遭遇
ますます都市化していく現代社会。都会っていうのは、何の不便もなく、快適です。でも、田舎っていうのも、いいものですよ?
本当は短編でまとめるつもりでしたが、面白そうだったので連載にしました。
二週間くらいの間隔で投稿していけたらと思います。
追記(7/6):なんか長いので、区分け。
「ちょっと出かけてくる」
と言って家を出たのは、今朝七時のこと。その時は、隣町にでも行って適当にブラつこうと考えていた。一日中ゲーセンで暇をつぶすのも悪くない。CDショップで、最近出た新作を試聴するのも悪くない。そう考えていた。
駅へ向かう途中に、神社がある。小さい頃は、よくセミ取りに来た。ちょっと懐かしくなって、鳥居をくぐって境内に入ると、そこを支配する静寂に身を包まれた。一陣の風が木を揺らし、木はサラサラと音を立てる。
鳥居をくぐれば、そこは別世界。それは、比喩的な意味でも、本当の意味でもある。様々な解釈があるが、一説によれば、鳥居を隔てて外側を外界、内側を神域といい、神域の中に悪霊は入ることは出来ない。人間が鳥居をくぐり抜けた時、その場所が外界と何か違うと感じるのは、その空間に穢れが全くないということを、人間の本能が直感的に感じ取っているからだろう。
夏のこの時期、この神社でも祭りが催され、夜店が立ち並ぶ、地元でも結構名の知られた神社だ。ただ、この場所で祀られている神が何なのかというのは、まったく知らない。
「興味はあるんだけどな。そこまで調べようとも思わないんだ」
そんな独り言を呟いた時、また境内に一陣の風が吹き抜けた。目にゴミが入って、俯きながら瞬きを繰りかえす。
やっと目のゴミが取れて、再び前を向いた時、そこにあった顔に俺は驚く他出来なかった。
目の前に居たのは、純白のワンピースを着た女の子。顔立ちは整っていて、そのワンピースに負けんばかりの眩しい笑顔でもって、俺を見つめていた。普通に考えて、これはありえない。
「こんにちは、袖野泰志くん。ヤスくんでいいかな?あ、おはようごさいます、かな?」
「で……で……」
「で?」
「出た――――!?」
幽霊だ。そう思った俺は咄嗟に身を翻し、鳥居を目指す。幽霊なんてものは、鳥居をくぐってしまえばきっと見えなくなるはず。だから―――
「ッ!」
出られない。鳥居を抜けようとすると、なにか壁のようなものに弾き返される。
「だったら鳥居じゃない所から出れば……」
社の裏、つまり鳥居とは逆方向に、もう一つ出口がある。そこに鳥居はない。
焦りながらも冷静に、見つからないように走り抜ける。後ろを向いても、追って来てはいないようだ。このまま行けるのか?
そう思った直後、現れた幽霊の、どこか腑抜けた声が聞こえる。
「無理だよー?この神社全体に結界が張ってあるから。私が結界を解かない限り、外には出られないの。因みに、外から私たちの事は見えてないよー」
「……って上!?」
真上に、幽霊の女の子が居る。さすがは幽霊、完全に重力を無視している。
この世に幽霊が居るなんてことすら信憑性に欠けるのに、結界なんてものは度を越して信じられない。でも、どちらも今目の前で見えて起こっている事だから、信じなければいけないのか。……いや、きっと俺は夢を見てるんだ。夢なら、どんなことでも起こりうる。こんなリアルな夢、あってたまるか。早く醒めろ。
するとまた、幽霊が言う。
「醒めないって。これ、夢じゃないもん」
「……はぁ」
俺は諦めて立ち止まり、深いため息をつく。もう、どうにも出来ない。完全に詰んだ。
きっと、このまま俺はこの場所で呪い殺されるんだ。出来ることなら、事故死とか、もっとてっとり早く死ねる方法で死にたかった。
「大丈夫。私は、ヤスくんを呪い殺したりなんかしないよ。こう見えても、心優しい幽霊だもん。それに、そんな目的でヤスくんの目の前に現れた訳じゃないし」
「お前が幽霊だいう時点で、もう何も信じられないが」
「そんなこと言わないでよ~」
そう言って、浮かんでいた幽霊は俺の真横に着陸。そして、俺の腕を取った。……って取った!?
