(第一章 退職後の憂鬱)
人生の黄昏時に見る夢は?忙しい時には気が付かなかった。いつか時間に余裕が出来たら、あれもしよう、これもしたいと夢見ていたのに。実際、六十歳になり定年退職の日を迎えた松村慎吾は複雑な心境だった。
退職するのは今年は三人。同期入社したのは確か数十人はいたのに。途中リストラや一身上の都合で退社し、定年まで勤め上げたのは松村慎吾の他、全然部署の違う二人だけだった。バブル前の好景気の時に入社し、全盛期には社員数は今の十倍以上いたが、リーマンショックやギリシャ危機、あちこちで起こったテロや震災で貿易部門は手痛い負債を負う羽目になった。
イケイケドンドンだった社内の雰囲気が一気に冷め、クレームや資金調達に胃が痛い思いをしたこともあった。国が中国に工場を移すと助成金がもらえるので、その国策に乗って工場を中国に移転してしまったのも、手痛い負債を招く結果になってしまった。人件費の低い東南アジアにも工場を移転したのも、今になってみたら裏目に出た。現在、二十分の一だった人件費による利益が、ほとんど無くなった。それどころか、国の方針で勝手に法律を変えられ、ありもしない歴史を捏造されて撤退を余儀なくされている。日本の技術は盗まれ、何億円という資金援助は感謝さえしてもらえず追い出されるのだ。同じように資金提供し、感謝しリスペクトしてくれる国もあったが、経済大国になった中国や韓国などはライバル視して、国民感情を悪くするための教育を施し敵対視する。
共に成長繁栄するために、平和と相互協力を目指して誠意を尽くして導いた人々に反旗を翻されたら、撤退するしか術がなかった。ある意味、日本はオメデタイお節介人ばかりで、ひどい仕打ちをされても自分が悪かったなどと反省ばかりしている。それは、戦争を知らない、戦後の豊かさの中で呆けてしまった団塊の世代の皆が少なからず被ったであろうことだった。そんな時代を乗り越えてきた。この会社と共に生きてきたビジネス戦士たちが、毎年退職していく。
SNSやAIの発達によって人員は削減され続けている。少数精鋭とばかり今のオフィスに変わったのも昨年のことだった。そのうちロボットが雑多な肉体労働を担い、少人数で大きなプロジェクトにタッチする時代は間近なのだろう。
そんな会社に、アナログで人情派の慎吾が活躍する場など無かった。所詮、【老兵は去るのみ】と諦めた。あと五年は会社に残れる優遇処置もあったらしい。しかし、仕事量は同じなのに給料が半額くらいになると聞くと、ヒマ潰しに会社に行くなんて時間がもったいないと思って志願すらしなかった。家族がいたなら、慎吾もそうした選択をしたかも知れない。あいにく孤独死覚悟のお一人様。他の二人も同じ年なので、世間的には早いリタイア組だったと言えよう。
送別会は特別には無かった。朝礼で社長から訓辞があり、若い女の子が手にいっぱいの花束を渡してくれただけだった。そもそも、最近は仕事仲間との飲み会も無かった。一応年功序列で上の方にいる慎吾には、奢らなければならない立場なので若者たちがついて来ないのは、ありがたくもあった。
これからは、悠々自適な生活が待っているのだという期待と、馴染んだ会社に二度と行くことはないのだということに少しセンチメンタルな気分にさすがになった。今までの労をねぎらって、もらった花束も心のこもっていない拍手も、正直嬉しくはなかった。それでも、いつもの営業スマイルで皆の笑いを取るためのオヤジギャグを飛ばして最後の挨拶をした。ウケたのは年齢の近い社員だけで、若者たちは苦笑すらしてくれなかった。『笑いの無い職場に未来は無い』と心の中で捨てゼリフを吐きながら、エレベーターのドアが閉まるまで敬礼していた。花束は仰々しいほど派手で、持ち帰るのも恥ずかしい。行きつけの店にでも寄って女の子にでもあげようかとも思ったが、そんな気楽な相手がいないことに気づいて家に持ち帰った。
花など、もらったことも買ったことなど無かった慎吾の部屋には花瓶なるものはなかった。仕方なしにバケツにつけていたら、いつの間にかしおれて枯れていた。その花束をゴミ袋に入れたら、それが自分の存在と重なって、急に虚しくなった。「人生いわく不可解」と言って華厳の滝に身を投じた藤村操の心境が、わかるような気がした。
