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003 英雄の後継者

 ドンドン!


「んん……」


 ドンドンドンドン!


「う~さい……」

「リーベ! とっとと起きねえと朝飯抜きになるぞ!」

「ごはん!」


 こうして目覚めたリーベは慌ただしく身支度を調え、1階のホールへと向かった。


 この日の朝食は弱ってきた野菜を片っ端から入れたラタトゥイユだ。

 エーアステ家では頻繁に出てくるメニューのひとつだが、毎度具材が変化しているため、リーベが飽きることはなかった。むしろ『今日はなんの野菜が入ってるのかな』と、楽しみでさえある。


 ちなみにこの日は、ナスやズッキーニといったオーソドックスなものに加え、セロリとカボチャが入っていた。


 リーベにとってセロリは苦手な部類に入るが、シェーンは料理人として、嫌いな野菜も美味しく食べられるように調理していた。そこにリーベは尊敬を抱きつつも、食事を楽しんだ。


「ふふ、おいし♪」


 その時ふと、父の食べっぷりに目がいく。


「はぐ……うぐっ…………!」


 その勢いたるや、三日三晩なにも食べてこなかったかのようだ。


「……お父さん、ちゃんと噛んでる?」

「ごくり……ああ。栄養を無駄にはできねえからな」

「とてもそうには見えないけど……」

「お父さんは噛むのが早いのよ」


 シェーンは困り顔で言った。視線を戻すと、エルガーは「見てろ」とラタトゥイユを頬張る。

 その様子を目をこらして見ると、今まで気にしてこなかったのが不思議なくらい。顎が素速く上下していた


「ごくり……どうだ、凄いだろ!」

「う、うん……リスみたい…………」


 驚愕していると、コンコンとノッカーが鳴った。シェーンが腰を浮かせるが、「俺が行く」とエルガーが出て行った。


 ドアを開けると、そこには郵便屋の制服を着た男性がいた。


「エルガーさんにお手紙です」

「おう、ご苦労さん」


 サインをして郵便屋を見送ると差出人を確かめながら食卓に戻る。


「誰から?」

「んー……おっ、ヴァールからだ!」


 ヴァールという人物はエルガー1番弟子であり、そんな彼からの手紙に師匠は頬を綻ばせた。


 一方、リーベは小さい頃からよく遊んで貰っていた為にヴァールに懐いていた。


「おじさん? ってことはこっちに来るの!」


 彼女は嬉しくなってつい立ち上がった。


「さあな。開けてみないことにはわかんねえよ」


 そう言いつつも、エルガーは手紙を開封することなくカウンターの上に置いた。


「えー! 開けないの?」

「飯が先だ」


 妙なところででしっかりしている。


「むう……」

「ふふ! さ、リーベもお父さんを見習って食事に戻りなさい」

「はーい……もぐもぐ」


 早く手紙の内容が知りたくて、彼女は一心不乱に咀嚼した。







 彼女は食べ終わってようやく気付いた。自分が早く完食したとしても仕方ないことに。


 顎の痛みに虚しさを感じつつも、父の背後から手紙を覗き込む。


「こら! 人の手紙を覗くものじゃありません!」


 シェーンはそう言うが、エルガーは笑って許した。


「良いじゃねえか。どうせヴァールからなんだしよ」

「……あなたがそういうなら」

「やった! ――どれどれ」


 紙面には筆圧が濃く、角張った文字が並んでいる。一画の初めには決まってインクが滲んでいて、リーベは昔ディアンに見せてもらった東国の文化『ショドウ』を彷彿(ほうふつ)とした。


『師匠へ

 察しているとは思うが、今度――多分この手紙が届いた、1週間後にそっちに行く。

 理由はふたつだ。

 ひとつは第三級以上の魔物が数を増やしている事。

 もうひとつは、俺も弟子を取ったからだ。無愛想なヤツだが、素質は確かだ。期待していてくれ。

 シェーンとリーベによろしく。

                                       以上』



 事前に手紙を出してくるくせに、拝啓や敬具という語を用いない辺り、おじさんはおじさんだとリーベは思った。


「ほお……弟子か」


 エルガーは愉快そうに口角を吊り上げる。


「ヴァールのヤツがここまで太鼓判を押すって事は、相当な逸材なんだろうな」

「では、やはりいらっしゃるのですね?」


 シェーンもまた楽しそうな声を発する。


「ああ。1週間後だとよ」

「そうですか。じゃあ、お料理もたくさん用意しておかないといけませんね」

 

 母が立ち上がる一方、リーベは未だ『弟子』という単語から目が離せないでいた。


(……おじさんに弟子が?)