「ふふ。私、ちゃんと触れるんだよ?こうなると、幽霊っていう言葉の定義が当てはまってくるのかもかなり微妙な所だけど」
「お前、なんで物に触れるんだよ」
「私に言われても分からないよー。この世に転生したその時から、私は他の幽霊と違って、物に触れることが出来たし」
もう、何でもありだ。幽霊において、一般常識は通用しないらしい。
「そういうことー。私がヤスくんの心を読めてしまうくらい、幽霊に一般常識は通用しないんだよ?」
「いや、訳わかんないから。ってかさっきから人の心を勝手に読むなぁ!」
スカッ。
「ぇ」
振り下ろした拳は幽霊に当たることなく、空を切った。
「そうそう。私からヤスくんに触ることはできるけど、ヤスくんから私に触ることは不可能だよ」
「なんでだよ……」
もう、驚くのも通り過ぎて、呆れてきた。幽霊が、結界を張るとか、物に触れられるとか、人と会話出来るとか、もうどうでもよくなってきた。そもそも、幽霊なんてものに正確な定義なんてないわけだし、今までの考えは全て固定概念に過ぎないのか。
そう考えると、ちょっとだけ落ち着けた。とりあえず、今ここで死ぬという事は無いみたいだ。
「そんなことより、私のお願い聞いてほしいなぁ」
と、急に幽霊は切り出してくる。
「それは脅迫か?」
「うーん……。逃げ道を塞いでる時点で、ほぼ脅迫と変わらないかぁ」
「……まあ、いいけど。俺に出来ることならな」
というかこの場合、承諾しないと家にも帰れない気がする。
「うん!というか、ヤスくんにしか出来ないよ。私のこと見えてるの、ヤスくんだけだし」
「ってことは、俺がお前と話してると、周りからは俺が独り言を呟いているようにしか見えないってことか?」
「そういうことー。頭いいねー、ヤスくん」
「いや、普通気付くだろう。あと、そのヤスくんって呼び方、なんとかならないのか?」
「だってー、ヤスくんはヤスくんだもん。それ以外に呼び方無いよー。あ、もしかして、泰志さんとか呼ばれたい?お姉さんキャラが好きなタイプ?」
「泰志さんとかやめろ。虫唾が走る」
「じゃあヤスくんで。いいじゃん、ヤスくん!」
「はぁ……」
まあ、いいか。
「じゃあ、お前の名前は?」
「うーん、転生前の名前を使うとすればー……」
と考え始める。転生前の記憶ってあるのか?と思った瞬間、
「忘れた!」
と元気に言われた。
「忘れたって……。そもそも、転生前の記憶なんてあるのか?」
「それは勿論あるよー。もう一度人間の魂の器を与えられるまでは、転生前の記憶があるの。って、教えてくれたよ?」
誰が?ということは、突っ込まないでおく。面倒になりそうだし。
「じゃあ、なんて呼べばいい?」
「それは、ヤスくんが考えてよー。ヤスくんの呼びやすい呼び方でいいから」
「そう言われても……」
ペットを名付けるのとは全く違う。相手は本当の人間ではないものの、見た目は普通に人間だ。こういう場合はニックネーム的なものを付けるべきか。
「ドキドキ、ワクワク」
「って言葉に出して言うなよ」
てへへ、と笑う。ちょっとだけ可愛いと思ってしまう自分は馬鹿なのか。でも、冗談抜きにこいつは可愛い。
「って、思ってること全部聞こえてるんだよな」
「え?何か考えてたの?」
「……」
なるほど。心を読むのにも限界があるらしい。単純な、楽しいとか、悲しいとか、嬉しいとか、そういう表層の心は読み取れるが、愛情などの深層の心までは読み取れないらしい。つまり、ある程度のプライバシーは守られるってことか。まあ、表層意識が読まれる時点で、すでにプライバシーなんて言葉はどこかに行ってしまっているが。
