【一】名演技
秋松カエデは、隣の席の南尾ジュンが目を閉じ、息を整えているのを偶然発見した。
(…授業中に何やってんだろ?)
カエデの素朴な疑問はすぐに解決した。
現社の斉藤先生が板書を終え、こちらを向いた隙に静かに手を挙げたのだ。
先ほどの表情とは違い、打って変わって苦しそうな表情をジュンは浮かべている。
(サボる気だ!)
そう気づいたときには、時既に遅く、いかにも苦しそうな声でジュンが言った。
「せ、先生……。吐きそうなんで保健室行っても良いっすか……?」
黙って、先生がうなずいた。
ジュンは教科書を机の中にしまうと、ゆっくりと立ち上がった。
顔色が真っ青で、今にも倒れそうである。
その変わりように、心から驚いた。
(な、なんて名演技なの!? 文化祭、男優最優秀賞並だわ!)
呆気にとられていると、斉藤先生がこちらを向いた。
50代後半なせいか、妙な雰囲気があるこの先生が、カエデはあまりスキではなかった。
目が合うと、正直、目をそらしたくなる……。
自分がそう思われているとはつゆ知らず、その口を先生が開いた。
「おぃ、秋松。お前、保健委員だろ? 南尾を保健室まで連れて行ってやれ」
「え!?」
そうだった…。
私は保健委員だったのだ!
すっかり忘れていた…。
……と、なると、私はさぼりの共犯者にさせられるのね……。
チラっとジュンを見ると、斉藤先生に見えないようにウィンクをしてきた。
(はぁ…何で私が…)
心の中でつぶやくが、教師に逆らうほど度胸もないし、現社の授業もスキではないので、素直に従うことにした。
少々シャクではあるが、ヨロヨロと進むジュンの後をゆっくりと歩きながら、教室を出た。
まさか、これが平凡な日常を壊すきっかけになるとは、カエデもジュンすらも思いはしなかっただろう。