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蜘蛛の糸は必ず切れる

作者: 音梨野 七詩

 地獄の底の血の池でもがいていた大悪党犍陀多は、生前蜘蛛を一匹助けたことがあった。お釈迦様は極楽から、その善行に見合った報いが必要であると、極楽の蜘蛛の糸を地獄に一縷垂らされた。

 犍陀多は大喜びでその糸を掴み極楽へ向かってよじ登っていったが、途中ふと下の様子を見たとき、他のおびただしい数の罪人たちが自分の後に続いて昇ってきているのに気づいた。

 このままでは糸が切れてしまう、と感じた犍陀多は下にいる者たちに向けて「降りろ!」と叫んだ。するとその瞬間に犍陀多の手元で糸が切れ、地獄に真っ逆さまに落ちてしまった。

 自分だけ助かろうとする浅はかな気持ちが、極楽への道を閉ざしてしまったのである。

 しかし、本当にそうであろうか? 本当に、もしも犍陀多がそのまま何も言わず上に登っていったとしたら、極楽までたどり着けただろうか? 下にいる罪人たちもろとも、地獄の苦しみから解放されるのだろうか?

 ものを盗み、火をつけ、人を殺した業深き罪人たちが、そんな簡単に許されることなどあるのだろうか?

 たとえお釈迦様でも、そのように道理を捻じ曲げることが本当にできるだろうか? お釈迦様は、何をお考えになっているのだろうか。


 蜘蛛の糸が切れたとき、犍陀多は絶望した。こんなチャンスは二度とないだろう、と。また針の山で体が穴だらけになって、舌を抜かれのたうち回るような日々に戻っていくのか、と絶望した。

 もう慣れて、疲れ果てて何も感じなくなっていたはずなのに、目の前の希望が犍陀多の精神を目覚めさせてしまったのだ。また、地獄の苦痛を明敏に感じなくてはならない。泣き叫んでも誰も手加減してくれないのはわかりきっているが、泣き叫ばずにはいられない。また疲れ果てて何も感じなくなるまで、それまでずっと耐えなくはならない。犍陀多は、希望の道が閉ざされた原因となった他の罪人たちへの怒りよりも、この先の絶望に対する悲しみで涙した。


 それからどれくらいの時がたっただろうか。煮えたぎる湯の中に投げ込まれたり、体を鬼に切り刻まれたりしている間に、どうやって時間というものを考えることができるだろうか? ただただそれは永遠のように感じられ、それが終わった瞬間に永遠でないことに気づき、そして次の責め苦が始まったときに、また永遠のように感じられるのだ。

 ともかく、犍陀多にとって永遠とも思えるほどの時間がたったあるとき、目の前にまた一筋の蜘蛛の糸が垂らされた。光り輝く銀色のそれは、希望と共に過去の絶望をも象徴していた。犍陀多は以前と違って素直にそれを喜べなかった。

「今度は失敗しないようにしなければならない」

「あんな思いをするのはまっぴらごめんだ」

 犍陀多は悪知恵を働かし、自分が上った後に糸を巻き上げていこうと考えた。そうすれば他の罪人たちは昇ってくることはできず、落ち着いて自分一人で極楽にたどり着けるであろうと考えたのだ。

 犍陀多は一瞬だけ「そういう浅はかな考えがかつて蜘蛛の糸を断ち切る原因となってしまったのではないか?」と疑った。しかし、初めから原因を断ち切っておけば問題はないだろうと犍陀多は考え、そのまま上っていった。

 両手で蜘蛛の糸をしっかりつかみ、左足に自分が昇り終わった糸を絡めて回収しながら犍陀多はどんどん昇って行った。しばらく上っていくうちに左足は蜘蛛の糸で丸くなってた。

「これだけ巻き上げれば十分だろう。宙に浮いている糸を見て、他の罪人たちは悔しく思うはずだ」

 犍陀多はしめしめと笑って、もうそれ以上糸を巻き上げず丸まった左足をそのままにして昇って行った。不安になって下を何度か見下ろしたが、他の罪人たちが昇ってくる気配はない。眼下に聳える針の山がただ不気味に鈍く光っているだけだ。