突然襲われる虚無感。死に捉われ、未来に希望を抱けなくなったら、人は自ら死を選択するのかも知れないと。胸がキリリと痛む。終わりは、そっけなく、会社に行かなくなっても何一つ変わらない長いバケーションが始まったかのような日常が横たわっていただけだったのに。急に社会人になってからの人間関係や、楽しかったことばかりが思い出されて寂しさがこみ上げてきた。
一緒に会社をリタイアした二人は、あれからどうしているのだろう?一人は年老いた親の介護もあって田舎に帰ると言っていた。あの日、そのまま東北新幹線に乗って帰って行った。寝たきりになっている田舎の母親は、朝起きて、あの花束が飾られている窓辺を見て目をそばだてて喜んだだろうか?もう一人の同僚は愛妻家で通っていた。リタイアしたら、苦労をかけた妻と世界旅行をするのが夢だと語っていた。
あの花束は妻に今までの苦労をねぎらいながら渡されたのだろうか?家族がいて、リタイアしても必要としてくれる人がいるというのは羨ましい。こんなに独り身なのが堪えたのは初めてだった。若い頃の慎吾は、天然ともいわれるくらいの超ポジティブな性格だった。物事をくよくよ考えず、クレームも変化も未来のための肥やしなのだと考え、まっすぐに物事にぶつかり乗り越えてきた。沢山の友人知人もいたし、女友達や恋人だって不自由したことはなかった。今まで結婚しようと思った女性がいなかったわけではない。ただ、決断できぬまま日々を重ねているうちに、この年になったというのが本当のところだった。
子供も好きだし、家族だって疎ましく思ったことなどない。この女と共に白髪が生えるまでと思うと首をひねってしまい、躊躇しているうちに彼女は去って行った。
心の中にモヤがかかっていて、目の前にいる彼女が結婚相手ではないと告げてくるのだ。「優しいだけで、決断力の無い人ね」と頬をぶたれたこともある。自分の中にある運命の人が、慎吾を捉えて離さない。こんな年になるまで、何を子供じみたことを言っているのだと友人たちにも呆れられた。
しかし、六十歳になっても、心は十代の時と変わらない。まるで、ネバーランドに迷い込んだピーターパンみたいに。どこか穢れを知らない純粋で少年のままの好奇心と遊び心を持ったまま大きくなって、夢から覚めたら老人になっていた浦島太郎のようだと苦笑する。
両親が亡くなったのは慎吾が四十歳の時のことだった。孫の顔を楽しみにしていた親がいなくなって、余計に結婚が遠のいた。そう、すでに四十代で親兄弟もいない独り者になっていた。それでも、仕事が忙しく面白くなっていた時だったので、身軽な慎吾はむしろ会社にも重宝されていたのだろう。そうやって、忙しさにかまけていたら、定年退職の日を迎えてしまった。
六十歳は思っていたより若かった。まだまだ働けるし、退職金で、ひと花咲かせられるのではないかと夢見たりもする。しかし、しょせん経営者の器ではない。長い営業職で培ったノウハウなんて、あの会社で使えるというだけのもので、お世話になった人脈も皆リタイアしてしまっている。
若い世代の営業方法はSNSなどを駆使したもので慎吾には使いこなすことができない。いまだにガラケーで、何の不自由も感じていないのだから。時代遅れの老兵に過ぎないのだと理解し、きれいさっぱり会社を定年退職したのだった。
まだ元気なうちに何かしたかった。忙しさを理由にして、やり忘れていたことがあるだろうと。しかし、ぽっかり空いたスケジュール帳は空白だらけ。プライベートのアドレス帳も、長年連絡もしていないのでつながるかどうかもわからない。そうやって一週間も過ぎたら、現実がやっと呑み込めてきた。このゴミ袋の中で朽ちて他の生ゴミと同じように捨てられる花束のように。世の中から、いずれ厄介者になるしかない、ただの老人なのだと。
