私たちはどう生きるか2~あるメモ魔の男のその後の姿より~
今よりずっと昔、イタリアのフィレンツェという町に、メモをとることが大好きな男がいた。
その男はいつも、なにかを考え、なにかを感じ、なにかを観察していた。
そしてそれらを、ポケットに入れた掌ほどの小さなノートに、思いのままに書き留めていた。
だからその男はずっと「自分にはノートとペンさえあればいい」と、そう思っていた。
♢♢♢
ある日のこと。
その男は木枯らしの吹く裏通りで、コートのポケットの中をごそごそとまさぐった。
だが、ポケットの中にも、安物の財布の中にも、カネはなかった。
男は給料日前だったのだ。
そして肝心のノートは書ききってしまい、ペンは書きつくしてしまった。
「ノートとペンがないなんて。ならば覚えなければ、覚えなければ……」
しかたなく、メモ魔の男はぶつぶつと独語した。
♢♢♢
そうして過ごしているうちに、男は初めて、ノートとペン以上に大切なものがあることに気づいた。
「メモ魔の私にノートとペンがなくても。誰かに何かを伝えたいという想いこそが、私の人生ではないか。その誰かとはつまり友、何かとはつまり、私の情熱だ」
デンマークの実存主義哲学の父、セーレン・キルケゴールは『可能性を創れ、可能性を創れ』と唱えた。
それよりずっと昔。ひとりのメモ魔の男は、情熱という、自分の可能性の真理に気づいたのだった。
♢♢♢
それ以来。その男は、ノートとペンに頼らない暗記法をよすがとした。
男の特技はメモ魔から独語の呟き、そして語り部へと発展したのだ。
フィレンツェの名もなき語り部の男。
それでもやはり誕生日のプレゼントには、新しいノートとペンを所望したという。




