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(第四章 天涯孤独の自由と不安)

(第四章 天涯孤独の自由と不安)

庶民的な町、新丸子での生活が慎吾は気に入っていた。渋谷と横浜を繋ぐ東横線は人気があるが、新丸子という駅を案外知らない。日吉に行くと慶応大学があるので、急にお洒落な町というイメージもあって高くなるが、東京に近い下町で便利な場所で会社にも行きやすい。何しろ多摩川の河川を週末に散歩するのが好きだった。川や海が近くにあると何だか幸せな気分になる。しかも、多摩川を超えると、そこは田園調布。神奈川県から東京都になる。日本屈指のお金持ちが住む町には有名人や財界人の豪邸があって、そこを散歩するのも楽しかった。川を渡っただけで、地価が全然違う。セレブな町が隣にあるのに、急に物価が安くて住みやすいのもいい。

新丸子に住むようになって、会社に泊まることも少なくなった。マンションの前にはコンビニがあるし、近くには美味しいお魚とおでんのお店があって夜中までやっているので毎日のように通って食べるには困らなかった。そのうち馴染みになったおやじさんとお店が終わって飲みに行ったりカラオケに行ったりして結構地元の人とも仲良くなって楽しんでいた。

商店街には何でもあったし、丸子温泉の湯も下町のお風呂屋みたいな気軽さで楽しむことができる。東京近辺は、あちこちに温泉が出る。ビジネスホテルのお風呂が温泉だったり、大江戸温泉のようなヘルスセンターに江戸の風情を感じさせる様々な試みを施したアミューズメントまで。温泉好きな人にはたまらない隠れ家的な湯まである。

温泉好きの慎吾が、ここ新丸子にマンションを買ったのは三十代後半だった。バブルも弾け、中古ならローンでどうにか購入できるギリギリの年齢だった。七十歳過ぎると賃貸だと保証人がいないと貸してもらえないことがあると聞いて買うことにした。もし神戸に帰ることになっても、人気があるので借り手も多く、賃貸料が年金代わりになると不動産会社にそそのかされたからだ。しかし、両親が亡くなって、知人も親戚もいなくなったら、神戸の古い一軒家に帰る気になれなかった。そこで、土地代しか価値のない家を売ったら、三千万円にも満たなかったが、残してくれた現金や証券を足して新丸子のマンションのローンが完済できた。それからは、住宅代を払わなくても良くなったので、生活はぐっと楽になった。これなら六十五歳からしか受け取れないという老人年金が十六万円くらいしかもらえないという噂を聞いても、安心して老後を過ごせそうな気がした。退職金と両親の遺産のおかげで、贅沢さえしなければ、定年の六十歳で退職して収入がなくなっても生涯誰にも迷惑をかけることなく生活することができる。好きなことだけやっていたらいい。何もしなくてもいい。老体にムチ打って、管理人やパーキングや工事現場の誘導や夜間のコンビニやビルの掃除にと働きに行かなくてもいいのだ。恵まれていると思っていた。親たちに感謝もした。しかし、実際定年を迎えてみたら、何もしない毎日はどれだけ退屈で、実りのない殺伐とした日々だったろう。暇な時間は体も心も老いさせた。誰にも迷惑をかけない責任のある生き方をしているつもりでいた。

しかし、誰からも必要とされない、夢も希望もなく、ただ死を待つだけの日々はなんと孤独で無機質で悦びひとつない、心がすでに死んだ状態なのだと思い知った。

お金もない仕事もない、家族もいない病気持ちの生活保護でアル中になってヘルパーを派遣してもらっている知人がいた。どうせ仕事なんて、六十歳超えてあるわけないから税金も病院代もヘルパー代もいらない生活保護の方が、ずっと気楽だと話していた。確かに、そうだと納得したが、自分がマンションを捨て、銀行預金も使い果たして生活保護を得だと言ってやる気分にはなれない。

退職した先輩の中には、今まで酷使した体が仕事を辞めた途端、悲鳴をあげて、入院したという人もいた。あちこち病気が見つかり病院通いしているうちに山ほどの薬を飲まされて、薬害なのか病気なのかわからないがベッドにつながれ長患いをした挙句、まるで拷問のように機械に管理され無理やり生かされた先輩もいた。定年退職したら家庭で粗大ごみ扱いをされ、挙句に離婚を妻から言われたというのも別に珍しい話ではない。日本の産業を支え、寝ずに闘ったビジネス戦士たちの終焉が、こんなことになるなんて誰が想像しただろう。



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