「なるほどねー。……ってことは、さっきヤスくんは私のこと可愛いって思ってくれてたんだー」
「誰がそんなこと……」
「ふーん?でも、言ってる傍から顔が赤いよ?」
「ぐ……」
俺は表情を隠す事が大の苦手だ。笑うまいと思っても、顔が絶対に緩んでしまう。無理に平静を保とうとすると、逆に変な表情になる。そのせいで、俺は何度友人に馬鹿にされただろうか。
「でも、そういう素直なとこ、嫌いじゃないよ?」
「……励まされてる気がしない」
「え?本心なんだけどなぁー」
「とにかく、呼び方だろ?えーと……」
「あー、話を逸らしたー。ずるいー」
「そんなこと言ってると、呼び方をウザ子にするぞ?」
と、遊びのつもりで虐めてみる。まあ、この名前は到底ありえない。センスが無さすぎる。でも、
「え……、えーと、冗談、だよね?」
と返ってくる。……ひとつ発見。幽霊には、案外冗談が通じない。
「そう呼ぶかどうかは、お前の態度次第だ」
「うぅ……。ヤスくん酷い」
「酷いのはお前も同じだろうが」
「酷くないもん!チーはヤスくんよりも百倍優しいもん!」
「……お前、今なんて言った?」
「だからー、チーは、ヤスくんよりも、千倍優しいもん!」
「いや、倍数増えてるし!っとそれよりも、チーっていうのはお前の名前か?」
「え?あ、そうかぁ。思い出した!私の転生前の名前」
「なんていうんだ?」
「千裕!神谷千裕っていうのが、私の転生前の名前だよ」
「神谷、千裕……」
「うん!だから、皆私の事をチーちゃんって呼ぶの。だから、ヤスくんもチーって呼んでほしいなー。……どうかしたの?」
偶然なのか、必然なのか。神谷千裕という名前は、俺がまだ幼くて、東京に住んでいた頃に交通事故で亡くなってしまった俺の友達と同姓同名。
「いや、あり得ないとは思うんだけどさ。もしかしてお前、転生前って東京に住んでた?」
「え?どうかなぁ。あんまり転生前の記憶が無いんだよねー。薄いって言った方が正しいかな」
「じゃあ、お前がここに転生したのっていつ?」
「えーとねー。多分、十二年前だと思う。転生してからの記憶は濃いから、間違ってないと思うよ?」
十二年前。俺が三才か四才の時。それは、ちょうど俺が知っている神谷千裕が交通事故で亡くなった年と一致する。
「幽霊って、転生してからも成長するのか?」
「本来はしないの。でも、チーは特殊な幽霊みたいだから、転生してからもずっと成長してるよ?」
「ということは、転生して十二年のうちに、大分背も伸びたってことか」
「うん!この前、やっと150センチに届いたんだよー」
「……なるほどな」
俺は、ほぼ確信した。こいつ、チーは、俺の知っている神谷千裕と同一人物だ。そして、何の縁あってかは知らないが、再び転生して、幽霊としてこの神社に住み着いている。そして、俺はその幽霊となったチーを、見ることが出来る。だが、その憶測に確証は無い。
「そういうことかぁー……」
「ああ、そういうことだ。まあ、あくまで憶測に過ぎないけどな。でも、可能性は十分にありえる」
「チーには、そういう記憶は一切無いみたい。でも、ヤスくんの名前だけは、なぜかはっきりと覚えてたんだー。不思議だよね」
「幽霊って、残留思念とも言うし、なにかこの世にやり残したことがあると、魂は転生して幽霊になるってよく言うけどな」
「じゃあチーは、なにかやり残したことがあったってこと?」
「まあ、なぁ。俺の知っている神谷千裕は、俺が三才か四才の時に交通事故で死んでるから、この世にやり残すことなんて、逆に多すぎるんじゃないか?」
「じゃあ私、転生前って三・四年しか生きてないんだー」
