アイドルへの、スカウト
美月が「相談がある」と言ったとき、俺は嫌な予感より先に、胸がざわついた。
場所は、前にも三人で集まったことのある喫茶店だった。
蓮がいる時点で、ただ事じゃないのは分かる。
「……実はさ」
少しだけ緊張した表情で、美月が切り出す。
「アイドル、スカウトされたの」
一瞬、言葉が理解できなかった。
「……え?」
「助っ人で入ったダンス部の大会で、声かけられて。
最初は冗談かと思ったんだけど」
そう言って見せられた名刺を、蓮がひょいと取る。
「あー……これ、うちの事務所だ」
「は?」
今度は、俺と美月が同時に声を上げた。
「大手だよ。
ちゃんとしたスカウト。冷やかしじゃない」
蓮は淡々と言うが、その目は真剣だった。
頭の中で、いくつものピースが一気につながる。
カラオケで聴いた、あの歌。
歌も、趣味のギターも、素人の余技のレベルを超えている。
さらに、男子と混じってサッカーをやっていた身体能力。
画面越しでも人を惹きつけてしまう存在感。
そして、リアルでのこの美貌。
(……そりゃ、目を付けられるよな)
納得と同時に、胸の奥がちくりと痛んだ。
「すごいじゃん、美月」
そう言いながら、声が少しだけ上ずる。
「でも……急すぎて。
私、自分がアイドルとか、想像できなくて」
美月は視線を落とす。
蓮が、軽く咳払いをした。
「才能はある。というか、素質のかたまりだよ。
見た目も、歌も、運動神経も。
正直、放っておくほうがもったいない」
その通りすぎて、まったく否定できない。
「ただし」
蓮は続ける。
「アイドルは、覚悟がいる。
注目されるし、詮索もされる。
中途半端な気持ちなら、勧めない」
トラウマ持ちの美月──。おそらく脳裏に色々な過去の出来事が過っているのだろう。
自然と、空気が重くなる。
俺は、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくり口を開く。
「……美月」
「なに?」
「もしやりたいなら、やったほうがいいと思う」
自分でも驚くほど、はっきりした声だった。
「美月が輝ける場所を、
怖いからって理由で捨てるのは、違う」
美月は目を見開いた。
「でも……」
言い淀む、その先は分かっている。
過去のこと。
ルナのこと。
そして――俺との関係。
「全部、心配なのは分かる」
それでも、俺は続けた。
「でもさ。
美月が前に進まない理由が、俺だったら――
それは、嫌だ」
一瞬、沈黙が落ちた。
蓮が、静かに言う。
「空の言う通りだよ。
もしその気があるなら、僕も同じ事務所としてサポートできるよ」
美月は、ぎゅっと名刺を握りしめた。
「……二つ、不安がある」
「うん」
「一つは、前みたいに、私の周りの世界がバラバラになってしまうこと。 もう一つは……」
そこで、言葉が詰まる。
俺は、息を吸ってから言った。
「……俺とのこと、だろ」
美月は、ゆっくり頷いた。
「空くんと、今まで通り会えなくなるのが、心配」
まだ、言葉にしていない感情。
でも、確かにそこにある感情。
このままじゃ、前に進めない。
だから俺は――
逃げ道を、一つ差し出すことにした。
「じゃあさ」
二人が、俺を見る。
「俺がまた、“そらぽん”になるのはどう?」
美月の目が、大きく見開かれた。
「女装してデートすればいい。
今まで通り、二人で会える」
それは、後戻りじゃない。
そう、自分に言い聞かせる。
「美月がやりたいことをやるための、選択肢だ」
しばらくして、美月は小さく笑った。
その目に、うっすらと涙が滲んでいる。
「……ずるいよ、空くん」
「かもな」
「でも……ありがとう」
そう言って、美月は顔を上げた。
「私、挑戦してみる」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥で何かが、静かに決まった。
きっとこれから、
もっと大変になる。
でも――
逃げなかった選択だけは、後悔しない。
そう思えた。




