私が──ルナです
配信開始、三分前。
スタジオは、異様なほど静かだった。
美月は、モニターの前で背筋を伸ばして座っている。
指先は揃い、表情は穏やかで、完璧なアイドルの顔。
――震えていない。
それが、自分でも意外だった。
(大丈夫)
かつて、ギルドが壊れた夜。
名前が独り歩きし、期待と嫉妬に潰されそうになった記憶。
それらは、確かに消えていない。
けれど今は――前を向ける。
「……行きます」
カウントダウン。
3。
2。
1。
『こんばんは。本日はお時間をいただき、ありがとうございます』
美月の声は、澄んでいた。
チャット欄は、まだ荒れ気味だ。
『説明しろ』
『不正の件どうなった』
『早く話して』
美月は、それらを一切見ない。
カメラだけを、まっすぐに見る。
『今日は、皆さんに直接お話ししたいことがあります』
一瞬、ざわめきが止まる。
『先日の配信事故について。
まず、お騒がせしてしまったことをお詫びします』
形式的な謝罪。
だが、その声には、迷いがなかった。
『そのうえで――
はっきりさせます』
息を吸う。
『私が使っていたあのアカウントは、
運営から与えられたものではありません』
チャットが加速する。
『じゃあ』
『なんなの?』
『まさか』
美月は、ほんの一瞬だけ目を伏せ、
次の瞬間、アイドルとしての笑顔に戻る。
『私が、長年プレイしてきたものです』
間。
『そして』
スタジオの空気が、張り詰める。
『私は――
エピキュクルス・オンラインで
“ルナ”という名前で遊んでいました』
──完全な、沈黙。
チャットが、止まった。
誰も、言葉を打てない。
そして、次の瞬間。
『??????』
『本人???』
チャット欄が、爆発した。
『マジで???』
『ルナってあのルナ様??』
『伝説のギルマス???』
美月は、微笑んだまま続ける。
『信じられない方もいると思います。
でも、不正は一切ありません』
『あの装備も、レベルも、
時間をかけて、仲間と一緒に積み上げたものです』
コメント欄に、別の流れが混ざる。
『廃プレイヤー勢の証言、本当だった』
『そもそも動きがヤバかった』
『ルナって本名の美月から取ってたんだな』
そして──
『……え?』
『待って』
『ルナ様って』
『こんなに可愛かったの????』
空は、画面の前で吹き出しかけた。
(そこかよ……!)
だが、それは否定ではなかった。
ネットは、驚愕していた。
“伝説の美少女マスター”
――それが、ただの誇張でも、美化でもなかったことに。
『想像の三倍美少女』
『この子が全土統一したとか、ギャップえぐい』
『伝説の傾国の美少女、存在してたんだ……』
『これは可愛すぎてギルド崩壊したのわかるわ』
美月は、最後にこう言った。
『私は、アイドルです』
『そして、このゲームが大好きな、一人のプレイヤーです』
『どちらも、本当の私です』
深く、一礼。
『これからも、よろしくお願いします』
配信終了。
画面が暗転した瞬間、
美月は、ゆっくりと息を吐いた。
「……終わった」
そこへ、空からメッセージが届く。
【空】
『かっこよかった』
美月は、スマホを見て、少し照れたように笑う。
「……ありがとう」
トラウマは、消えていない。
でも、それに縛られることも、もうない。
“ルナ”は、逃げなかった。
“美月”は、負けなかった。
そしてネットは、その夜ずっと、ルナ=美月の話題で大騒ぎだった。