「あくまで、チーと、俺の知っている神谷千裕が同一人物であったという仮定の基だけどな」
「なるほどー。それなら、記憶が薄いっていうのも納得だね。三才・四才の時の自分の記憶なんて、ほとんどの人が覚えてないよ」
「だな。俺もあまりに印象的な出来事じゃない限りは、まったく記憶に無い」
「記憶って、曖昧だもんねー」
「そういうこと」
「でー。お願いなんだけど、聞いてもらえるのかな。さっきは脅迫みたいになってたけど、今度は純粋にお願いするよ」
「ああ、いいぜ。特に断る理由も無いしな」
「ありがと。でね、早速そのお願いの内容なんだけど―――
俺には、そのお願いの意図が全く掴めなかった。
だって、チーが俺にしてきたお願い。それは、チーと一緒に旅をすることだったから。
「旅なんて、何のためにするんだ?」
「それは、チーがヤスくんの目の前に現れた目的を話さないと分からないかなぁ」
「じゃあ、チーが俺の前に現れた理由って何?」
「よくぞ聞いてくれました!」
と、急に胸を張る。まあ、張るほどの胸も無いが。
「そんなこと考えてないで私の話聞く!」
「分かったよ」
そして、チーは再び絶壁の胸を張ってこう言った。
「チーはね、ヤスくんを教育するために転生したの」
「は?」
これまた訳が分からない。教育は親だったり、学校の先生がするものだ。幽霊に教育される人間なんて、聞いたことない。
「まあそこは深く考えないでー。でね、ヤスくんは、今まで旅に出たことってある?」
「いや、無いな。親に無理矢理連れられての旅行だったら何回かあるが」
「それは、自分から進んで行ったって訳じゃないよね?」
「まあ、そうなるな」
「だから、旅をするの」
「はあ?訳がわからないぞ」
「つまりね、ヤスくんと色々なところを旅して、ヤスくんには色々な美に触れてもらおうっていうことなの」
「美?」
「うん、美。いろんなものを、美しいと思える心を養うの。そうして、ヤスくんの心を純白にするのが私の役目」
「俺はそれなりに綺麗な心を持ってると自負してるんだが?」
汚い心を持っているのは、今ニュースなんかで話題になっている政府の人間や、どこかの独裁政治を行っている指導者なのではないか。それと比較すれば、自分の心はまだマシだろうと思うのだが。
「うーん。残念ながら、ヤスくんの心は純白には程遠い、限りなく黒に近い深緑なんだよー。混沌っていうのかな?とりあえず、このままだと将来は非行一直線になっちゃうかも」
人の心を読むだけじゃなくて、色まで分かるのかこいつは。
「余計なお世話だ」
と言ってしまうあたり、俺の心は混沌なんだろうか。と、反論しておきながら納得している自分が居る。
「そうそう。そういうところが黒いんだよぉー。ヤスくん、もっとスマイルスマイル!」
そう言って、チーはにかっと笑う。その笑顔を見ていると、もう面倒なんてどうでもよくなってきた。
「……まあ、頑張ってみるさ」
「そうそう、その意気だよ!」
そんな感じで、俺とチーは、旅をすることになったのだが、一つ問題点。
「なあ、チー」
「なにー?」
「旅って、今日中に終わるのか?」
「ううん、少なくても三ヶ月くらい?」
「……」
なんてこったい。今日は普通の日曜で、明日からはまた授業がある。今日中に終わるならばいいが、三ヶ月って……。
「そこは大丈夫ー。学校側には、正当な理由をつけて休学にしてあるから。心行くままに旅が出来るよ。よかったね!」
「よかったねって、そんな笑顔で言われてもなぁ」
昨日までの家族間の会話では、そんなこと毛頭も出なかったぞ。そもそも、どうやったら旅に行くことが正当な理由になるんだ?
