ルナ様ですか?
いつもの「エピキュクルス・オンライン」──
ログインした瞬間、チャット欄が流れた。
「ルナ様ですか?」
一瞬、心臓が跳ねた。
反射的に指が止まり、画面を二度見する。
でも次の行で、すぐに続きが表示された。
「違います」
そのやり取りに、周囲のプレイヤーたちが笑いのスタンプを投げている。
「最近それ流行ってるよね」
「合言葉みたいなもんだろ」
なるほど、と内心で息を吐いた。
どうやら本気で探しているわけじゃないらしい。
“ルナがまだゲームのどこかにいる”という話を、冗談めかして挨拶にしただけのもの。
それでも――
心臓に悪い。
(やめてくれよ……)
俺は今日も、ヒーラーの「そらぽん」としてログインしている。
見た目も名前も、完全に別人。ルナとの関係を匂わせるようなものもない。
それなのに、たった一言でここまで緊張させられるとは思わなかった。
「ルナ様ですか?」
今度は、俺に直接飛んできた。
一瞬、指が震える。
「違います」
定型文のように返すと、相手はすぐに「ですよね!」と返してきた。
そのあと、普通にパーティ募集の話に戻る。
……冗談。
分かっている。分かってはいる。
けれど、胸の奥に小さな棘が残ったままだった。
その日の夜、美月と通話をつないだ。
「最近さ」
何気ない口調で、美月が言う。
「ゲームで変な挨拶、流行ってるよね」
「……ああ。『ルナ様ですか?』ってやつ?」
「うん」
一瞬だけ、間が空いた。
「冗談だって分かってるんだけどさ」
「ちょっと、落ち着かないなって」
その声は、いつもの美月より少しだけ低かった。
俺は言葉を選びながら答える。
「大丈夫だろ。
本気で探してる人なんて、ほとんどいないって」
「……そう、だよね」
そう言いながらも、美月の声は完全には晴れない。
俺は知っている。
美月が“ルナ”として活躍していた頃のことを。
カリスマ。
伝説。
そして――その美貌が原因で壊れたギルド。
表向きは笑っていても、あれがトラウマになっていることくらい、察しがついていた。
「ね、空くん」
「ん?」
「もし、今の"ルナ"のキャラが見つかったら……どうなると思う?」
軽い問いかけのようで、実は重い質問。
俺は即答できなかった。
少し考えてから、正直に言う。
「……騒ぎには、なるだろうな」
「だよね」
美月は苦笑した。
「でもさ。
それでも、私は――」
言いかけて、言葉を切る。
「ううん。まだ、考え中」
それ以上、美月は何も言わなかった。
通話が終わったあと、俺は一人で画面を見つめた。
冗談のはずの流行。
軽いノリの挨拶。
でもそれは、確実に――
過去を、掘り起こし始めている。
(……また、何か起きる)
根拠はない。
ただの勘だ。
「ルナ」は、この世界にとっては救世主だ。決して悪いことになんて、なるはずがない。
それでも、胸の奥で嫌な予感が消えなかった。
俺はキーボードから手を離し、静かにログアウトした。
ルナは、もう過去の存在だ。
そう、信じたかった。
けれど世界は、時々しつこく過去を呼び戻す。
まるで――
忘れられることを、許さないみたいに。