 

 一体どんな人なのか気になって仕方ない。やっぱり男の人で、背が高くてがっしりとしてるのだろうかなどと考察を巡らせていると、ちょっと楽しくなってきた。


 「リーベ?」

 

 シェーンに呼ばれてハッとする。



「……あ、なに?」

「食べ終わったんだから、ホールのお掃除をしておいてちょうだい」

「はーい」


 道具を取りに行こうとした時、父は言う。


「悪いが、俺は屋根裏の続きがあるから」


 彼は冒険者を引退した勢いで、コレクションを処分しようとしていた。それはここで妥協すれば意思が揺らいでしまうという懸念があったからだ。


 一方、それを説明せずとも妻であるシェーンは理解していた。


「ええ。わかっていますよ」


 そんなこんなで彼らの日常が始まるのだった。

  






手紙が来てから8日が経ったが未だにヴァール一行は来ず、リーベは今か今かとやきもきしながら日々を過ごしていた。


 それはさておき、今日は定休日だ。しかし、店の仕事はちゃんとある。定休日とは言い換えれば、次の営業日を迎えるための準備期間にすぎないのだ。そういう訳でエルガーは上階の掃除を、シェーンは食材の状態確認や設備の点検など、厨房回りを担当している。そしてリーベはホールの掃除を任され、現在は窓を拭いていた。


「う~ん!」


 背伸びをするも、高い所に手が届かない。リーベは『わたしは成長期だから~』と言っていたが、もしかしたら伸びしろはもうないのかもしれない。女の子であるからして低身長に悩むことはないものの、もう少し伸びてほしいものだと思っていた。


(仕方ない、椅子を使おう)


 そう思って視線を下ろすと、窓ガラスに大きな顔が張り付いていた。


「……き、きゃああああっ!」


 ビックリして尻餅をつくと、窓の向こうから重低音の笑い声が響いてくる。


「だはは! 驚いてやんの!」


 それを聞きつけてか、お父さんたちがホールにやって来る。

 わたしが立ち上がると同時にカウベルが鳴り、入り口に例の顔が現れる。


「よっこいしょっと」


 身を屈めながらに入ってきたのは210センチはあるという巨漢だ。

 ヒグマのように隆々とした体付きをしていて、それにライオンのように大きく彫りの深い頭が乗っている。厳めしい出で立ちであるがしかし、陽気な笑みを浮かべているから恐ろしいという印象はなかった。


 彼は軽くクマの手の如き大きな手のひらをエーアステ一家に見せつけると、分厚い唇を割り開く。


「うっす」

「ようヴァール。元気そうでなによりだ」

「ああ。師匠の方こそ」


 ふたりは拳を突き合わせる。ヴァールの拳が大きすぎて、まるで大人と子供がやっているように見えるが、両者ともに大人だ。さらに言えば、エルガーだって長身の部類に入るのだが……錯覚とは恐ろしいものだ。


「シェーンもリーベも元気そうだな!」

 

 ヴァールが順繰りに親子を見る。小さな瞳がリーベに向けられた時、そこに多少のいたずらっ怪我宿った。それにリーベは敏感に反応する。


「もお~っ! おじさんったら、びっくりさせないでよ!」

「はは! あんな脅かし甲斐のある格好でいるお前が悪いんだよ!」


 彼は悪怯(わるび)れる事なくそう言い切った。


 その様子にリーベ悔しくて仕方なかったが、彼のの背後から響く涼やかな声に宥められる。


「いけませんよヴァール。それでリーベさんがケガをしたらどう責任を取るつもりですか?」


 ヴァールの陰から線の細い青年が現われる。


 月光を編んだような金髪は儚く、朝霧のように白い顔面には澄んだ瞳が煌めく。体格はやや長身の部類であるがしかし、隣に巨漢が立っているという事もあり、相対的に小柄に見えてしまう。そのせいで、彼の女性的な美貌がいっそう際立っていた。


「すみませんね。ヴァールは相変わらずで」

「いいえ。お久しぶりです。フェアさん」


 彼は穏やかに目を細める。


「ご無沙汰しております」

「おふたりともご無事の用で安心しました」

 