「正当な理由になるよー。だって、旅から帰ってきたヤスくんは、それまでのヤスくんとは全然違う、もっと心優しくてピュアな人間になってるんだよ?人の性格っていうのは、勉強が出来るか出来ないかよりももっと大切なことだよー」
「……つまり、今の俺は優しくもないし、心はダークな人間ってことか?」
「そうは言ってないんだけどなぁー。まあ、でも大体合ってるかな?」
俺の心が黒に近い深緑、つまりは混沌だということは、さっきチーも言っていたが、性格の事までもとやかく言われると、やはり腹が立ってくる。
「まったく、ふざけるなぁ!」
スカッ。
再び、振り下ろした拳は空を切る。
「残念でしたー」
「畜生ッ」
「まあまあ、落ち着いて。感情が素直に表に出せるってことはとってもいい事なんだから、そこは自信を持っていいと思うよ」
「うるへー。そんな所ばっか褒めやがって」
でも、それは確かなことか。無表情な人なんて、付き合いにくくて堪らない。でも、感情をコントロールしきれなくてすぐに手が出てしまうあたり、自分は未熟なんだと自覚する。こんなんじゃ、ろくな大人になれないな、俺。
「大丈夫だよ」
ふわりと、背後から柔らかい感覚。チーが、後ろから抱きついてきている。今までとは全く違う、とても柔らかい声。たった一言なのに、俺の心はなぜか静まっていた。
「大丈夫。それに気づけてるヤスくんは、きっといい大人になれるから」
「……そんなものか?」
「うん。って、同年代の女の子が言っても説得力ないけどね」
それでも、なんだか嬉しかった。
「じゃあ、行こうよ」
チーが、俺の手を取る。
「……そうだな。行くか」
そして歩き出す。握られた手はチーの体温を感じることは無いが、それでも何か、温かかった。
張られていた結界が解かれる。鳥居をくぐっても、跳ね返されることはなかった。
「しかし、本当に結界だったんだな」
さっきまでは完全に閉ざされていた境内の外に、今度は出られたからこそ思う。
「そうだよー。魔法も使えて成長して、物に触れる幽霊なんて、チーくらいしか居ないよ?」
「だろうな。他の幽霊もそんなだったら、正直困る」
もしこんな幽霊がそこら辺に居たら、この世の中、どうにかなってしまう。
「そういえば、鳥居の外に出たし、気をつけなくちゃいけないことがあるよ?」
それは、薄々俺も気付いていたこと。
「ああ、むやみに喋らないほうがいいってことか?」
「そうそうー。チーはヤスくんの心を読めるわけだし、話したいことがあれば、思ってくれればいいよ。あ、でも、常にヤスくんの心を読んでる訳じゃないから、話す時にはチーの方を見てくれればいいかな」
「分かった」
物は試しで。
―聞こえるか?
「うん。もちろん聞こえてるよー」
不思議だ。声を発していないのに、相手には伝わっている。自分の耳では言葉として聞き取れていないのに、相手の耳には言葉として入っている。
―でも、思って話すっていうのも慣れないと難しいかもしれないな。
「だね。でも、慣れちゃえば逆に便利だよ?口が塞がってても話せるから」
―確かに。で、とりあえずどこに向かうんだ?
「うん、それなんだけどね。明日からでもいいかなぁ……」
―というと?
「チーはもう疲れたの。結界なんて、転生してから二・三回しか張ったことないし、継続して発動するのにも精神力が必要なの。だから、疲れちゃった」
チーの方を向いてみれば、なるほど若干疲れているように見える。
―勝手に連れ出しておいてそれはどうかと思うんだがな。
「で、でも、ヤスくんだって仕度する時間が必要でしょ?だから、明日からの方がいいんじゃないかなぁ」
そう言って、チーが上目使いで俺を見てくる。やめなさい。男はその上目使いに弱いんだ。だから、許してしまう。
―分かったよ。明日からにしよう。まあ、俺は正々堂々学校を休むことが出来る訳だし、別に急ぐ必要も無いか。
かなりの罪悪感があるが、手続きには何の問題も無いみたいだし、明日学校に行けば、逆に不審に見られるだろう。
「じゃあ、決まり!ヤスくんは、今日中にちゃんと仕度はしておくんだよ?お菓子は300円までだよ?」
―小学校の遠足じゃないんだから、お菓子は要らないだろ。
「ふふ、分かってるね」
いや、それくらいは誰でも分かる。俺もそんなに子供じゃない、はず。
そんなことを話しつつも、俺達は歩き続ける。
―で、どこまで着いてくる気だ?
