第2話
透子は中学3年になった。
新しいクラスで去年の透子の陥った闇を知る者は親友の良子以外いない。
今の透子はもの静かで少し大人びた、時々いたずらめいた視線を無防備に投げかけ、異性はもちろん同性であるクラスメートをドキドキさせる少女になっていた。
バスケを止めたのも、少し体を壊して、という理由が本人があずかり知らぬ所で落ち着いている。
そのため、皆遠慮のような気おくれを抱え、積極的に透子にかかわるものはいなかった。
それまでの透子は小、中と続けているバスケ仲間が自然と目立っているせいで、その一角である透子もまた、まぶしいほどの生き生きとした存在感で学校では目立つ存在だった。
それが急にバスケも止め、どんどん痩せていくのに小学校からの仲間たちも顧問の先生もいろいろ透子に声をかけてきたが、全て打ち明けられた良子が防波堤となって、あのころの虚ろな透子を守ってくれていた。
透子は毎日のように学校から出ると、何時間もふらふらと散策をするのが日課になっていた。
これが、とてもおもしろいのだ。
繁華街の裏路地は、まだその本領を発揮する夜を待つまで、炭酸の抜けたコーラのように色のない様相を呈していて、そこがデンジャラスな牙をむく夜半まで静かに横たわっているのだ。
そこを透子は毎日通いつめ、その迷路のような路地の津々浦を猫のように自由に行き来できるようになっていた。
また、ある時はデパートの探訪にあけくれ同じようにそこを自由に誰よりもこぎみよく闊歩した。
そして現在の透子の興味は、電車で1時間近くかかるこの埋立地の堤防だった。
ここは堤防と呼ぶにはおこがましい小さな海辺に突出するコンクリートの塊だったが、毎日透子はここにきて、じっと座って海をみたり本を読んだりして、潮風の寒さに身を震わせつつ上機嫌に過ごしていた。
そしてそんな自分と同じように毎日ここに釣りをしている人がいた。
フードつきのジャンバーが毎回同じなので、同じ人かな思うくらいの関心しかないが。
あの出来事からあまり人間に興味を持たなくなった透子が気付いたのには訳がある。
何せそのジャンバーがそれはあくどいピンクの色で、毎日ここにきて2週間になるが、ここ何日かでその視界の暴力のようなピンクが自分の目に入るようになり、ここにきたらまずそのピンクを一度は確認するようになった。
ああ、またいる。
そう確認はするが、かといって透子はその人間を本当には気にはしておらず、自分の定位置、そのコンクリートの少し座りやすいそこに腰かけ、今日も海を眺めるでもなくただぼ~っとしていた。
そして、ふとピンクの人、透子はピンクの人と勝手に呼んでいるが、その人の竿が上下に揺れているのを、何気に目の端に捕らえた。
透子が竿が揺れるのを見るのは何度かあったが、ピンクの人は一度もその竿をあげようとした事がない。
その竿の上下に揺れるのをみながら透子はそのピンクの人の所まで初めて近づいた。
それは透子自身ですら驚く行動だった、本当に何故か動いていた。
ピンクの人の傍まで行ってしゃがみこみ透子は声をかけた。
「ねえ、それって魚がかかってんじゃないの?」
そう言う透子に、初めてそのピンクの人がこちらを向いた。
ピンクの人はまだ若い20代後半くらいの、肩までかかるフードから見える茶髪に金の混じった髪をした男だった。
彼は透子を見て、ほっこり、そうほっこりとしか言えない表情のまま軽く笑い、眉を少し上げ、透子にその竿を手渡してきた。
あわてた透子がそのままビタンと座り込み、何故か目で促されながら、その竿、とても重く感じるそれを慣れないながら必死にあげると、海面から上がってきたそれは大きなビニールのようなゴミの塊で、それを見た透子がどうしたらいいかわからず、ピンク男を見ると、おかしそうにこちらを見ているので、思わず透子は、その竿を前にぐいっと差出し、ピンク男にかえした。
クスクスと笑う男に透子は少しむっとしたが、ピンク男がどこか遠くをみるように、
「ここの海は死んでるよ。もっと遠くじゃなきゃダメだ」
「見た目は海に変わりはないけど、ここは枯れた海だからねぇ」
そう言った。
そうして何故かこの日から、透子が先にここにいれば当たり前のように横に座るようになったピンク男、もとい青井陽二33才と15才になる透子はまるで寄り添うように、この海で雨の日以外は時間を共に過ごすようになった。
やがて陽二と携帯のナンバーを交換し、不思議な男と透子は時間があれば海であったり、携帯で話したりメールのやりとりをしたりと、まるでお互いがぴったりとくっついているのが当たり前のように過ごし始めた。
もうじき暑い夏を迎える頃、その海に他にも人がいるようになったのを嫌だと感じた二人は、陽二のすむ豪華なマンションにその場所を自然にかえていた。
そこには、5人のいわゆる普通にみえない男達が出入りをしていたが、透子がもともと陽二以外に関心がないのと、その男達の持つ雰囲気に陽二の匂いを感じ全然平気なので、彼らともすぐに名前を呼び合う仲になっていった。
こうして透子の散策という放浪も、陽二という安全な巣を見つけ終わりを迎えた。