表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

(第二章 幼い頃の思い出)

母が生きていた頃の付き合いのあった親戚も、今は連絡先も分からない。祖父母も全員、中学生の頃に亡くなり、お葬式には行った記憶はあるが、随分田舎だったように記憶している。また行けと言われても無理だが、母方は兵庫県の山奥で、イノシシや地鶏料理が美味しかった気がする。たまに遊びに行った母の実家は、四季折々、田畑や鎮守の森たちが都会育ちの慎吾を楽しませてくれた。春はツクシやセリ、タラの芽やフキノトウなどを採りに行っては、祖母に料理してもらった。あの当時は美味しいとは思わなかったが、年齢を経るにつれ懐かしく、食べたくなる。季節ごとに山菜やきのこなどを、祖母がいた時は送ってくれていた。山と川と田畑しかない人口密度の低い田舎は、幼い慎吾にとっては冒険と神秘に満ちた、おとぎ話にでも出てくるような不思議な所だった。


父の方も同じ兵庫県だったが、日本海の近くで、いつも父が素潜りで鮑やサザエを獲って来てくれて、浜でバーベキューしたものだ。父の実家に行くと、活きた赤イカやタコや魚がふんだんに食卓を飾っていた。今思うと贅沢な話だが、幼い頃には肉の方が好きだったので、あまり嬉しくなかった記憶がある。年齢を重ねるごとに、その味わいが分かってくるのだが。


祖父母がいた頃は何度か帰省していた両親も、親たちが亡くなったら行かなくなった。遠くの親戚より近くの他人だとはよく言ったもので、神戸に出て仕事が忙しかった両親には、田舎に帰る時間がなかった。


両親共働きで、一人っ子の信吾は、近くのおじさんやおばさんに面倒を見てもらって大きくなった。世話焼きの人々が自分の子供のようにかわいがってくれた。「今日は、おばちゃん家でごはん食べよう」と、料理上手な友達のお母さんが誘ってくれる。迎えに来る母に「信ちゃんがいた方が、ウチの子たちも喜ぶから遠慮せんといてな」と言っているのが聞こえる。三人兄弟で、一番上の兄の同級生だったので、弟たちは信吾の言うことをよく聞いた。小さい頃の二歳は随分差があり、兄の真似ばかりして、親分子分のように兄を尊敬していた。その友人も、何か大人のように見える慎吾には絶対服従で、逆らうことはなかった。信吾の体格が同じ年の子よりも随分大きかったので、周囲の悪ガキをこらしめていて、ちょっとしたヒーローだったからかもしれない。


子供の頃は、とにかく愛嬌のある子だった。いつも笑顔で、挨拶も大きな声でする。それはある時、強面の町会長のおじさんが教えてくれたのだ。「挨拶がちゃんと出来たら、いい子だとみんな勘違いするから。一回やってみろ」と。小さい頃はどちらかというと引っ込み思案で暗かった信吾は、この言葉を実践してみた。おじさんは怖い顔をしているのに、地域の世話役をしたり、人格者と呼ばれ皆から慕われていたのだ。幼い信吾にはそれが不思議で、「なんで、おっちゃんはそんなコワイ顔してるのに人気があるん?」と聞いたら、笑いながら頭をぐちゃぐちゃにされ、教えてくれたのだ。


「挨拶したいけど、知らん人と知ってる人の見分けがつかん」と言ったら、「出会った人みんなに挨拶したらええ」と。「変な奴は、挨拶したらコソコソ逃げよるわ。挨拶されて嫌な人はおらん。ほら、外人さんにもハロー言うたらええねん」と。次の日から、信吾は勇気を出して挨拶をしてみた。最初は自信がなかったので小さい声で、相手の様子をうかがいながら。すると、お年寄りのおばさんなどは、持っている飴やお菓子をくれた。おじさん達も、笑顔で大きな声で挨拶を返してくれた。それが嬉しくて、信吾は大きな声で挨拶するようになった。町中のみんなが知り合いになった気がした。ある時、父が「お宅の息子さん、礼儀正しくていい子ね」と褒められたと、上機嫌で話していた。母も、「隣の方からお菓子のおすそ分けを頂いたけど、信ちゃんなんか人気者らしいなぁ」と嬉しそうに言っていた。


笑顔と挨拶だけで、信吾は人気者になった。商店街を歩いていても、知らないおばさんが焼き芋をくれたり、よく見る顔だけど実は知らないおじさんがお菓子を買ってくれたり。挨拶と笑顔が、鍵っ子の信吾の世界を生きやすくしてくれた。