「そうだなー、ヤスくんの家までかな?」
「え?」
つい、声に出してしまった。
―なんで家まで来る。別に明日から行くんだったら、もう一日神社に居ても問題ないだろ?というか、今まではずっと神社で寝泊まりしてたんだろう?
「それはそうなんだけどー……」
チーがとても怯えた顔をする。
―何か理由があるのか?
「うん。あのね、……夜の神社って怖いの。もう何か出そうで。だから、精神衛生上本当によくないんだよ」
―何か出るって、お前も幽霊じゃないか。
「チーは幽霊のようで幽霊じゃないのー」
―さっき自分で幽霊だって言ってたが?
「そこはー……気にしないの」
―だからって俺の家まで来るのか?
「うー……。だって行くところ無いもん」
はぁ。まあ、いいか。俺以外の人間に、チーは見えないわけだし、勝手に家に上げた所で、何も文句は言われないだろう。
―分かったよ。
「本当?ありがとー」
―どうせ、駄目だって言っても着いてくるんだろ?
「ははは……ばれてたかぁ」
―見え見えだよ。
「やっぱりヤスくんは頭がいいねー。チーにはよく分からないよ」
―というか、単純にチーが分かりやすいんだ。
「そうかな?」
―ああ。する事が子供っぽいしな。
幽霊なのに幽霊が怖いとか、駄目って言っても着いてくるとか、どうも幼稚な考え方にしか捉えられない。
とか考えていると、急にチーが俺の腕をブンブン振り始めた。
―なんだよ?
「うぅ~。ナチュラルにチーを子供扱いしないのー!」
―子供じゃないのか?
「違うもん!チーはヤスくんと同じ十六歳だから、もう子供じゃないもん!」
―そういう意地張る所がさらに子供っぽいな。
ここまで来ると、チーに謝る気なんて微塵も無くなって、逆にからかいたくなるのが人の性。からかっても怒らないチーも悪いんだが。
「だってー。チーが怒っても、多分ヤスくんはちっとも反省してくれないもん」
―そんなことないぞ?俺だって怒られれば謝るし、反省もするさ。
「それは嘘でしょー。チーが見てきた中で、ヤスくんが人に謝ったのは数回しか無いよ?」
―見てきた中って……。お前、いつから俺の事見てたんだ?
「えとねー。転生して以来ずっとかな」
―そんな前から見られてたのかよ。
どおりでたまに人の気配がしたわけだ。でも、なんで今日に至るまでに、チーは俺の前に姿を現さなかった?
「それはねー。その時点ではまだ、ヤスくんの心は穢れてなかったんだよ」
―……不本意だが、納得。で、俺の心が穢れきってしまったから、チーは俺の前に現れたっていう寸法か。
「うん!」
って満面の笑顔で言われても、こっちは嬉しくもなんともない。
―旅は明日からだって、さっき言ったよな?
「うん、そうだよ?」
―じゃあ、今からの時間、どうしたらいい?
「えっ?」
―えっ?って、まだ午前中なんだけど?
「あ、そうかぁー……。うーん、どうしよっかなぁ。ヤスくんは今からどうするつもりなの?」
―俺は、隣町にでも行って時間を潰すよ。てか、そもそもそれが今日の予定だったし。
「じゃあ、チーもそれに着いてくー!いいでしょ?」
―それ、本気か?
「うん!だって、明日まですること無いもん。それに、そもそもチーはずっと前からヤスくんを見守ってたんだよ?だから、今さら駄目って言っても、それはちょっとおかしいかなぁ」
そうだった。もともとチーは俺の傍に居たんだ。それを俺が気づいていないだけだった。……ん?だとしたら、俺が今まで隣町に行って何をしたかってことも、全部分かってるってことか?