次第に生きていくのが辛くなった。しかも、相談できる友人知人もいないという現実。この世から自分が今消えても、泣く人は誰もいないのだという衝撃。社会戦士だった自分に支払われたのは、一人分の生活費だけだったなんて。いくらポジティブな性格だと言っても、さすがにブルーになった。鬱になる人の気持ちがわかった。根腐れしていた草花のように、未来のない慎吾は誰にでも来るという死だけが、唯一の救いなのだと思うほどの心境に陥っていた。
ぼやけた意識の中で、ほとんどダラダラ惰眠を貪っている日々の中で、かすかな光は高校時代の初恋の思い出だった。あの高校生の時に見た黄昏色の空が忘れられない。一緒にいた少女の笑顔。色とりどりに変わる美しい空のようなトキメキの日々が思い出されて。あの時の狂おしいほどの恋心。忘れていた。いや、いつも心のどこかにしまい込んで見ないようにしていただけだ。より鮮明に思い出す。
ここまで独りでいたのは、あの恋が忘れられなかったせいではないかとさえ思うようになった。そう、今までは仕事が忙しすぎて、日々自分の人生を顧みることなどなかった。言われるまま、こなしてきた仕事は楽しかったが、今の自分には焼け焦げた情熱の残り香しか感じられなかった。この年で、何ができるだろう?あちこちガタのきている体で、どんなロマンスがあるだろう?あっという間に過ぎて行った青春の日々は、取り戻せない。そもそも、ヒマが無いせいにしていて、一歩も前に進めなかった臆病者なのだから。これからだって、周囲の人に迷惑をかけぬよう、ひっそりと老後を暮らしていく映像しか思い描けない。
誰かに助けて欲しかった。誰かと繋がり合いたかった。もともと人なつっこい性格だったのに、社会人としての良識が邪魔して、声をかけられない。名刺や会社の看板が無ければ、自分が何者かがわからず、他人との関わるスタンスに悩んでしまうのだ。新しい出会いなど無い。今更、習い事や趣味でコミュニティを作るのも面倒だった。その前に、いったい自分は何が好きで、何が得意なのかがわからない。本を読んでみる。面白いと思えるものが、見つからなかった。ビジネスマンだった時、ノウハウ本ばかり読んでいたことに気づく。
定年退職した慎吾は、会社に行くことがなくなって、当初は自由に暮らせると喜んでいた。ゴルフも土日に行かなくてもいい。平日は空いているし、料金だって安い。しかし、嬉しがって行っていたのは最初だけで、いつでも行けるとなると案外行かないものだ。一緒に行ってくれる友人が少ないのも理由のひとつ。仕事があるせいで行けないと思っていた海外旅行や釣りや山登りなども、若い時とは違い遊ぶ意欲に欠ける。マージャンもカラオケも、夜の社交場も誘われ付き合いで行っていただけなのか、リタイアしてからは一度も行っていない。逆にいつでも行けるから、かえって行かないものだ。スケジュールを組むのが、面倒臭い。あんなに社交的だったのに、引きこもりのように、家で過ごしている。
もう、何日、人と話していないことだろう。お酒も大好きだった。仕事帰りは、飲み歩いていた。休みの日には、昼から飲んでいると贅沢な気がしていた。今は仕事に差し支えないので昼から飲んでもかまわないはずなのに、行くのが億劫だ。毎日飲みに行かなければ気が済まなかったのは仕事のストレスのせいだったのか?いや、仕事仲間や仕事に繋がりそうな人と情報交換するには飲み会が一番だったから行っていただけかも知れない。
しかし、今は会社から任されている仕事があるわけでもない。一番寂しいのは、会社という看板がなくなったこと。今何をしているか?と尋ねられたら、「定年退職して、何もしてません」と答えるしかない。その瞬間、相手は自分への関心が無くなる。いや、何を話せばいいのか、わからなくなるという感じかも知れない。人は共通点か、仕事のことを話して、一緒に居る時間を埋める。夫婦や家族がいれば、話題にこと欠かないかも知れないが、あいにく慎吾は独身。天涯孤独な身の上だ。両親も亡くなって、兄弟もいない。もちろん、親戚付き合いもしてこなかった。思い出すのは幼い頃の神戸での生活。あの頃も一人っ子で寂しかったけど、地域の人々と繋がっていて楽しい思い出ばかりだったと笑顔が漏れる。




