第二篇 みぐぜんの轍(二)
東京都千代田区神田神保町――またの名を、人類拠点・神保町。
書店街のはずれに立つ雑居ビル。
その一階に看板を掲げているのが、《配線三笠》である。
ガレエジというには雑多で、店舗というには油と埃が染みつきすぎている。
錆びたシャッタアの向こうは、配線工と整備工のどちらにも分類しきれぬ道具と機材が並ぶ、終末後の空気を濃縮したような作業場だ。
ミカサは、工具を握ったまま車体の下にも潜り込んでいる。
駆動ユニットは既に組み直され、あとは配線を繋ぐだけの段階だった。
「……よし、ハブ軸まで通った。あとは信号系統のチェックで終いだな」
独りごちる声は車体の奥に吸い込まれ、店の入口に人が立ったことにも彼は気づかない。
やがてミカサは、工具を手にしたまま車体の下から這い出てきた。
床に置いた灯りが反射して、天井の鉄骨がちらついている。
手を払って顔を上げたそのとき、入口に佇む人影が目に入った。
「あれ? お客さんか」
逆光に目が慣れるにつれ、異様な風体の姿が浮かび上がる。
進駐軍の半袖半ズボン――いや、それにしても。
袖も丈も短かすぎる。理由はすぐに知れた。
両腕と両脚、肘と膝のやや上から、機械の義肢が伸びていた。
服の切れ目と機械義肢の間には、わずかに素肌が覗いている。
蒼い双眸が、じっとこちらを見ていた。
ゆるく波打った長い金髪は光を纏い、たっぷりとした量感に溢れている。
その少女は、明らかに普通の兵士ではない。
「あんた……進駐軍のP.Y.S.E.か?」
ミカサの問いに、少女はわずかに首を傾げた。
そして、何かを思い出したように慌てて喋り出す。
「私は進駐軍GHQ付・レリック管理局所属、特別調査員――」
更に思い出したように、右手を額へ持っていく。
その動作はどこかぎこちないが――教本通りの敬礼だった。
「――P.Y.S.E.-V12Eダブルシックス、通称、《トゥエルブ》であります!」
*
「ヤエコなら留守だぞ。あんたらのとこに、メディカルチェックに行ってるが」
ミカサは薬罐から煮出したばかりのタンポポの根を濾し、茶碗に注いだ。
「あ、それは承知してます。ヤエコさんもなんですが、用があるのは《配線三笠》にでして」
そう言って、トゥエルブはタンポポコオヒイに口を付けた。
西洋系の顔立ちのせいか、ヤエコよりはやや大人びて見える。
だがその仕草はどこか慎重で、むしろヤエコ以上にぎこちなかった。
「これを聴いて頂けますか」
トゥエルブがナノマシンアームを操作すると、ラヂオのノイズのような音が流れ出す。
ヤエコもラヂオネット経由の通信が出来るらしいが、これも似たような機能なのだろう。
…………。
しばらく耳を傾けていたが、ガアガアピイという音しか聴こえてこない。
「これは?」
「データ送信音です。遺物がナノマシンを遠隔操作するときの音声パターンに酷似しています。進駐軍ではこの音の発信源を、東京都西多摩郡の山間部にある中継アンテナからのものであると特定しました」
「ふうん、それで?」
ピイスの金髪少女は、ぱちぱちと目を瞬かせて。
「これは遺物案件なんです。だからここに来ました」
「遺物案件はあんたらの専門だろ。俺は配線屋だぞ」
トゥエルブは、ぐいと身を乗り出した。
「終末時代と今の時代を繋ぐ配線稼業――《クモ渡り》。私だって進駐軍です。そのくらいは知ってますよ?」
「俺はクモは苦手なんだが……」
誰がそんなあだ名を付けたのか。
「と、とにかく。人手が足りなくて私しか現地に行けないんです。ヤエコさんは後で他の部隊に送り届けてもらうとして、後生ですから、依頼を受けてください~」
後生の意味を絶対に知らなさそうな生命体から懇願された。
ミカサは長い息を吐く。
進駐軍が、地域交渉の際に現地人を雇うのは珍しいことではない。
特に山間部などでは、慣れない外国人に戸惑う者も少なくない。
まして、トゥエルブのような外見では尚更だろう。
――まあ、一部の者にはウケが良さそうな外見だけどな。
「残念だが、先約がある」
「えっ……」
トゥエルブの表情に悲壮感が浮かぶ。
「奇遇だが、場所は東京都西多摩郡だ」
「えっ……?」
「そっちも進駐軍経由の依頼だぞ。あんたら、横の連絡はどうなってんだよ」
