【番外編】ヒゲモジャール、大いに暴れる
午後の表参道。平日だというのに、通りは買い物客で賑わっていた。
その中を、ショートボブの美しい人物が歩いている。
今日の萩原蓮は、少し女性寄りのファッション──白いブラウスにハイウエストのワイドパンツ、足元は黒のローファー。
「あっ、蓮くんだ!」
声をかけられる。蓮は、完璧な笑顔で振り返った。
「こんにちは」
「写真いいですか?」
「どうぞ」
スマートフォンを向けられ、ポーズを取る。慣れた動作。一日に何度も繰り返される、日常の一コマ。
写真を撮り終えた女性たちが去っていく。蓮は、また歩き始めた。
(さて、カフェでも──)
「蓮さん!」
また声がかかる。今度は、若い男性グループだった。
「あの、ファンなんです!」
「ありがとうございます」
蓮は、にこやかに応じた。
「あの……質問いいですか?」
「はい、どうぞ」
「なんで、女物の服着てるんですか?」
蓮の笑顔が、一瞬だけ──本当に一瞬だけ、固まった。
でも、すぐに元に戻る。
「好きだからですよ。それだけです」
「へえー、でも男なのに女物って──」
「服に性別なんてないと思いませんか?」
蓮は、丁寧に、穏やかに答えた。完璧な、モデルとしての対応。
男性たちは、「なるほどー」と納得したように頷いて去っていった。
蓮は、深呼吸をした。
(……大丈夫。よくあることだ)
カフェに入り、コーヒーを注文する。窓際の席に座り、スマートフォンを取り出した。
SNSを開く。自分の名前で検索すると──。
『萩原蓮、今日も中性的ファッションで街を歩く』
『ユニセックスの先駆者、蓮の私服センスが話題』
そして、その下には──。
『男と女、どっちもいけるの?』
『性的指向も中性なのかな?』
『付き合うなら男?女?』
蓮は、スマートフォンの画面を伏せた。
(……こういうの、本当に嫌だな)
コーヒーを飲み干し、会計を済ませる。店を出ると──。
「おい、見ろよ。あれモデルの蓮じゃない?」
少し離れたところから、男性たちの声が聞こえた。
「マジ? あー、本当だ!」
「リアルだとマジ美人だな!」
「でも、結局は男だろ?」
「えー、でもあれだけ綺麗なら、俺は全然アリかも」
クスクスと笑い合う声。
蓮は、笑顔を保ったまま──足早に、その場を離れた。
(……性別とか、関係ない、か)
(そういう問題じゃないんだけどな……)
駅に向かう途中、今度は若い女性に声をかけられた。
「あの、蓮さんですよね!」
「はい」
「すっごいファンです! あの、質問いいですか?」
「……どうぞ」
「男と女、どっちが恋愛対象ですか?」
蓮の笑顔が、また固まった。
「……それは、プライベートな質問ですね」
「あ、すみません! でも、気になっちゃって」
女性は、悪気なさそうに笑っている。本当に、ただの好奇心なのだろう。
でも──。
「ごめんなさい、急いでいるので」
蓮は、そう言って足早に去った。
背後から、「えー、逃げられた」という声が聞こえた。
(……もう、やだ)
駅の改札を通り、電車に乗る。車内は混雑していて、蓮は隅の方に立った。
向かいに座っている女子高生たちが、こちらをチラチラ見ている。
「ねえ、あれ……」
「蓮じゃない?」
「マジ?」
「写真撮る?」
「やめなよ、盗撮じゃん」
「でも、綺麗だよね」
「うん。でも、男なんでしょ?」
「え、マジ?」
「そうだよ。知らないの? モデルの蓮」
「えー、嘘。あれが男?」
「超綺麗じゃない? 信じられないよね」
「なんで女装してるんだろうねー」
クスクスと笑い合う声。
蓮は、イヤホンをつけた。音楽を大音量で流す。
でも、聞こえてくる。
『面白がられてる』
『好奇の目で見られてる』
『男からも、女からも、どこか距離を置かれてる』
(疲れた……)
*****
自宅に戻った蓮は、玄関のドアを閉めると同時に──大きく、息を吐いた。
「はあああああ……」
靴を脱ぎ捨て、リビングに倒れ込む。
天井を見つめたまま、しばらくじっとしていた。
(……ゲームしよう)
蓮は、起き上がった。
VRグラスを装着し、「エピキュクルス・オンライン」にログインする。
視界が真っ白に染まり──。
次の瞬間、蓮は「ヒゲモジャール」になっていた。
ずんぐりむっくりとした体型。短い手足。もじゃもじゃの髭。
どこからどう見ても、リアルの蓮とは正反対の姿。
「……ふう」
蓮は、深呼吸をした。
この姿になると──なんだか、落ち着く。
誰も、蓮を「美しい」とは言わない。
誰も、「男なのに」とは言わない。
ただの、ドワーフの戦士。それだけ。
「ヒゲモジャールさん、こんばんは!」
そらぽんの声が聞こえた。草原の向こうから、栗色の髪のヒーラーが手を振っている。
「おう、こんばんは」
「今日は、新しいダンジョン行こうよ!」
アストラ──美月の声も聞こえる。エルフの少年剣士が、剣を掲げている。
蓮は──ふと、思った。
(……今日は、暴れたい)
いつもなら、冷静に戦略を練る蓮。