「そうだよー。チーは、ヤスくんの全てを知ってるの。だから、先週隣町に行って買った本のタイトルは言えるんだよ?」
―それだけは勘弁してください。というか、やめろ。
あれをレジに持っていくのに、ものすごい精神力をすり減らした。何せ、俺はまだ16才。未成年だ。無精髭を生やして、いかにも18才以上ですって雰囲気を出すのに苦労したのに。と、走馬灯のように記憶がフラッシュバックする。
そう言ったのに、チーは全然聞いていなくて、俺の隣で、その時買った、親にばれたら確実にまずい本の名前を次々と並べていく。
「"イケナイ夜遊び"1980円。"新米教師と生徒。禁断の○○○"2040円。あとね―――」
―もう止めてくださいお願いします。
「えー、どうしよっかなぁー。チーがヤスくんに着いていくのを許してくれたら止めよっかなぁ」
―分かった!連れてくから!
「よろしいー」
もう俺に選択肢は無かった。いくら周りには聞こえないとしても、俺の精神が崩壊してしまう。
にしても、なんでこんなにチーは記憶力がいいんだろうか……。幽霊、恐るべし。
チーが再び、手を握ってくる。
「じゃあ、行こうよー」
そう言って、チーは俺をぐいぐい引っ張っていく。
―分かった、分かったから。だから引っ張るな。周りから見たら明らかに変な人だろうが。
「あ、そうだった」
今度は素直に止めた。でも、握られた手が離されることは無かった。
―今気づいたんだけどさ。
チーと手を繋ぎながら駅へと向かう途中、俺は立ち止まり、チーに話しかける。
「ん?どうしたの?」
―さっき、残留思念の話をしたよな?
「うん。チーは、何かこの世にやり残したことがあるから転生して幽霊としてここにいるって話?」
―ああ、その通り。で、やっぱりチーはここにやり残したことがあるんだよな。
「え?そうなの?」
―……ここまで俺に話しておいて、気づかないのか?
「うん、気づいてない!」
いや、そこは元気に返すところじゃないから。
―いいか?チーが転生して、幽霊として現世にいる理由。それは、他でもない混沌とした俺の心を、純白にするためだろ?
「……あ~~~!」
ここまで言って、やっと気付いたらしい。
「そうか、そうだったんだー。ってことは、チーはすでに転生した目的を理解してたんだ」
―そういうこと。っていうか、本気で気づいてなかったのか?
「うん。だから、本当にすっきりしたよー。ありがと、ヤスくん」
―別に感謝されるようなことはした覚えがないんだけど?
「ヤスくんにはどうってことなくても、チーにはあるんだよ。あと、こういう時には素直に褒められておくといいんだよ?」
―そんなもんか?
「そんなもんなのー」
チーは再び俺の手を引き始めた。
「一つ謎が解けたところで―、早く行こうよ、隣町。早くしないと日が暮れちゃうよー?」
チーは上機嫌だ。
―ったく。まだ一日は始まったばかりだぞ?
「それでも急ぐのー。チーは楽しみなんだから。ヤスくんと隣町に行くの」
あ、そうか。と俺は思う。今までずっと俺の傍に居たとはいえ、ずっと一人だった。だから、誰かと会話しながらどこかへ行くということは、チーにとって初体験になる。転生前のチーは、友達こそ居ただろうが、その友達だけでちょっと遠い場所まで遊びに行くということは無かったはずだ。
そんなことを考えていると、こいつと一緒に旅をするのも悪くないか、という考えが浮かんでくる。
「どうしたの?」
―いや、楽しみだなーって思ってさ。
「だったら早く行こうよ!」
―ああ、そうだな。急がないと、電車に遅れる。
そう言って、俺は走り出す。こうやって誰かとどこかへ出かけるのは、本当に久しぶりのことで、いつの間にか自分も舞い上がっていることに気付く。
「ヤスくん、早いよー」
―どうした?チー。もうギブアップか?
「そんなことないよ?チーだって、もっと早く走れるもん」
―そこで意地張ってると、後で後悔するぞ?
「それはこっちの台詞なんだよ~」
家を出た時に昇り始めていた太陽は、いつの間にかすっかり昇りきり、今日も猛暑日になるだろうと無意識に予想させる。一日はまだ始まったばかり。俺とチーは、いつの間にか童心に返り、全力で駅を目指した。