 シェーンの言葉に夫が続く。


「本当にな。それで? 例の弟子は何処にいる?」


 その言葉に思い出したリーベは注目した。

 ヴァールとフェアが両脇に退くと、そこには小柄な――リーベと同じくらい小さな男の子がいた。

 真っ黒なさらさらの短髪に、丸い輪郭の顔。首には赤いスカーフを巻いていて、まるで黒猫のようだ。彼はくりくりと愛らしい瞳で順繰りに見回し、シェーンに目を留める。


「…………」


 その美貌に見蕩(みと)れてしまい、瞳が恍惚(こうこつ)と潤む。

「ふふ、初めまして」

「っ……!」


 彼女に微笑まれると照れくさくなり、前髪とスカーフを掴んで俯く。そのあどけない仕草にリーベは思わずきゅんとしてしまった。


 一方、エルガーは呆れとも驚愕ともつかない感情に囚われ、間の抜けた声を漏らす。


「……弟子って、コイツがか?」

「ああ……フロイデっつうんだが、人見知りが激しいんだ。まったく、ガキっぽくて仕方ねえ」「ガキじゃない……!」


 フロイデが控えめに反論する。その言葉に説得力はあるかというと……ない。

 だから彼の師匠であるヴァールは肩を竦め、やれやれと笑った。


「……そうか。俺はエルガー。それに嫁のシェーンと、娘のリーベだ。よろしく頼む」

「よろしくお願いします」


 改めて挨拶をすると、フロイデは伏し目がちに「……よろしく」と返す。

 そうして一段落ついたところでヴァールが切り出す。


「それよか、バートのヤツから聞いたんだが――」

「それはひとまず、お茶を飲みながらにしましょう」


 シェーンが言うと、ヴァールは「うっす」と目礼し、フェアは「お構いなく」と社交辞令を口にした。

 もしも今日が営業日だったら話し合うどころか、挨拶すらままならなかっただろう。


 リーベはラッキーと思いつつ、母の手伝いに向かった。






 ふたつ連なった丸テーブルには茶と菓子と果物が並んだ。

 それを取り囲む面々は体格的に凹凸が激しく、風貌も一様でない。お茶会と呼ぶには些か奇妙な雰囲気を放っているが、それでもお茶会だ。


 リーベは素敵な予感に胸を躍らせながら茶を一口啜った。そして一息ついていると、同様に茶を口にしたフェアが言う。

「ふう……良い香りですね」


 彼は伊達ではなく、心から茶を愉しんでいた。


 それは誰の目から見ても明らかであり、茶を淹れたシェーンは気を良くして、茶葉についてまつわるほんの些細なエピソードを口にする。


「いただき物の茶葉なんですが、とても香りが良い品種だそうで」

「なるほど……どうりで繊細な香りがするわけで――」

「ずずずーっ!」

「もっもっもっ……!」


 ヴァールが下品にお茶をすすり上げ、フロイデは一心不乱にスコーンを頬張った。

 楽しみ方はそれぞれだが、多少は気品ある素振りをしてほしいものだと、フェアは苦笑した。


「……申し訳ありません」

「いえいえ」


 シェーンがくすりと笑うと、カップを乾かしたヴァールが口を開く。


「そんで、剣を捨てたってのは本当なんか?」


 エルガーはその小さな瞳に深い理解と、敬愛ゆえの引き留めたい気持ちを見て取った。それは同門であるフェアに対しても同様だった。彼は弟子たちの眼差しを受け止め、瞑目する。感情を抑えるべく一服すると、時間を掛けて息を吐き出す。


「……そうだ」


 曲解の余地のない答えに弟子ふたりは溜め息をついた。


「そうかい。ま、師匠も若くねえんだし、けじめは付けるべきだよな」

「……悪いな」

「アンタの命に関わんだから、無理は良くねえよ」

「ヴァールの言うとおり、魔物は私たちに任せて御自愛ください」

「そう言ってもらえるとありがたい」

「これからは食堂だけに絞るんか?」

「そのつもりだ」


その言葉にシェーンとリーベは深く安堵した。


『このまま帰って来ないんじゃ……』と不安になる夜も無くなるし、なによりずっと一緒にいられるのが嬉しかった。言葉には出さないけど、ふたりは――取り分けシェーンは大きな感動を抱いていた。

