第45話 父の病室
私は連絡を受けた後も、黒ユリ館にいてその後の選択授業まできっちり終わらせてから、父の入院しているという病院にユキちゃんに迎えにきてもらって向かった。
餅は餅屋っていうでしょ,病院いくならユキちゃんよ。
元の家の傍にあるその総合病院は、ユキちゃんとこに比べれば小さいかもしれないけれど、ここいら辺の人間は、具合が悪くなると殆どここにくる、そこそこ大きな病院だ。
ここには私も小さい時から何度か世話になった覚えがある。
ユキちゃんは特に私と私の家族の関係に気を使っているから、この間ユキちゃんちに行った時の様子でよくわかったし、大丈夫だよと教える、ちょうどいい機会だと思う。
私は受付で名前を書き面会バッジをつけて、その病室の中に入った。
そこは4人部屋で、そのうち2つは空いていた。
その病室の窓際の一つに父が点滴をつけて静かに横になっていた。
ベッドサイドには母と姉がいた、父は眠っているようだ。
私がユキちゃんと入っていくと、母が何やら言ってきたみたいだが、私は聞いちゃいなかった。
誰より先に姉の碧を見たかったから。
私が中3で家を出る時、いつも睨みつけて私を見ていたあの姉は、戸惑ったように私を見て薄く笑いかけてきた。
そしてそれは、どうという事もないと、この再会にたかをくくっていた私に静かな冷たい、色で言えばひんやりとした蒼い、そんな怒りを呼び起こした。
笑いかけてなんて欲しくなかった、あのまま堂々と「何か文句でもある?」っていう態度のままでいて欲しかった。
何故そう思うのかは自分でもわからないけど。
ああ、そうか、その笑いの中に、あの出来事を軽んじる気配があったからだ。
姉の中ではすでに過去だという事を、その笑みの中に見たからだ。
けげんそうにに私と一緒にいる大人の男であるユキちゃんに目を向ける母たちに、ユキちゃんが名刺を出して、爽やかに挨拶しながら渡している。
母は驚いてユキちゃんと私を交互に見る。
そりゃあ日本でも大きな病院グループの代表だもんね、ユキちゃんは、凄いよね、わかる、わかる。
私は母と話してるユキちゃんを横目でみながら、私をうかがうように見る姉に、
「私のダーリンよ、触るのはやめてね。」と言った。
ちょっとは思い出した?
母と姉は数年ぶりに会った私の第一声がこれなんで、どう返していいかわからないみたいで、目を私と合わせようともせずに、逃げるように父の倒れた状況をそのままま説明してきた。
あらま、何にもないふりは健在なのね。
ユキちゃんは私にダーリンと呼ばれたのが嬉しいらしく、すかさず私にキスをしてきて、そうキスをしやがりました、ここで!
そして、甘い優しい声を出して、担当医に詳しい話を聞いてくるから待ってるように、と言って病室を出ていった。
・・・この空気どうしてくれんのよ!放置プレイは私がおもしろいと思えばするもんで、決して私がされるもんじゃないはず!ユキちゃん後で覚えておきなさいねっ!
そんな微妙な空気もかえりみず、いや、元々こういう人だったか、母が私の制服姿を見て、すっかり綺麗になって、とバカな事を言いはじめた。
私が病室に入っても、父に何の関心も向けないのを、見もしないのを取り繕うように、気付いていないというように。
そうね、どれだけ私にお金がかかって磨かれているか、あの半端ない男達に磨かれているか1から10まで教えてあげましょうか!って言いたいとこだけど、あなたたちに話しても意味がない事だし勿体ないから話してなんてあげない。
あの、姉とあの男がいるのを見ただけでおかしくなった自分を捨て去る為、私は自分でも頑張ったと思うし現在進行形で自分を褒めてやる。
だから、だから、・・・私はこの病室にきて初めて優雅に微笑んだ。
完璧な所作で、そして目には怒りの蒼い炎を潜ませたまま私は家族であった二人を見た。
そして、ベッドで静かに横たわる父と、私を驚いたように、違う生き物を見るように見ている母と姉に
きちんと挨拶をした。
「お久しぶりです。」と、私にとって他人であるという線引きの元に。
そこにはまだ10代と言うのに、大人の色香と少女の清廉さを併せ持つ優雅な美しい生き物がいた。
碧はそんな妹に目を見張り、その雰囲気に頭から飲み込まれている母と自分を知りながら、そして妹だったあの天真爛漫な明るい笑顔とやつれた姿を改めて思いだし、自分がした事の本当の意味を知った。
最早、妹だったあの子はいない、この冷たく感情もなく自分を見据える美しい少女がいるだけだった。
あの太陽のような妹を壊したのは自分だと、ようやく自分が逃げ続けたその事実に、その恐ろしさに驚愕した。