トゥエルブの表情がぱっと明るくなった。
「じゃあ、引き受けて頂けるんですね。続きは必要ないと」
「なんだ、続きって」
「クモ渡りに協力を要請し、説得が困難な場合はハニートラップを敢行せよとの指令を受けております」
「意味、分かって言ってんのか?」
トゥエルブは自分の手を持ち上げた。
デザアトコカトリスをも絞め殺せそうな、重厚な機械義手である。
「男は手でも握っておけばイチコロだ、とのことですが……」
「お前の上司、絶対お前のことバカにしてるだろ」
ピイスとは、こんなヤツばかりなのだろうか。
ヤエコとトゥエルブだけで判断するのは、ピイスの皆さんに失礼かもしれないが。
*
RAV-MOTオオタ号。
リフトアップされた車体に、特注のワイドタイヤ。フロントには分厚いガアドパンパア。
そして、頼りなげな小さいボディ。
ミカサの愛車に、トゥエルブと二人で乗り込んだ。
「三時間も見とけばいいか。たいして速度は出ねえけど、今の世の中どこへ行くにしてもほぼ直線だからな」
全地形対応車両の強みである。
道路が壊れ、都市が崩れたこの時代、物を言うのは踏破力だ。
「なんでもお手伝いしますので、遠慮なく言ってくださいね」
「手伝いねえ……。お前、何が出来んの? 運転は?」
「私、オートマ限定免許なので」
「この国には手動ギヤ車しかねえよ……」
ヤエコより高性能みたいだが、どっちでも同じことだった。
神保町を出てしばらく、進行路は人の気配が残る地域を縫うように続いた。
新宿の残存区域は今も拠点として機能しており、復旧された鉄骨架台の下では行商人たちが小さな火を囲んでいた。
だが、それを過ぎれば、風景はがらりと変わる。
かつての環七と思しき道路跡は、路肩ごと傾き、アスファルトは草と苔に呑まれていた。
建物は軒並み骨組みを晒し、窓には蔦が絡んでいる。時折、倒木が行く手をふさぎ、その都度ハンドルを切る。
『本日正午の更新で、文京区北部における給水基点が変更されました。繰り返します……』
車内には、ノイズ混じりのラヂオの音だけが流れていた。
ラヂオネット経由の通信網は雑多な信号を飛ばしており、番組の合間には度々このような雑音が混ざる。
『人類拠点・秋葉原では、ラヂオネットで画像デエタを送信する実験を……』
廃墟と化した集合住宅の谷間を抜けると、舗装は途切れ、道は一度小さな川を跨いだ。橋の欄干は半壊し、川底には鉄骨と車の残骸が折り重なっている。
ミカサは一言も発せずにアクセルを踏み込み、RAVは小さく車体を揺らしながら突破する。
トゥエルブは窓の外を食い入るように眺めていた。
「あの鳥、なんでしょうかね」
「カラスでは?」
空を横切った黒い群れが、どこかで音もなく地に沈んでいった。
やがて地形は傾斜を増し、道は丘陵に向かって伸びていく。
青梅市手前の一帯は、かろうじて舗装の痕跡が残るものの、すでに車道とは言いがたい。
守部村のことを思い出しながら、ブレーキを軽く踏んだ。
「ここから先は道じゃない。揺れるからそのつもりでな」
「はいっ」
トゥエルブは何故か嬉しそうに返事をした。
青梅市を抜けてしばらく走ると、フロントガラスに雨粒が落ち始める。
やがて山道に差しかかる頃には、すでに降り止みかけていた。
舗装の名残すら失われ、湿った路面をタイヤがときおり滑る。
バキュウム式のワイパアは、エンジンの唸りに合わせてのろのろと動き続ける。
木立は濃く、雨に洗われた谷間から、霧のような靄が這い上がってきた。
やがて、峠の道沿いに『シカ注意』の看板が目立ち始めた頃――
「あ。例の中継アンテナ、あれですよ」
トゥエルブがフロントガラス越しに山頂を指さした。
木々の切れ間に、金属骨組みの影が覗く。
錆びついた鉄塔。その先端には、折れかけたパラボラが空に向かって傾いていた。
「依頼があった中原村のすぐ近くだな。先にそっちでいいか」
「はい。ノイズの原因を探すには、聞き込みが必要かもしれませんし。いずれにせよ、人里には向かうつもりでしたので」
つづら折りの坂を登り続けると、やがて道はゆるやかな下りに変わった。
陽は傾き、木々の影が長く伸びている。
時刻は、夕方になろうとしていた。
道を下るにつれて、林はまばらになり、急に視界が開けた。