「この調子で昇っていけば、地獄を出ることなど容易い」

 犍陀多は有頂天になってどんどん蜘蛛の糸を登ってった。

 はじめは気のせいかと思っていたが、上れば上るほど自分の左足が重くなり、糸を掴む両手の苦しさが現実を示していた。

 それもそのはず、もう何里とも昇っているのだから、巻き上げた分の蜘蛛の糸だけでなく、その下に垂れ下がっている分の重さも全て犍陀多の左足にかかっているのだ。蜘蛛の糸はほとんど微かな重さしかないが、それでも地獄と極楽の間を結ぶほどの長さともなれば、人が支えられるよりもずっと重くもなる。

 犍陀多がそれに気づいたときにはもう遅く、自分と糸との重さを支えられずに、ついに糸から手を放してしまった。

 落ちている最中に左足に絡めた蜘蛛の糸はするすると解けていった。からかうように揺れながら銀色にきらめく蜘蛛の糸を、犍陀多は憎々しげに睨むことしかできなかった。


 犍陀多は愚かな人間であるが、頭が悪い人間ではなかった。同じ失敗は二度としないよう気を付け、次のために策略を巡らせる類の悪知恵の働く人間であった。だから「二度あることは三度ある」とそう自分に言い聞かせて、次蜘蛛の糸が降りてきたときどうすべきかずっと考えながら責め苦に耐えていた。

 しかし、いくら待っても蜘蛛の糸は降りてこない。それもそのはず、地獄の苦痛は長く辛く、何年もたったと思いきやまだ数分しか経っていないということなんて日常茶飯事なのだから、何かを期待して過ごせば過ごすほど、責め苦はより長く苦しく感じられるのだ。

「あれが最後のチャンスだったのだ。それを自分の考えのなさでふいにしてしまったのだ」

 犍陀多は失意に囚われて、ただ自分の感覚がなくなるまで待った。そうすることでまた蜘蛛の糸が降りてくるのではないかと考えたからだ。しかし待てども待てども、蜘蛛の糸は降りてこない。空を見上げる時間が長くなった。でも、そこは薄赤い暗闇にただただ閉ざされているばかりである。


 犍陀多は、空を見るたびに蜘蛛の糸を期待している自分がいて、その期待を感じるたびに、より痛みが明敏に感じられるのに気づいた。

「あぁ、空を見てしまうから期待してしまうのだ! 期待してしまうから、もっと苦しいのだ……」

 犍陀多は、下を向いて過ごすようになった。上を決して見ないようにした。蜘蛛の糸など、永遠に降りてこないのだから、と。

 あるときぼんやりと血の池で浮いていると、光り輝く見覚えのある一縷が見えた。蜘蛛の糸が降りてきているのである!

 犍陀多はしばらくそれに気づけなかった。蜘蛛の糸のことなど一切忘れていたからである。忘れていなければ、苦しくて苦しくて耐えられなかったであろう。

 自分のつかめる距離にきて、犍陀多は無意識のうちにそれに触れた。その瞬間、かつての期待、失意、絶望、全て思い出した。

「あぁ、またチャンスがやってきたのだ!」

「今度はうまくやらないといけない!」

 犍陀多は自分の頭をできるだけ回して、一回目と二回目になぜ失敗したのか考えたみた。

 罪人たちが昇ってくると、あまりの重さに耐えきれなくて糸が切れる。しかし糸をかき上げると、今度は自分の腕力が耐えきれなくて落ちてしまう。誰にも気づかれないように昇れれば問題ないが、どうしたって極楽にたどり着くにはかなりの時間がかかってしまうから、それまでにたくさんの罪人たちが集まってくるだろう。ひとりそれに気づけば、それにつられて周りの罪人たちも我先にと集まってくる。

 罪人たちが昇ってくるのを防ぐのは無理だ、と犍陀多は考えた。目の前にある蜘蛛の糸を結んで高いところに止めておくことも考えたが、蜘蛛の糸は限りなくしなやかで、どれだけ固く結ぼうとしてもすぐに解けてしまう。

