(第七章 大学時代の恋の思い出)
神戸に着いて、ホテルにチェックインしたらすぐに住んでいた町に向かった。
三ノ宮は震災のせいか、馴染みの店はほとんどなくなっていた。古いジャズやクラシックのカフェ。競馬の親父さんたちしか行かない高架下のホルモンの串焼きの店は、大きな壺に何十年前からタレを継ぎ足してきた年代物の味だった。一本70円位だが、アバラと上ミノが最高に美味しかった。いつも娘さんと2人で、串に冷蔵庫から肉を取り出して手作業で器用に刺していた。お客は顔なじみのおじさんばかりだったが、慎吾は気に入っていて里帰りするたびに食べに来ていた。しかし、そのお店も震災で無くなっていた。
中華街の有名店は健在だったが、店頭でどこも食べ歩きできるゴマ団子やから揚げを売っていて、様子が随分変わっていた。元町商店街のアーケードは相変わらずだったが、お店も随分入れ替わっていた。
山に向かって歩くと異人館がある。おしゃれなチョコの専門店やケーキやパンのお店が目立つ。どこかのお店に入るわけでもなく、ブラブラと神戸の街を歩いて時間を潰していた。
あのローズガーデンは今どうなっているのだろう?北野ホテルは?異人館クラブは?新しい街づくりと、昔ながらの贅沢でおしゃれな場所が混在していた異国情緒あふれた町。デートでこの辺をうろついていた大学生の頃は、アルバイトで稼いだお金を財布に全額入れて、少しでもカッコつけようと女の子が喜ぶ場所を探していた。海の見えるレストラン、ワールドの本社近くのおしゃれなバー。あるいは三ノ宮から少し上がったところにある貝のつぼ焼きを食べて、ブラジル料理屋にでも行こうか?裸に近い、きわどい衣装をつけたブラジル人が陽気に席まで来て、一緒に踊ろうと誘う。どんなに深刻な話をしていても、その陽気な笑顔とグラマーな胸に圧倒されて、サンバのリズムに合わせて腰をいっぱい振って踊ったら嫌なことも発散できた。少し大学生には高級だったが、何回別れ話を笑いに変えてもらったことだろう。ジュークボックスとビリヤードのある外人が多いバーで飲むのも洒落ている。それとも、薄暗いスペイン料理屋さんで、ろうそくの明かりの中で、そっと手を握って見つめ合うのもいい。2人の気持ちが高ぶってきたら、北野にあるという星の見えるラブホテルに行けたらいいなぁ。などと夢見ながら、デートコースをあれこれ考えていた。
しかしいつも、無難にお気に入りの焼き鳥屋とか居酒屋で話をして、彼女の家まで送って、あわよくば泊めてもらうのが精一杯だった。
その頃付き合っていた藤田真由は、お嬢様大学に通っていて、実家は福井だったが高級なマンションに住んでいた。色白で真面目、優しくて、関西に帰ると神戸の家には行かず、ずっと彼女のマンションに居座っていた。
出会った時、慎吾は大学2年生だったが、新入生だった藤田真由に一目ぼれした。関西の名だたる大学と東京の私立大学のテニスサークルが、山中湖に一堂に集まって顔合わせしたのは5月のゴールデンウィークあたりだったろうか。新入生歓迎の飲み会だった。議案のようなものや予算や会計報告と新役員の紹介が終わると、みんなで食事。その後は恒例の肝試し。男女がくじ引きでカップルになって、近くのお寺まで行ってお供えしてくる。先輩たちは、くじを操作しているらしく、新人の女性の中でも可愛い子と組んでいた。そこからは、そのお気に入りの女の子を逃がさないように、そのまま宴会場に。女性グループで来ているにもかかわらず、近くの席に座らせてお酌をしてもらう。まるで新入社員の歓迎会の時の部長のように。
自分の周りに新人の中から一番綺麗な子を選んではべらせているような感じだった。彼女も選ばれたひとり。気に入らない4年生につかまり、迷惑そうだった。彼女はトイレに立ったまま自分たちの部屋に戻ってしまった。逃げられた4年生は今年も収穫ナシという感じで酔いつぶれるしかなかったようだ。
関西の大学生は東京弁を馬鹿にした。東京の大学生は関西弁を面白がった。東京と言っても東北や九州や全国から来ている田舎者ばかりだったので、結構素朴な頭のいい奴が多かった。関西人、特に大阪人はすぐわかる。自分も関西だが神戸という自負があり、大阪人とは一緒にして欲しくなかったので東京人のフリをした。関西弁で話しかけられるとつられて関西弁が出てしまいそうになる。ちょっとアクセントがおかしい標準語でしゃべると、別の人格になったような気がした。
翌日早く、山中湖の岸辺に立っていたら、彼女の方から声をかけてきた。
「松村さんは、どちらのご出身なんですか?」
「神戸だけど、藤田さんは?」
「えーっ、関東じゃないんですか?全然関西弁じゃないからわからなかった」
と、大きな目をくるくる動かしながら天真爛漫に笑っていた。
それまでも何人か彼女がいた。大学生の頃が一番のモテ期だったような気がする。実家から離れ、関西弁を捨てた自分は生まれ変わったように、キザな文句を言って、大胆な行動に出て後輩の可愛い女の子を口説くのに長けていた。高校までなら、彼女が出来たらすぐに噂になり、他の女の子と付き合うなど不謹慎だと叱られそうだが、大学生になるとクラスなどあってないようなものだし、2年生になると大学自体あまり行かなくなった。自分の証明としての大学であって、自由を謳歌していた。
東京は楽しかった。自分がどこの誰か分からないし、周囲の目を気にして、良い子ぶらなくてもいい。大学も2年生までは真面目に行っていたが、その2年でほとんどの単位は取ってしまったので、3年生からは様々なアルバイトをして人脈を増やしていた。彼女も何人かいたので、住んでいるアパートで鉢合わせして修羅場。可愛い女の子を泣かせたり、怒られたり。今となっては懐かしい思い出話だ。