山道の途中にあるには不釣り合いな広さの、平地の駐車場だった。
アスファルトはひび割れ、雑草が継ぎ目から顔を出している。
その片隅に、砂埃をかぶったRAVが二台。
どちらも古めかしい車体で、終末前のトラックを彷彿とさせる造り。
荷台の縁には、巻かれたホースの端がわずかにはみ出している。
用途までは判断できないが、何らかの作業用であることは確かなようだ。
さらに、その奥にはパトカアが一台。
都内のものとは塗装も仕様も異なり、山間部向けの簡易装備が施されたRAVだった。
駐車場奥の山側には、簡素だが頑丈そうな倉庫が建っていた。
資材用だろうか。入口は閉じられ、手書きで注意書きらしきものが書かれている。
ミカサは特に速度を落とすこともなく、その場を通過した。
「ここ、何かの施設なんですかね」
「さあ? 作業場かなんかじゃないのか」
つづら折りを曲がると、村はすぐそこだった。
駐車場からは、五百メエトルといったところか。
獣避けの木柵に取り付けられた門は、開きっ放しになっていた。
そのまま中へ乗り入れると、村人のひとりと思しき人物が、慌てた様子で駆け寄ってくる。
窓用のハンドルを回して、運転席の窓を開けた。
「ああ、ちょっとアンタ。駄目だよ、RAVは上の駐車場に停めてくんねえと」
「あ、途中にあったアレですか……。どうもすいません」
ミカサは村人に謝り、彼が離れたのを確認してから、その場で車体を反転させた。
*
「いや、誠にすみません。急ぎでお呼びだてしたのは私ですので、屋敷の前に停めてもらって構わなかったのですが……」
中原正信は、村長という肩書にしては妙に腰の低い態度で、ぺこぺこと頭を下げた。
普段からここまで下手に出る男とも思えないが――
事前に聞いていた情報を思えば、彼が必死になるのも無理はない。
「それで、ご依頼というのは……村のRAVが人を撥ねていないという証明――あるいは、逆に撥ねたという証明でしたか」
「はい……。それと、私の無実が証明できた場合には、駐在さんと……あと、これは本当に申し訳ないのですが――」
「村の有力者にも報告してほしい、ということですね。その分の依頼料も提示して頂いてますし、もちろん引き受けますよ」
ミカサは、村の有力者であるという長老たちの名前と住所、普段居そうな場所などを訊いた。
無理に全員に会う必要は無いそうだが。
その中でも、最も力のある人物は抑えておいてほしい、とのことらしい。
「中原乙松さん、六十九歳。氏子の総代補ですか」
総代補とは読んで字の如し、氏子総代の補佐役だ。
「乙松さんは、亡くなられた重五郎さんの補佐でして……今となっては、村の長老たちをまとめる中心人物です。『長老』というには少し若い部類ですが、実務を担っているのはこの方なので」
村の実力者といえば、もちろん村長である正信自身、そしてその母――『御館様』こと中原澄江も含まれるだろう。
が、澄江への報告は正信が自ら行えば事足りる。
ミカサに求められたのは、身内以外の者を納得させることだった。
お屋敷を辞すと、すぐにトゥエルブが話し掛けてきた。
正信は彼女を見るなり、ぎょっとした顔をしていたので――たぶん、それに気を使って口を開かなかったのだろう。
「依頼って、轢き逃げ犯を探すことだったんですね」
「探偵じゃあるまいし、それは俺の仕事じゃない。RAVと現場を調べて、お偉いさん達に報告するだけだ」
P.Y.S.E.の少女は、自身の下唇を機械の指先でそっと触れる。
考え事をするような仕草だった。
「村長さんの弁護ということでしたら。調べるまでもなく犯人じゃなさそうですけど、あの方」
「まだ事件と決まったわけじゃない。それに、印象だけで決めるのか?」
「私、人を見る目だけはあるんですよ?」
トゥエルブはミカサを見上げると、意味深に微笑んだ。
《タンポポコオヒイ》――
紀元九世紀――アフリカ・エチオピア。
獅子飼いダンディは自身の世話するライオンが、
タンポポの根をかじって興奮するのを見て、天啓を得る。
これを煮出し、今日のタンポポコオヒイの祖型となったという。
――扶栄堂書店刊『幻秘探訪録』連載「終末幻味録」
第十一回《オール・アバウト・タンポポ》より