 そんな妻子の様子にエルガーは『引退して良かったと』早くも思ってしまった。自分の容易さをおかしく思いつつ、彼は自分の孫弟子に当たる少年に尋ねた。


「ところでフロイデ。お前はどうして冒険者になった?」


 すると彼は食べカス塗れのままきょとんとし、伏し目がちに、暗い目をして答える。


「……えと、倒したい魔物が、いる」

「そうか……」


 その言葉を受け、エルガーはとある人物の事を思い出したが、この場にそぐわないため、そっと胸にしまい込んだ。


 以来、お茶の席は気まずい空気が流れる。


 リーベは一服して間を繋ぐも、茶は冷めていた。


「と、ところで、フロイデくんは何歳なの?」


 猫舌な彼は人肌ほどに冷めた茶にふーふーと息を吹きかけていた。突然、女の子に話しかけられ、彼はエルガーに問われた時以上に驚き、縮こまって答える。


「……じゅうろく」

「へー、16歳か……て、ええ⁉ わたしより年上⁉」


 彼が不服そうに茶を啜る傍ら、ヴァールが大口を開けて笑う。


「だはは! やっぱりその反応か!」

「だ、だって――」


リーベは年頃の男子が自分と同程度の背丈しか持たないでいた為に、年下であると思い込んでいたのだ。しかし、その思い込みは誤りであった。


 自らの失言をどう取り繕ったものか、持て余していたが、フェアが助け船を出す。


「ふふ、誰しもヴァールのようにわかりやすくはないと言うことです」

「そうだ――って、どういう意味だ!」

「そのまんまですよ」


 6人には広すぎるかに思われたホールには笑いに満ちる。リーベは口下を覆いつつも、ちらりとフロイデくを盗み見る。

 むっつりと口を閉ざしたまま茶を啜る姿は人見知りする幼子のそれだった。






 お茶が終わるなり、ヴァールは言う。


「んじゃ、いつものアレ、やるか」


 意気揚々とドアへ向けて歩き出すが、お父さんが待ったを掛ける。


「悪いが、俺はもう引退したんだ。鍛練ならお前らだけで――」

「別に冒険に出るわけではありませんし、そのくらい、良いではありませんか?」


 シェーンがそう言うと、エルガーは頬を緩めた。


「そうだ――いや! いかん!」


 首を振って必死に堪えているのが可愛そうで、リーベは口を挟んだ。


「お母さんの言うとおりだよ! それに、『助言くらいはしてやる』って、自分で言ったじゃない?」

「うぬぬ……そうだな」


 娘の一言によってエルガーは納得した。すると1番弟子が「そうこなくちゃ!」と指を鳴らした。


「ご迷惑をおかけします」


 フェアが丁重に言う傍ら、ヴァールが弟子に言う。


「そういう事だから、フロイデ、師匠に情けねえとこ見せんじゃねえぞ?」

「うん……!」


 彼は「ふんすっ!」と意気込みを露わにした。


 男性陣が出て行くと、わたしたちは茶器の片付けに取り掛かる。


 しかしわたしは、みんなについていきたいという思いでいっぱいで、注意散漫になっていた。


「あ」


 カップがコテッと倒れて、テーブルに転がる。危うく落ちそうになるが、持ち手のお陰で事なきを得た。


「ふう……セーフ」


 安堵の溜め息をつくと、シェーンが言う。


「リーベもお父さんと一緒に行ったら?」

「……でも」

「片付けぐらいわたしひとりで十分よ。いつもお手伝い頑張ってくれてるんだから、休みの今日くらい、羽を伸ばしてきたら?」


 優しい言葉に背中を押されると、リーベはその気になった。それでもなお、母ひとりに仕事を押しつけるのがためらわれたが、大好きなおじさんたちがいる期間は限られているのだと、そちらを優先することに決めた。