 犍陀多は自分の手の中で煌めく蜘蛛の糸を睨みながら、どうすれば助かるのかと全力で思案した。そして、一思いに何も考えず昇ってみようと考えた。

 もしかしたら、下を見て怒鳴ったりしたのが原因だったのかもしれない。あのときにただ一心不乱に上っていれば、自分の下で糸が切れていたのかもしれない。

 そう考えると、そうに違いないという風に考えるのが人間である。犍陀多は素早く、大泥棒らしく大胆に蜘蛛の糸を登っていった。三回目だからということもあり、以前より早く力強く昇ることができた。

 下など見ずに、ただ全力で極楽を目指した。さながら修行僧のような無欲さで、ただただ蜘蛛の糸を掴み、よじ登っていった。

 このまま極楽へたどり着けたらどんなによかったか! しかしそんな簡単なことがあるはずもない。悪知恵も何もなく、ただただ愚直に前に進むだけで救われるのならば、そもそも罪人たちは地獄に落ちていない。彼らは生きるために罪を犯した。目の前のことを何も考えずやっているだけでは生きられなかったからだ。

 当然、蜘蛛の糸だって切れる。なぜなら他の罪人たちも同じように上へ上へと目指してくるのだから、切れないはずがない。

 犍陀多が下を見ようが見まいが、犍陀多が「降りろ」と怒鳴ろうが怒鳴るまいが、下にいる罪人たちは互いに蹴落とし合い、怒鳴り合っている。犍陀多がそれに気付かなくとも、気にしなくとも、その現実は変わらない。

 皆で一緒に順番に、とでもしない限り糸は必ず切れてしまう。しかし罪人たちが潔く自分の番が来るまで責め苦にあい続けることに満足できるだろうか? 否。それができないから罪人なのである。

 犍陀多だって「あと一億三千万人待ちです。あと百万年ほど責め苦に耐えれば、蜘蛛の糸に上ることができて、あなたが昇っている間に他の愚かな幾億の罪人たちが大人しく待機できていたら、あなたは極楽へあがることができます」なんて言われても、馬鹿にしているのかと思って、目の前にある蜘蛛の糸をよじ登るはずだろう。

 それが現実なのである。当然、またも犍陀多の手元で糸は切れ、真っ逆さまに落ちていった。

「それじゃ、この糸は何のためにあるのだろうか……」

 犍陀多は悟ったような諦めたようなぼんやりとした目を光り輝く蜘蛛の糸に向けながら、地獄の底に落ちていった。

 その後、何度か犍陀多の目の前に蜘蛛の糸が現れた。はじめのうちに「上っても損はないさ」と思って愚かにも色々と試しながら登ってみたが、結局は真っ逆さまに落ちていくばかりである。そのうち、蜘蛛の糸が現れても犍陀多は無視するようになった。

「こんなのはくだらない。ただただ絶望するために持つ希望なんて、何の意味もない」

 犍陀多は蜘蛛の糸を眺めては、どうやって極楽へたどり着こうかということを考えていた。しかし、それが不可能だということは嫌というほどわかっていたから、次第に「どうしてこんなものがあるのだろうか?」「どうして自分だけがこんな目に合わなくちゃいけないのか?」と、そう考えるようになった。

 生前のことを思い返してみて、かつて自分が蜘蛛を一匹助けたことがあるのを、そのときはじめて思い出したのである!

 同時に今まで自分が犯してきた数々の罪もまた、思い返した。生きるために盗んだまずい青柿。なんとなくむしゃくしゃして殴った乞食。酷く罵ってきた奴の家を燃やしてスッキリしたことも、自分を捕まえようとしたから返り討ちにして殺した役人の悔しそうな顔。そいつの懐にあった誰かの形見らしき女物の飾りが高値で売れたこと。

 どう考えても蜘蛛一匹助けたくらいじゃ釣り合わないほどの悪行を、犍陀多は思い出したのである。そして自分が助かることなどありえないことを悟った。

 犍陀多の魂の中にあった希望の糸はぷっつりと途切れた。それでも、縋らずにはいられなかった。

「ここから逃れることができるならば、何だってやってやる」

 そう思わずにはいられなかった。この先ずっとこの地獄の中で苦しみ続けるなど、考えたくもなかった。しかし、目の前にある蜘蛛の糸が「お前は永遠にこのままだ」と示し続けている。

