野の花と
―いいかい、娘たち、よくお聞き。
器量だけじゃ”香りのない造花のバラ”で終わってしまう。
どうせなら、野の花におなり。
風に話を感じ、日を見て暮らし、世界を広く見れるような花におなり―
昔、ひどく乾燥した土地に人々がこじんまりと住んでいる
村がありました。
その村には、一軒だけパンの材料になる小麦を引いている
粉屋がありました。
粉屋は代々この土地に住み、ずっと地道に粉を引き続け、
村の人々相手に商いをしてきました。
かつては、粉屋には陽気で愛らしいおかみさんがいましたが、
下の娘を産んで半月もたたないうちに亡くなってしまいました。
以来、粉屋のだんなが男手ひとつで上の娘と下の娘を
育てました。
やがて娘たちが大きくなり、上の娘がまず、粉屋の手伝いを始め、
家事、そして妹の面倒を見始め、粉屋のだんなの助けになりました。
そんな忙しい日の中、上の娘が楽しみにしていたのは、
本を読むことでした。
最初はろくに字もわかりませんでしたが、
すこうしずつ読めるようになり、まずは人づてに本を借り、
やがて、わずかながらのおこづかいを貯めては、
ときに街へ出て本を買い求め、粉屋の仕事や家事の合間に
読んでいました。
父親も、日々一生懸命働いてくれる娘のわずかな楽しみを、
目を細めて見てました。
一方、妹はたいそうおしゃれに夢中な娘に育ちました。
姉が結ぶ髪には注文をつけ、着る服にもだだをこねることも。
それなりの年頃になると、わずかながらのおこづかいを
化粧やアクセサリーに使ってしまいました。
これには、父親も”こんな田舎でそこまでしなくとも”と
呆れていましたが、この妹の粉屋の客あしらいには、
感心していました。
そうして、この田舎の村の粉屋親子は日々こじんまりと
過ごしていたのでした。
そんなある日のことです。
ふいに王様の一行が狩場からの帰りに、
この粉屋のいる村を通っていくという話が降って湧きました。
村長は「失礼のないように、お見えになったら御前でひざまずき、
顔を見たりしてはならない」と村人に言って回りました。
しかしながら、若い娘たちは密かに色めき立ちました。
なにせ、この王様、まだ若い見目麗しき若者で、
お妃を娶っていない王様だったのです。
「ひょっとしたら、見初められて王宮へ」
その日から娘たちは・・・あの本が好きな姉を除いて、
皆どう身なりをきれいにしようかとアレコレやりはじめました。
そして、その日、天高く飛ぶ鷹が前触れに、
王様一行が粉屋の村へとやってきました。
ほとんどのものが、細いながらも主だった通りとなる
村の中心へと出向き、ひざまずき待っていました。
しかし、たった一人来たにも関わらず
しきりに後ろを振り返って落ち着かない者がいました。
それは、あの粉屋の姉の方でした。
村長がなだめても、振り返るばかり。
そんなときに、王様たちが差し掛かりました。
みな、ひれ伏すようにしたのですが、
粉屋の姉だけは相変わらずそわそわと後ろを振り返っていました。
すると、護衛が姉に近づき「無礼であろう!」と
怒鳴りつけました。
一瞬、姉はびくりとその場で固まりましたが、
それでも、後ろを振り返らずにはいられないままでした。
いよいよ持って護衛が刀を抜き、姉の首元へ刃を突きつけようと
したとき、
「待て!」と馬の鈴音のような凛とした声が聞こえました。
その声の主は馬を下りて、姉のところへやってきました。
「おまえはどうして、そう後ろを気にするのだ?」
そう問われて、姉は振り返りました。
そして見た顔は、若いきれいな顔立ちの若者でした。
姉は、一瞬見ほれて、そしてハッとして答えました。
「申し訳ございません。どうにも気になることがあったのです」
「どういうことだ」
姉は少し震えながらも答えました。
「昨日から、粉を引く臼からいつもと違う音が聞こえていて、
気になっていたのですが、今朝になったらもっと大きく
聞こえていたのです」
ほうと、若者は言いました。
「粉を引く臼がだめになってしまったら、この村の人たちは、
たいそう困ります。それで、気になってしかたがなく・・・」
そう言って姉は、段々今目の前にいる若者が王様であり、
差し出た口を聞いてしまったのだと、身を小さくしました。
「わかった。さあ、おまえは戻っていい。すぐにでも臼を見て来なさい」
それを聞くと、姉は王様に頭を下げて、急いで帰っていきました。
王様が馬に乗ろうとすると、村長がひとつお茶でもと、
王様に申し上げました。
王様は、遠くから馬で駆けてきたこともあり、喉が渇いていたところ。
それではと村長の家へと向うことにしました。
それに、あの粉屋の妹がそれとなく後ろから付いていきました。
妹は、密かに姉に焼いてもらっていた焼き菓子を、
村長のところで休みを入れていた王様に献上しました。
王様は、その菓子を気に入り、妹を王宮へとそのまま召して行きました。
妹が王宮へと召され、代りに幾つかの”粉屋にはあまりある”
品々が届いても、粉屋の父親と姉はそれを村の人に分け、
いつもと変わらぬ粉引きの仕事をしていました。
一方、王宮に召された妹は、これ幸いにと王宮で、
今まで以上に化粧と身を飾るものに夢中になり、
買い求め、身贅沢をしていました。
最初はそういうものだと思っていた王様も、
そのわがままぶりに呆れ、やがて会うこともしなくなりました。
ふぅと手渡される書類に目を通すほうが、ずっと楽だとも思うように、
なりました。
「王様、王様、どうかこの書類にも印を」
そう家臣に言われて、目を通した書類には、
あの粉屋の村にも渡るであろう小麦の不作についてが
書かれていました。
王様は途端に、あの姉のことを思い出しました。
”あれから、問題なく粉を引き続けているのだろうか?”