「ありがとう、行ってきます!」







エルガーは弟子が尋ねて来たときはいつも、街の東門の外で稽古をつけている。

 それを知っていたリーベは一直線に東門へやって来た。


「やあ、リーベちゃん。こんにちは」


 門番のサイラスが目を細めて穏やかに挨拶する。


「こんにちは」

「リーベちゃんも見学かい?」

「はい。……ん? 『も』ってどういう事ですか?」

「それは言って見れば分かるよ」


 苦笑するその姿に、リーベは一層不思議になるのだった。


「あの、通っても良いですか?」

「もちろん。ただ、門の前でも街の外だから。気を付けてね?」

「はい。ありがとうございます」


 サイラスが門を小さく開けた。リーベはその隙間からするりと向こう側へ出る。


 テルドルは高山地帯にあり、必然的に坂が多い。東門を抜けたそこも例に漏れず、緩やかな傾斜を経て麓へと続いている。周囲にはポツポツと木が生えている以外は何もなく、剣の鍛練をするには持ってこいの環境だ。


 本来なら静かな場所だがしかし、今は観衆で賑わっている。

 彼らは皆、道端で鍛練をしているエルガーたちを見ていた。いつもはこうはならないけど、引退騒動の直後であるからして、皆の関心を集めたのだった。


「なるほど……」


 リーベは乾いた笑いを発しつつも、その輪に交じる。


 エルガーたち師弟3人の見守る先ではフロイデが真剣を構えている。

 

 切っ先を天に、頭の真横に据える。左足を前にしており、引いた右足は体に対してほぼ垂直で、この後にどんな動作をするか、剣術に通じていないリーベでも子細に渡って思い起こせるほど、彼の構えは模範的だった。


 感心しつつ彼の顔を見ると、そこには先程までのあどけなさはなかった。まるで職人のような厳然な面持ちであり、遠目に見守る彼女までもが緊張させられた。


「…………」

 彼に注目していると、その呼吸が長いのに気付いた。それが極度に集中しているが故であることをリーベはすぐに悟った。次の瞬間――

「――っ!」


 ヒュンと空気が裂かれ、彼の10メートルほど前方にある茂みが音を立てた。


 剣の達人は斬撃を飛ばす事が出来るが、あの若さでその片鱗を見せるなんて並ではない。


「……すごい…………」


 そう呟いた時、観衆からは拍手が上がった。


「あのチビ、中々やるじゃねえか」

「ああ。ヴァールさんが弟子に取るだけはあるな」


 観衆に交じっていたボリスとバートが言う。冒険者故に声が大きく、それを耳にしたでフロイデは真っ赤になって俯いた。


 はにかむその姿は少年らしいもので、リーベは彼の二面性に大いに感心を抱いた。と、その時、エルガーが彼女に気付く。


「おう、リーベ!」


 リーベが手を振り返しながら駆け寄ると、フロイデは顔を背ける。


「お前も見てただろう、コイツは大したもんだ!」

「ほんと! 遠くの樹を揺らしちゃうなんて凄いです!」


 素直に褒めると、フロイデは耳まで赤くなった。そんな照れ屋な彼を見かねてか、フェアが言う。


「ふふ、倒れられても困りますから、お手柔らかにお願いしますね?」

「はは、そうしとくか」


 エルガーが笑っていると、脇からヴァールが師匠に木剣を差し出した。


「師匠、コイツにひとつ、手本を見せてやってくれ」

「ああ、もちろんだ」


 木剣はフロイデの長剣よりもやや短く、刃渡り70センチとほどだだ。訓練用のそれは刃に相当する部分が厚く、丸まっている。さらに言えば、剣戟(けんげき)のために凹んでいたりもする。そんな使い込まれた一品を手に、フロイデと場所を入れ代わる。


 するとガヤガヤしていた観衆が静まり返る。

 静寂の中、エルガーはフロイデと同様に顔の脇に剣を構えるがしかし、その姿から受ける威圧感はまるで違う。


 片やあどけない少年、片や背恰好の良い壮齢の男子……違いが出るのは当たり前だが、そうではない。まるで全身が一振りの剣であるような威圧感を放っている。


「――っ!」


 一瞬、気迫を放ったかと思えば、既に振り抜いていた。それから数秒の間を経て、バサッっと虚しい音を立てて、フロイデが揺らした茂みが切り裂かれる。こんもりとした輪郭は袈裟に裂かれており、その異様は誰の目にも明らかだった。


