぐもぐと口を動かし、それを咀嚼し始めた。
バリバリと鳥の骨が砕ける音と、口から滴る血と羽に俺は思わずあとずさる。
するとリウルがもう一度、骨をもぐもぐ言わせながらもう一羽の鳥を俺に差し出した。
「朝ごはん」
一言、それだけ言ってずいずいとそれを口元に押し付けられる。
「う、うわっ、わわわ・・・・」
俺はさらに情けない声をあげながら首をいやいやと動かす。
そうしている間にリウルはごくんと最後の一切れの肉を飲み込み、口元の血を拭った。
そして不思議そうに俺の口元に押し付けていた鳥を離すと、俺と鳥を交互に見つめた。
リウルはしばらくそうしていたけれど、ひらめいたというように少しだけ銀色の瞳を見開いた。
「・・・リオ、人間のところで生肉は食べなかったの?はじめて?」
それに俺はこくんと頷く。
するとリウルは納得したように頷き、自らの獣のものである腕の鋭い爪を使って鳥を小さく引き裂いた。
妙にグロテスクなその光景に俺は息を飲むが、リウルは手を血まみれにしながらも気にせず作業を続ける。
作業が終わるとリウルは小さく切られた肉のひときれを俺の口元にまた押し付けた。
いくぶん肉に見えるようになったそれに、俺は視線を向ける。
それからさっとまわりに視線をめぐらせてすぐ、他のリルドたちも鳥やら兎やらを生のまま食べ居ている光景に気がついた。
つまり、ここで暮らしていくためにはこれを食べなければいけないというわけだ。
腹を壊さないだろうかと一瞬考えてから、すぐに自分はすっかり”人造リルド”だったことを思い出した。
すべてこいつらと同じようにしても、大丈夫なはず。
グロテスクな生肉に視線を戻すと、その向こうにもどかしそうにこちらを見つめるリウルの銀色の瞳がうつった。
表情自体は無表情だけれど、こいつはよく瞳に表情が浮かぶ。
なんて考えているとその瞳がとたんにキッと鋭くなった。
そして、次の瞬間。
「む、ぐ!?」
細切れにされた生肉が俺の口の中に捻じ込まれていた。
「食べて。一口慣れれば、食べられる。…はやく、噛んで」
口に捻じ込まれたそれを噛まずにおいていると、すぐにそれに気がついたリウルに睨まれ、そう、せかされた。
「っ」
リオはしばらく躊躇したあと、リウルの視線に耐え切れずにそれをおそるおそる噛む。
それから、ぽかんとした。
「・・・おいしい」
俺の口から出たのは、そんな言葉だ。
人間であったらおいしいなんて感じられるわけのないグロテスクな生肉は口の中で驚くくらいにおいしい食べ物に変化していた。
リオは広がるその味と生暖かい感触に再び空腹を思い出して、それを大急ぎで飲み込むとリウルが差し出す残りもすべてがつがつとほお張り、最後にはリウルと同じように骨までバリバリと噛み砕いていた。
その様子を見ていたリウルは、嬉しそうに目を細める。
「・・・おいしかった?」
俺がすべて平らげるのをまって、リウルがそっと聞く。
俺はゆっくりと頷いた。リウルはまた満足そうにこくんと頷いてから爪先で俺の口元を指差した。
「口、汚れてる」
リウルに指摘されてはっと自分の口元が血に汚れていることにきがついた俺は慌てて口元を拭う。
ごしごしと拭うと、茶色い獣の腕に赤い血がべっとりとついた。
「・・・・。」
それを見て、俺はふと動きを止めて赤いそれを見つめた。
これは俺が本当にリルドになってしまった証のだという現実を痛感したからだ。
俺達人間はまず間違いなくこんなグロテスクな食べ方で鳥を食べたりはしないし、第一森の中でぐっすり眠る事もないはずだ。
けれど、一日にして俺はそれに順応していた。少し、こわくなった。
俺がじっと手を見つめて動きを止めていると、リウルが不思議そうに顔を覗き込んできた。
銀色の瞳が、温かく揺れる。
「・・・大丈夫。もうリオを縛るものは何もない。これからはずっと、ここで暮らせる。」
リオは、リウルの言葉にゆっくり顔をあげて曖昧に頷いた。
リウルは俺の考えを違うふうに理解したらしかったが、本当のことを言うわけにはいかない。
「・・・仲間」
リウルは俺が頷いたことに満足したらしく、小さくつぶやくように言う。
俺もそれに頷こうとした-。瞬間。
「リウル。随分簡単に受け入れるんだな、本当に仲間かどうかもわからない奴を」
そんな、敵意に満ちた低い声が俺の動作を止めた。
完全に敵意に満ちた先に居たのは、ぎらぎらと銀褐色の瞳を敵意に光らせた青年だった。
そのうち片方のめは眼帯で覆われているのにも関わらず、獣のように鋭い瞳がリウルを睨みつけていた。
「・・・ロレンソ」
リウルがそれに対して唸るような低い声で答える。
ロレンソと呼ばれた黒とグレーのツートンカラーの髪を持つ青年は、大儀そうに獣の腕を持ち上げて視線を動かし、俺を睨んだ。
「お前が俺達の仲間だとはどうしても思えないな」
ロレンソは何かで強化された鋭い爪を光らせながら低い声で俺に向かって、そう言った。
更新、ゆっくりですが再開させていただきます。