王様は書類に印を押し、家臣に渡して、
書斎を離れました。
日々の粉引きの仕事も終わり、父親の破れたズボンの繕いを
終えた姉は、楽しみにしていた本を開いていました。
深々とした夜の静けさの中、ろうそくの光で読むものは、
ほっと心落ち着く自分の知らない世界のこと。
姉は、決して行けることのないであろう、その世界すら
今歩いている心地がして、うれしくてたまりませんでした。
そんな中、馬のいななきが落ち、人がこちらへと近づいてくる足音が
しました。
「こんな夜分に誰かしら?」
姉はおそるおそる戸の方へ、疲れきって寝ている父親の横を通って、
燭台を持って近づきました。
「どなたです?」
ほっそりと声をかけると
「わたしだ」との声。
姉は忘れることのない声に、そうっと戸をあけました。
そこにあったのは、あの若い王様の顔。
「どうなされたのです?」
「おまえのことが、いや、臼はどうなった?」
「おかげさまで、すっかりダメにならないうちに、
父といっしょに直して、粉を引いております」
「そうか」
「まあ、急いでいらっしゃったのですか?
どうぞ、狭い家ですがお入りください」
姉はゆっくりと戸をあけ、腰掛を王様にすすめ、
粗末ながらもお茶と焼き菓子を出しました。
王様は目を疑いました。
あの妹が差し出した菓子が、そこにあるのです。
「これは」
「ええ、私がひとつだけ覚えた焼き菓子です」
「そうだったのか・・・」
王様がその焼き菓子を口にすると、それはまさしくあのときの味が
しました。
しかも、不思議とあのときよりほっとするような味でした。
王様はふと、今いるこの素朴なつくりの家と、
決して華やかではない姉の身なりをゆっくりと見ました。
王宮とは、大きく違う慎ましさ。
そして、化粧や香水で誤魔化されていない、
この姉のなんともいえぬ芳しさ。
そういえば、この姉が王様からの賜物に一つだけ願い出たものが、
あったことを王様は思い出しました。
”どうしても読みたい本があるのです”
誰かの旅行記だったと思う。
たいして苦労もせず手に入れ、この粉屋に届けさせた。
「ところで、あの旅行記の本は」
「大切に、そうそう今一度読み直していたところです」
そう言って、姉は自分の部屋からその本を持ってきました。
その本は、擦り切れたところもありましたが、
この姉があるもので直したのでしょう、
きれいな切り飾りが施されていました。
「本当に読みたくて、繰り返して読んでいたんだな」
「はい、とても楽しくて、まるで私が旅行している気持ちに
させてくれますから」
「どこの国での話が気に入ったのだ」
「そうですね、それは」
王様と姉は、しばし見たこともない国の話を、
本の上で交わしました。
それから、王様は前触れもなく、ふいにやって来ては、
粉屋の姉に新しい本を持ってきて、話し込み、帰っていくを、
何度か繰り返してました。
王様は以前にもまして、王宮よりも姉のところへ、
それもただひたすらに姉のところへ来るのではなく、
しばし町や村へと足を止めるようになりました。
そうこうして、王様は自分が治める国の有様を、
書類よりもよく知るようになり、
どうしたらよいのか、より的確に家臣たちに命ずることが
できるようになりました。
そうやって、以前よりもよりよく国が治まるようになって
久しくした頃、王様は粉屋の姉のところに輿を連れて
やってきました。
「これはいったい、どうしたのです?」
「そなたを迎えに来た」
粉屋の姉は驚きました。
「王様、王様にはすでに私の妹が参じたのではありませんか?」
「そなたの妹は、同じ様に豪奢を好む貴族に嫁がせた。
それはそれで幸せにしておろう」
「でも、私のような身なりも粗末なものが、王様の傍にいては」
「そんなことは構わない、きれいに咲き誇る花だけが花ではない。
風にそよぎそれに乗る話を聞き、日に顔を向け手を休めずに働き、
素朴にと活きる花がわたしはいい」
そう言って、王様は姉の手を引き寄せ、抱きしめました。
こうして、粉屋の姉は王様に見初められ王宮へ。
粉屋の父親にも、日々の生活をしながらも困らないだけの
家まわりを施し、時には王宮にと約束をして行きました。
それから、王様と姉は結婚し、子どもに恵まれ、
その子どもたちといっしょにいろんな本を読み、
そして、できるかぎり遠くまで出かけていくようになりました。
そうすると、その子どもたちも同じように、子どもと本を読み、
ただそれだけでは留めず、いろんなことをさせるようになりました。
こうやって、世につれ、話は綴られ、広がっていったのかも
しれませんね。
【おわり】
【あとがき】
昔っから本が大好きで、図書館に入り浸っていたのを思い出しつつ、
いつもとかく童話だと”おろかもの扱い”の姉の名誉挽回を願いつつw
こんなお話を描いてみました。
冒頭の”香りのない造花のバラのよう”は、
オスマントルコの後宮の言葉遊びに出てきた言葉。
確かに、人をひきつけるのは器量だけでは足りない、
”香り”というその人にしかないものがなければ、
気の一つも惹けやしないという教え。
私もそうだと思うし、それはなにも豪奢なところから生まれるのではなく、
日々の過ごし方や、知りうる知識からもそれは生まれると思うのです。