表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/7

(第三章 東京気取りの関西人)

(第三章 東京気取りの関西人)

東京の大学に行って、しばらく実家に帰らなかったら、駅前に大きなマンションが出来ていたり、昔よく行っていたラーメン屋やパン屋がなくなっていたり、友人たちも地元を離れ、夜の飲み会に集まるメンバーも減っていた。東京でそのまま就職をした慎吾だったが、神戸にはほとんど帰れなくなった。

東京の二流の会社にどうにか就職した慎吾だったが、とにかく仕事が忙しかった。二十代は何度か恋もしたが、結婚は考えられなかった。子供が出来たら、家族を食わせていける自信はない。一人暮らしでもぎりぎり。東京の家賃は生活費の半分から三分の一を占めていた。

最初は少し都心から離れた場所に住んでいたので、家賃は安かったが、片道一時間半は疲れる。終電に間に合わなければ、タクシー代がばかにならない。家に帰るより、会社の近くのサウナやカプセルホテルに泊まった方が安いが、それも度重なるとかなりの負担になった。

仕方なく、自転車でも通えるくらいの下町に引っ越しをした。二十三区内なら、その気になれば歩いてでも帰れる。下手に乗り換えるより、自転車やバイク、歩いた方が早いこともある。ただ、自転車は思いのほかアップダウンがあって大変だった。神戸育ちで、坂道には慣れていると思って甘く見過ぎていた。

東京は歩いている時にはさほど感じなかったが、原宿から南青山に下る坂道はブレーキをいっぱいかけていても凄いスピードが出て転びそうになる。しかも、人混みが多く、自転車よりも歩く方が安全だと気が付いた。バイクでも道は混んでいるし、交通違反の切符も切られ、予想外にお金がかかった。

徹夜があまり続くと、家に帰るのが面倒になって、会社に泊まることも多かった。仕事が多すぎて、会社に泊まる人も少なくない。みんな、包装用のダンボールにくるまれて眠る。朝は近くのモーニングを食べる。昼はランチと言っても、東京はそば好きが多く、同僚や先輩に誘われるまま、そば屋で済ますことが多い。夜も飲みに行くこともあるが、忙しいと誰かが弁当を買ってくると言うので、何かを頼むが揚げ物が多くなる。

しかし、若かったので健康など気にもしない。東京は二十四時間起きている町。コンビニが夜遅くまで開いているので、夜食にも困らない。毎日が昼夜関わらず、皆で仕事をしていた。気付かなかったけれど、それはいつも同じメンバーばかりで、要領のいい者は早くに仕事を他人に振って、自分はアフターファイブを楽しんでいた。

やってもやらなくてもサラリーマンはお給料は同じ。バブルの時は残業代もタクシー代も出たが、バブルがはじけたらサービス残業ばかり。下手に課長や係長などという役職についたら、月三万円の昇給と共に残業代は払われなくなる。しかも、部下や後輩と飲みに行くと多めに払うか奢らされてしまう。もちろん部署内の者が結婚するとなると、行かなくても祝い金を包まなければならない。

新年会や忘年会、送別会などがあれば、参加しなくてもカンパは取られる。役職をもらった方が、責任は大きくなるのに稼ぎは悪くなる。そんな時、他社からの引き抜きや起業できる有能な人はいいが、昔気質の人は変化を嫌い、終身雇用を信じて会社に義理立てる。

若い女の子や優秀な子はどんどん会社を辞めて次にキャリアアップする。いつしか会社に残っている人は、無能のレッテルを貼られたみたいで取り残された感に苛まれる。慎吾にも他社からの引き抜きと言うか、お誘いが無かったわけではなかった。

景気のいい時代は、新たな会社を作って起業するのが流行ってもいた。利益の出ている大企業が出資してくれ、海外のインテリアやアートを買い付け並行輸入する会社を立ち上げるためのメンバーとして話があったのだ。しかし、変化はリスクしかイメージできなかった。

大きな野望も、新たなるチャレンジにも臆病な慎吾は興味を持てなかったので断った。その当時の異業種交流には、そんな話が次々に湧いてきていた。しかし、東京という土地柄なのか、話の割にはなかなか現実化しない。構想は面白いのだが、それを慎吾がやるべきことかと考えると、それほどの魅力も感じないしパワーも出なかったのだ。