日本人は村社会で、よそ者をあまり歓迎しない。それでいて、いつも他人を観察していて色々と噂している。最初はコソコソ話をしていて、信吾を見ると作り笑いをして逃げていたおばさん達も、元気に挨拶しだしたら様子が変わり、親しげに話をしてきた。「そう、お母さんもお父さんも働いてんの?寂しかったら、いつでもおばちゃんところにおいでな。美味しいもん食べさせてあげるから」と声をかけてくれるようになった。「期待しとうで」と快活に言うと、本当に食べに連れて行ってくれた。大げさに「こんなん食べたことあらへん。うまい」と言ってパクパク食べたら喜ばれた。「そうそう、子供は遠慮したらアカン。いっぱい食べや」と。いい人ばかりだった。お節介焼きで、親切な人が多かった。


関西人はよそ者をなかなか受け入れないが、一度懐に入ると損得関係なく可愛がってくれる。信吾も親に育てられたと言うよりも、地域の人々に育てられたようなものだった。


信吾には母親の料理の記憶はあまりない。その分、あそこの家のおばちゃんのおでんは最高だったとか、あそこのおばあちゃんの煮物はいくらでも食べたくなって毎日でも飽きないおふくろの味だとか、あそこのおじいちゃんのオムライスは絶品で、その辺のレストランにも負けない懐かしくてほんわか心が暖かくなる味だとか。今で言う食レポが書けそうなくらい、それぞれの家の味には思い出があった。ただ、あるお金持ちの家でごちそうになったソーメンは最悪。ソーメンつゆは醤油だったし、麺はのびていた。とても食べられる代物ではなかったが、友人は気にせず食べていた。どうも、友人の母親は味オンチだったのか、あまり料理は得意ではないようで、どこかのお弁当とか店屋物とかが多く、たまに手作りだとマズい物しか作らないのだとか。お金があっても幸せだとは限らないと、その時悟った。


小さい頃は、どこの家にも自由に入ってごちそうになったり、そのままお泊まりしたりと楽しかった。しかし、さすがに中学生になると声変わりもし、遠慮もするようになった。小さい頃は食べる量も知れているが、中学生になるとどんぶり飯。さすがにごちそうになるには迷惑な量を食べるようになった。部活も忙しかったし、大人たちといるより友人たちと遊んでいる方が楽しかった。


共稼ぎだったせいか、家も建て、塾に行ったおかげで進学校にも行けたが、地域の人たちとの関わりが少なくなった。たまに食事に行くと、「まぁ、信ちゃん何?大きくなって、立派な大人になってわからんようになったわ」と感激してくれて、おかずやご飯を山盛りサービスしてくれた。


しかし、ある時、慎吾に挨拶をするようにアドバイスしてくれた町会長さんが亡くなった。その頃から町の雰囲気が変わった。新しい人が会長になったら、町ぐるみのイベントが無くなった。コワオモテの町会長さんは、挨拶するだけじゃなく、街の人々のために色々尽力されていたのだと思った。町会長が若い世代に変わるたびに、人々の繋がりが薄くなっていく感じがした。しかし、思春期を迎えていた慎吾には、人間関係が疎ましく感じるようになっていたので、お世話になっていた人と疎遠になることも嫌ではなかった。商店街も大型スーパーのせいで廃れていき、街の有志だった米屋や酒屋のオヤジさん達も元気がない。豆腐屋も漬物屋もなくなった。下駄屋や布団屋、電気屋も、よろず屋もコンビニの進出と共に姿を消した。商店街は飲食店ばかりになって、顔見知りのおじさんやおばさんはいなくなってしまった。


祭日にはどこの家にも日の丸の旗が飾られていて、応接間にはどこでも天皇陛下と皇后様の写真が飾ってあった。あれは、いつから終わり、捨てられてしまったのだろうか。夏の夜市や盆踊りは。秋の子供会のハイキングとバーベキューは。クリスマスになると、あちこちに飾られていたツリーも、お正月の門松やしめ縄も。いつの頃からか見なくなった。子供が少なくなって、子供会が意味をなさなくなっているのも一因だった。そして、世話役が年老いて元気がなくなり、商店街が廃れて色々なイベントをするには予算がない事などなど。時代と共に町の様子は、めまぐるしく変化していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