 他の罪人たちを見ても、自分ほど絶望している者はいなかった。自分の犯した罪について真剣に考えている者など、地獄にはほとんどいなかったのだ。

「こんな思いをするくらいならば、蜘蛛など助けなければよかった!」

 犍陀多はそう叫んだ。お釈迦様への恨み言さえ口にした。

「余計なお世話だ!」と。からかわれているのかと思ったし、結局それが自分を苦しめているのだから、そう考えずにはいられなかったのだ。

 しかし、それと同時に「生前もっと善いことをしていれば」と後悔せずにはいられなかった。どれだけ苦痛を感じても善いことをしようなどと考えたこともなかったのに、この時初めてそう考えたのである。同じように、ただただ惨めに「己はなんて馬鹿なことをしたのだろう……」と悪行を悔やんだ。こうなるぞ、と何度も人に言われていたのに!


 どれだけ悔やみ始めても、何もよくならない。泣いても叫んでも、許しを乞うても、蜘蛛の糸の美しさは少しも褪せることなく、犍陀多の上をふらふらと揺れている。掴んで、上ってみても、すぐにまた落ちていく。罪人たちは必ず犍陀多の後を追うし、どれだけ罪人たちに追われぬように工夫しても、全ては徒労に終わる。

 まるで、他の罪人たちが犍陀多ひとりを苦しめるためだけに苦しんでいるかのように犍陀多には感じられた。怒りの火は、とうに燃え尽きた。怒っても何も変わらないことを犍陀多は十分承知していた。それどころか、怒りに任せて行動し罪を重ねた結果が今の自分なのだと考えると、ただただもう何も感じていたくないと願うことしかできなかった。

 しかし、自分から逃れることはできない。罪を自覚してからというもの、他の罪人たちのように朦朧とした意識の中痛みや苦しみなどほとんど感じずただぼうっと過ごすことができなくなってしまったのだ。

 痛みによって意識が薄れそうになるたびに「こうなって当然だ」と頭の中で何かが囁き、「もっと苦しめ」と己に命じるのだ。そして、意識はそれに抗うことができず、どんどん感じやすくなっていく。

「もういやだ! 己が悪かったから、助けてくれ!」

 何度そう叫んだことだろう! しかし、その言葉自体、罪を犯す前にも、己が助かりたいがために何度も叫んだことであるし、そうであるなら必然として助けられることもない。嘘をつきすぎたのだ。


 あるとき絶望と自分の罪と永遠について考えながら泡を吹いていた犍陀多の首を、地獄の赤鬼が乱暴につかんだ。まるで小さな女の子がブサイクな人形を無造作に持ち場につかせるみたいに、彼を山の方へと引きずり歩いて行った。犍陀多はまた針の山を登らされるのだ。


 針の山のてっぺんで犍陀多がふと上を見上げると、蜘蛛の糸が消えていた。安心と共に絶望し「あぁ、やっと終わったのか」と感じた。これで、考えるのをやめられる、と犍陀多はそう考えた。元の罪を知らぬ自分に戻ろうとしたのだ。

 同じように苦しみ続けるのならば、自分の罪について考えて絶望し続けるよりも、何も考えず疲れ果てて漂っている方がマシだと犍陀多は考えたのだ。


 犍陀多は、戻ろうとした。せっかく魂が前に進んだのに、そのあまりの苦痛に元の愚かな自分に戻ろうとした。しかし、それを運命や道理が許すだろうか? 許すはずもない。

 犍陀多は前に進まねばならないのだ。己の罪を知らぬ大悪党が、地獄に垂らされた極楽の蜘蛛の糸によって、己の罪を自覚するようになった。大きな前進である! 

 それはとてつもない苦痛の伴う、ほとんど目に見えない小さな一歩である。しかも、お釈迦様によって仕向けられた一歩である。しかし、確かな一歩である。

 彼はまだ自分の足で正しい道を進めない。少し目を離すとすぐにまた悪の道に落ちてしまう。しかし、彼のような者こそ救われなくてはならない。蜘蛛を一匹助けることができたのだから、素質はあるのだ。

 だから、信じよう。私たちは彼が救われることを願って、信じなくてはならない。


 残酷な笑みを浮かべながら。


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