第82話 運命の女②
藤堂視点ラスト
高津組長と無事に手打ちがすんで、やっと普段の日常が戻ってきたかに見えたが、一つだけ異分子が事務所に出没するようになった。
それは高津組長の、くれぐれも丁重に扱ってくれと言われた最愛の女である、あの娘、透子だった。
透子は何故かうちのお譲に暇さえあれば会いに来ていた。
お嬢の部屋には非常用の隠し扉があり、俺は何気なくそこから二人の様子を時間があればみるようになっていった。
別段、何かを意識したわけでなく、ただ、本当にただ何となくだった。
俺が入っていって、何をするでなく時間をつぶしていても、こちらに露ほどの関心もよこさない透子は、見事にふてぶてしく、俺は自分の背景によほどの自信があるのかと、内心嫌悪していた。
そんなある日、お嬢が久々の発作をおこした。
ひどく暴れて自分までひどく傷つけていく。
透子は初めてみるそれに驚愕し、何とか落ち着かせようと必死に声をかけたり、抱きしめて落ち着かそうとしていた。
俺は仕方がない、とばかりにゆっくり立ち上がりお嬢の傍まで行こうとした。
ところが透子は、自分の腕を自分で噛みさこうとするお嬢に当たり前のように自分の腕を代わりに押し付け噛ませはじめた。
二の腕から滴る血を気にすることもなく、お嬢を抱きしめ微笑む透子は、この俺が生まれて初めてみる、それはどこか歪さをはらんだ、そのくせ半端ない色気のある凄艶な微笑みだった。
俺はごくりと息をのみ、初めて「女」を、生きている女の存在を感じた瞬間だった。
俺はお嬢が食い破る透子の腕をお嬢もろとも抱き込みながら、その流れる血に唇をよせた。
じっと透子を穴が開くんじゃないかというほど激しく見つめながら。
理屈でも何でもなく、俺が俺として女という存在に、透子という女の甘い地獄に堕ちた瞬間だった。
それから俺は透子がいれば、帰るその瞬間までそばにいて、発情期の雄のように透子を視線で求め続けた。
はじめは石ころみたいに思われていた俺が、透子が面白半分で足先をそこらへんの犬と遊ぶように差し出すようになった時、俺は、この俺がだ、生まれて初めて歓喜に震えた。
透子に溺れる甘い甘い時間と、それ以上の苦しみを俺を襲った。
これが心というものなのかと、絶望と歓喜のうちに俺は知った。
やがて百のキスが千のキスになり、もっともっとと求め続けているうちに、俺に向ける透子の温度が変わってきた。
この幸せのうちに死ぬのもいとわない、そう思う俺に透子は「ダメだ。」という。
「もっと、もっと一緒に過ごすのよ。物語はハッピーエンドじゃなきゃ。」
透子の望みならば、と俺は身も心も透子に狂いながら、甘い絶望に身をおいた。
「待て。」
その言葉に従う俺はここ何日か会えない透子を思い、今にも大声をあげて飛び出していきそうだった。
そこに一本の電話が来た。
高津組長からだった。
「なぁ、俺の透子に会いたいかぁ。」と。
俺は「会いたい。」そう答えた。
お互い目の前にいずとも、ひどい声色だったろう。
すでにお互い人ではなくなっている。
なあ、高津さん、あんたも苦しいのかい?
お互い半端ねえな。
行けばただじゃすまないのは百も承知だ。
そこで見た透子はクルクル表情も変わって年頃の娘にみえた。
だけど、ほら、俺の透子は、こんな顔をする。
俺が背後から透子を抱きしめると、前にいる男どもが一斉に人間の皮をはいで、獣中の獣の顔にかわった。
そして、この俺も同じ顔をしているに違いない。