「…………」


 その様にリーベは唖然とさせられた。

 真剣で同じ事をやっている場面を見たことはあったものの、長さ・重量・鋭さのいずれでも劣る木剣で実現できるなんて思っても見なかった。


 そんな彼女の隣ではフロイデがあんぐりと口を開いている。


 その目にはリーベ以上に衝撃的なものとして映っていた。


「……すご――」

「うおおおっ!」

「さっすが、俺たちの英雄だぜ!」

「これで辞めるって嘘だろ!」


 フロイデの驚嘆は観衆の拍手喝采によってかき消された。


 その大音量にギョッとした彼だが、アウェー感に沈むことなく、むしろキラキラとした畏敬の眼差しを大師へと向ける。

「どうやればできる、の……!」

 エルガーはその変容に目を丸くしたが、すぐに人の良い笑みを浮かべる。


「そうだな……お前は基礎が出来てるから、ヴァールの指導に耳を傾けて、ひたむきにやることだ」

「やってる……!」

「はは! そうか……だったら、焦らずじっくりやるこった!」


 エルガーが小さな頭をわしゃわしゃすると、フロイデは飼い慣らされた猫のように黙って愛撫を受けた。


「こりゃ、育て甲斐のあるヤツを見つけてきたな!」


 そう言って弟子ふたりへ視線を投げる。


「見つけてきた……まあ、そうだな」


 ヴァールは妙に歯切れの悪い言葉を発した。

 




 鍛練が進む内、観衆はひとり。またひとりと帰って行った。見てるばかりで退屈だからだ。

 最後まで残っていたボリスとバートは『冒険の支度があるから』と義理堅くリーベに告げて去って行った。

 こうして周囲の熱が失われた一方、冒険者4人はヒートアップしていった。


 2人1組での打ち込みをペアを変えつつ繰り返している。


「ふんっ!」


 エルガーが、ヴァールの太い首元めがけて木剣を振り下ろす。豪速で振るわれるそれはしかし、ごく太い腕に保持された木剣によって受け止められる。


「くっ――だりや!」


 ヴァールは相手の剣を外側へ押しやりつつ、切っ先を喉元へ向ける。そこで勝負は付いたかに思われたが、エルガーは剣を絡めるように、切っ先を下へ向け、鍔と鍔を打つけて押しやった。


 その状態でふたりは制止し、睨み合う。


「……へへ! 腕を上げたな、ヴァール」

「師匠こそ、ちっとも鈍ってねえや!」


 ふたりが仕切り直す一方、その隣ではもう一組が烈戦を繰り広げていた。


 フェアの振り下ろしに対し、フロイデは真っ向から打つからずに、外周から弧を描く形で斬り掛かる。その狙いは振り下ろしを透かした相手の手であった。


 相手の戦闘力を失わせる目的ならば手を切るだけで十分だろう。そう理解したリーベは頷く。


 しかし、フェアはそれを見切っていた。切っ先を攻撃側へと傾けた。これによって相手の剣は鍔に止め、負傷を免れることに成功した(もちろん、グローブを装備している)。


 ここからでも発展のしようはあるが、ふたりは剣を下ろす。


「……ふう、フェアは魔法使いなのに、剣も上手い」


 猫が顔を洗うような仕草で汗を拭いながらフロイデが言う。


 彼が言うとおり、フェアは魔法使いなのだ。 


「ふふ、今まで散々、ヴァールに付き合わされてきましたからね」


 フェアが目を細めたその時、エルガーが声を上げた。


「うっし、こんくらいにしとくか」

「え、もういいの?」


 娘が問うと父は顎の下に伝った汗を拭いながら答える。


「ああ。お前だって退屈だろ?」

「ううん。わたし、稽古を観るの好きだよ?」


 彼女が剣を振るう訳ではないが、稽古中を見学することでふとした発見があるから好きだった。


「そうか?」

「もっとやりたい……!」


 フロイデがやる気を滾らせる一方で、エルガーは意見を変えるつもりはないようだった。


「悪いが、シェーンをひとりに出来ねえからな」


 その言葉にリーベが短い声を上げる。


「あ、そうだった……」

「なんだ? 忘れてたのか?」

「いや、そういう訳じゃ――」

「だはは! ガキはハクジョーだからな!」


 ヴァールは持病の意地悪を起こした。


「もおー! 薄情じゃないよ! ちょっと忘れてただけなんだから! あと、こどもじゃない!」

「はは、どうだか!」

「むう……!」


 リーベは彼の鼻を明かしたくて仕方なかった。と、その時、妙案を得る。


 時刻はちょうどお昼前。ここは食堂の娘として、ひとつ本領を発揮してやろうじゃない! と彼女は胸に決めた。


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