でも、今日は──。
「今日は暴れるぞー!!」
ヒゲモジャールが、斧を振り上げて叫んだ。
「え?」
「ヒゲモジャールさん?」
そらぽんとアストラが、驚いたように声を上げる。
でも、蓮は止まらない。
「行くぞ! ダンジョン最深部まで、一気に突っ込むぞ!」
「え、ちょ、ちょっと待って!」
「いつもみたいに、慎重に進まないの!?」
蓮は──ヒゲモジャールは──答えない。
ただ、走った。
ダンジョンの入口に突っ込み、出会ったモンスターを片っ端から斧で叩き潰す。
「おりゃああああああ!」
「でやああああああ!」
「うおおおおおお!」
鬼神の如き暴れっぷり。
普段のヒゲモジャールは、タンク役として冷静に敵を引きつけ、仲間を守る戦い方をする。
でも、今日は違う。
ただ、ひたすら、攻撃。
斧を振るい、モンスターを蹴散らし、突き進む。
「ちょ、ちょっとヒゲモジャールさん!」
「速い! ついていけない!」
そらぽんとアストラが、慌てて後を追う。
ダンジョンの通路を、短い足で、猛スピードで駆け抜けるヒゲモジャール。
「待ってよー!」
「罠チェックしなくていいの!?」
蓮は、答えない。
ただ、走る。
(今日は──何も考えたくない)
(ただ、暴れたい)
次の部屋に突入。そこには、大量のゴブリンが待ち構えていた。
「どりゃぁああああ!」
ヒゲモジャールは、真正面から突っ込んだ。
(蓮さんが、ど、どりゃぁああああって……)
固まる二人をよそに、ひげもじゃドワーフは、斧を振るい、ゴブリンを次々と薙ぎ払う。
「おりゃー!」
「でやー!」
「せいやー!」
ゴブリンたちが、次々と倒れていく。
「す、すごい……」
「ヒゲモジャールさん、めちゃくちゃ強い……」
そらぽんとアストラが、唖然としながら呟く。
蓮は、止まらない。
次の部屋。また次の部屋。
出会うモンスターを、片っ端から倒していく。
(気持ちいい)
(何も考えなくていい)
(ただ、斧を振るうだけ)
そして──最深部。
巨大なボスモンスター、ボスゴブリンが立ちはだかる。
「ヒゲモジャールさん、ちょっと待っ──」
「うおおおおおお!」
蓮は、そらぽんの制止を無視して突っ込んだ。
ボスゴブリンのこん棒が、ヒゲモジャールに向かって振り下ろされる。
「危ない!」
そらぽんのヒールが飛ぶ。
でも、ヒゲモジャールは怯まない。
斧を振るい、ボスゴブリンの脚に叩き込む。
「でりゃああああ!」
ボスゴブリンが、よろめいた。
「今だ! アストラ!」
「う、うん!」
アストラが、剣を振るう。ボスゴブリンの頭部に斬撃が入る。
そらぽんは、必死にヒールを撃ち続ける。
三人の連携──というより、ヒゲモジャールの暴走に、そらぽんとアストラが必死についていく形で──。
ついに、ボスゴブリンが倒れた。
「や、やった……」
「勝った……けど……」
そらぽんとアストラは、息を切らしていた。
一方、ヒゲモジャールは──。
「ふう……」
満足そうに、息を吐いた。
「……すっきりした」
「え?」
「すっきりした……?」
そらぽんとアストラが、顔を見合わせる。
いや、顔を見合わせている──ように見える。VRだから、実際には画面越しだけど。
「ヒゲモジャールさん……」
「今日、なにかあったのかな……」
二人の声が、小さく響いた。
蓮は──ヒゲモジャールは──。
「いや、別に何も」
と、しれっと答えた。
「絶対なにかあったでしょ!?」
「普段のヒゲモジャールさんじゃなかったよ!?」
「気のせいだ」
「気のせいじゃないです!」
「そうだよ! いつもは冷静なのに、今日は猪突猛進だったよ!」
蓮は、斧を肩に担いだ。
「……たまには、暴れたくなる日もあるんだよ」
その声には──どこか、疲れた響きがあった。
そらぽんとアストラは、それ以上何も聞かなかった。
ただ、そっと──ヒゲモジャールの隣に並んだ。
「……お疲れ様」
「うん、お疲れ様」
三人は、並んでダンジョンの出口へと歩いていった。
*****
ログアウトした蓮は、VRグラスを外して──天井を見上げた。
「……ふう」
少し、落ち着いた。
スマートフォンを手に取り、SNSを開く。
また、自分についての投稿が流れている。
でも──。
(まあ、いっか)
蓮は、スマートフォンを置いた。
(ゲームの中では、僕はただのドワーフ戦士だ。それだけで、十分)
蓮は、小さく笑った。
明日も、きっと声をかけられる。好奇の目で見られる。
でも──
ゲームの世界に、自分の居場所がある。
それだけで──今は、十分だった。
*****
翌日。
蓮は、いつものように笑顔で街を歩いていた。
声をかけられ、写真を撮られ、質問される。
(うん、大丈夫だ)
心の中で、ずんぐりむっくりのドワーフが斧を振るっている姿を思い浮かべる。
どんなぶしつけな質問でも、答えているのがひげもじゃのドワーフだと思うと、自然と笑みがこぼれる。
(耐えきれなくなったら、また、ゲームで暴れるから……。ふふっ)
蓮は、笑顔のまま──歩き続けた。