なかなか昇進できなかった慎吾だったが、上のポストが急に空いて営業課長に抜擢されたのは三十五歳の時のことだった。それを機にマンションを購入した。やっと人間らしい生活をすることができるようになって、心も体も楽になっていた。

結婚を考えていた女性との別れがあったのも、この年のことだった。長い同棲生活を振り切るように新居には一人分の食器類しか無くなった。寂しいと思うと同時に、新たな環境に居心地の良さも感じていた。自分だけの空間。誰からも指示されたり、嫌々やりたくないことをさせられたり、くつろいでいる時に用事を言われたりすることは無いのだという安心感。

好きだと思った情熱は三年もすればマンネリ化して何の刺激もなくなった。次第に母親のように口うるさくなってきたし、結婚を口にしない慎吾を罵り、いつもイライラしているのにうんざりしていた。

「三十過ぎの女にはお見合い話も無いのよ。あなたと過ごしたために失った七年を返して欲しいくらいだわ」と罵詈雑言を浴びせられ、ついでに頬を平手打ちして荷物をまとめて出て行った。困惑しながらも、ほっとしている自分に驚いた。

他の若い女性に心ひかれていたせいもある。男は浮気者だと思う。本命がいても、つい美しい女性がいたら目を奪われてしまう。タイプの女性には、ついドキドキしてしまう。女性のように性格とか甲斐性などの条件などは、ほぼ気にならない。「抱きたい」という衝動だけが男を動かしている。

慎吾は争いを好まない。自分から物事をジャッジメントすることは、できるだけ避けたいと思っている。同棲も彼女が押しかけて来て、なんとなく夫婦のように生活していた。家事はすべてやってくれる彼女に感謝もしたし、同棲して数か月は確かに幸せだった。

しかし、毎日同じ料理だと飽きるように、同じ女とばかり寝るとマンネリ化して刺激も無くなり、仕事が忙しいせいにして家に帰らないこともしばしばだった。だんだん彼女が不機嫌になっているのがわかって、より彼女を遠ざけるようになっていた。

面倒なことが嫌いなのだ。七年も一緒にいたら、お互い嫌な部分も目についてくるものだ。子供ができなかったのも要因のひとつだったろう。妊娠に努めていたのは一年くらいで、あとは成すがままになっていた。それなのに彼女は妊娠しなかった。そして「子供は欲しくはない」と言っていた。

実りの無い二人の生活は、一体どこに向かっていたのだろう。七年目の浮気はダブル不倫とでも言うものなのだろうか。結婚もしていないのだから、自由恋愛と言うべきかもしれない。

しかし、人のウワサも七十五日と言うのは本当だった。別れてすぐに別の男と結婚した彼女が円満退社すると、皆、慎吾に同情を寄せ、悪評は嘘のように消え失せた。

独り暮らしは快適だった。誰からも邪魔されない自由な時間。何人もの女性と付き合っても文句を言う者はいなくなったのだから。

しかし、神戸の両親の健康不和の電話がしきりに実家からあったのも、この頃だった。父が脳梗塞で倒れ、母が泊まりがけで父の看病をしていた。

そうして一年余り、親たちの病状に寄り添うかのように東京と神戸を週末ごとに行き来していた。

母は眠るように亡くなった。そして追うように父も亡くなった。四十代の慎吾には、家族と言えるのは両親だけだったのに。

慎吾は泣くこともできず、淡々と喪主を務めていたが、内心はショックで立ち直れないくらいうちひしがれていた。

父が七十二歳、母が六十八歳だった。父の脳梗塞を看護していた母の方がガンで先に亡くなった。その後を追うかのように四十九日を待たずに父も亡くなった。

親の遺産のおかげでローン返済は済んだし、老後に必要な現金も手元にある。何の心配も無いはずなのに、看護や子育てに奮闘している後輩たちを羨ましいと思う。

結婚もしないで、流されて自分が食べる分だけ稼いで、苦労もなかった自分には宝物のような思い出すら無いのだから。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