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第二篇 みぐぜんの轍(一)

(わだち)があるな……」


 国家地方警察の駐在、加納(かのう)忠夫(ただお)は足元を見ながら言った。

 そこには確かに、RAVのタイヤ痕が残されているが。

 もっと人目を引くのは、道路にべっとりと貼り付いた血の跡であろう。


「そりゃあ、ここは車道ですしRAVも通りますからなあ」


 案内をした中原(ながら)村の住人たちは、「それがどうしたのか」とでも言いたげである。


()かれたホトケとタイヤの(あと)がありゃあ、普通は轢き逃げを疑わないか?」


 村人たちは、「ああ、なるほど」という顔をして。


「こいつぁ多分、シカと踊っちまったんだ」

「んだな。ヤマヌカシカに抜かれちまったんだべ」


 加納は口を閉じた。

 彼らにとってはそれが『納得のつく説明』なのだ。


 ――祟りだの終末存在だの。もう間に合ってんだよ。


 確かにヤマヌカシカは、ここ東京都西多摩郡中原(ながら)村の付近では、珍しくもない《終末存在》である。

 だが、それで本当に納得していいのだろうか。


 つづら折りの向こう――まだ陽も昇りきらぬ峠道の先を、加納は睨み付けた。




 被害者は津田(つだ)道弘(みちひろ)、三十五歳。

 中原村ダム計画のため、地元入りしていた測量技師である。

 遺体はひとまず布をかけられており、あとは国警の地方分駐所から引き取りに来る手はずになっていた。


「まさか、ダム関係の人がのう。蛇神(へびがみ)様の怒りを買ったんじゃろうか」

「祟りじゃなあ……」


 ――おいおい……。


 見覚えのある展開に、加納は思わず顔をしかめた。

 しかし村人もそこまで本気ではないのか、あるいは被害者が部外者でもあるせいか、その反応はどこか牧歌的だ。


 東京都水道局の測量班は、村の外れにある旧住宅を仮設拠点として使っている。

 津田だけがRAVに積んだ資材を取りに、村と駐車場のあいだを往復していたらしい。

 事故は、その途中の道で起こった。


 村から駐車場までの距離は約五百メエトル、徒歩の所要時間は五分から七分。標高差、およそ四十メエトル。

 現場はつづら折りの向こう側であるため、村から見ることは出来ない。


「問題は……、だ」


 村に来るRAVは、駐車場に停めることが決まりである。

 つまり村と駐車場の間にある事故現場は通常、RAVが通ることは無い。

 にも拘らずRAVのタイヤ痕。

 これは二通りの解釈が出来る。


 ひとつは、初めて村に来る者は決まりごとを知らず、RAVで村まで乗り付けてしまう。

 また、行商用の RAV ――月に二、三度、物資を積んでやって来るだけだが―― は村まで乗り付けることを許可されている。

 これらの車の(わだち)が、残ったままだと考えることが出来るだろう。


 もうひとつ。

 この村を統治する御館(おやかた)家のRAVだけは、村の敷地内に駐車することが出来る。

 もっとも、村民の中でRAVを所有しているのは御館家だけだ。

 村に車を停められるのは村の者だけ、と言い換えても別に違いは無い。


 ――轍は新しい。昨夜の雨でほとんどの痕跡は流されたのに、こいつだけは比較的はっきり残っている。


 そうなると、行商車の線は薄い。

 ダム関係者か、それとも御館家か。

 だが残念ながら、肝心のタイヤ幅やトレッドパタアンを鮮明に読み取れる程ではない。


「ああ、シカもあるんだったな……」


 ヤマヌカシカに遭遇したときの対処方法。

 走らないこと。

 連中は、ゆっくり歩いている生物には興味を示さない。

 この辺りの者なら小學生でも知っているが、水道局の人間はどうだったのだろうか。





 よくある話ではあるが、ここ中原(ながら)村でも、ダム建設を巡っては賛否が分かれている。


 イイルディングの始まる前年に公表された河入(かわい)ダム計画は、終末期に入り中断。

 ポスト・イイルデッド昭和に入ってようやく調査が再開されたが、正式な立ち退き要請はまだ出ていない。

 村が沈む――という現実は、損得抜きにしても簡単に受け入れられるものではないのだろう。


「そんな時にこんなことが起きてしまっては、私も……どうすればいいものか」


 そう言うのは、中原村の村長である中原(ながら)正信(まさのぶ)。五十二歳。

 ダム関係者と村人の間に挟まれ、すっかり参ってしまっている。

 損な性分なのだろう。


「まだ事件と決まったわけじゃないですぜ。一応その線でも調べるってだけです」


 そう加納は言ってみたものの、村長の正信は村で唯一RAVを所有する『御館(おやかた)家』の人間。

 それも、RAVを実際に運転できるとされているのは、この男だけなのだ。


 だが実際のところ、RAVはその気になれば誰にでも扱える。

 完全に容疑から外れるのは、小さい子供や、手足が不自由な者くらいであろう。


「村長の家のRAV、鍵の管理はどうなってます?」

「私が持ち歩いているか、自宅の鍵付きの引き出しに仕舞っています。スペアキイは金庫に仕舞ってありますが、それを開けられるのは私とお袋くらいなもので……」


 徐々に村長が不利な状況になってきた。

 こんなことを自分で言ってしまう人間が下手人というのも、どうにも考えづらいが予断は禁物である。


「お袋さん――御館(おやかた)様ですか」

「ええ……でも。お袋はご承知の通り、脚が――」


 中原村の支配者と言っても差し支えない人物――御館様。

 中原(ながら)澄江(すみえ)。七十七歳。

 彼女は両足が不自由で、車椅子をお屋敷のメイドに押させて移動している。

 脚の怪我が狂言でもない限り、これも容疑からは外れるだろう。


「鍵の管理は引き続き厳重に行ってください。本官は、水道局の車を調べてきます」


 仮にこれが、ただの獣害ではなく――RAVによる轢き逃げだったとしたら?

 車の持ち主である村長や、ダムの調査員を疑うのは容易い。

 だが第三者の犯行となると、御館家の鍵を盗み出すのは、聞いた限りでは困難に思える。

 加納は、ひとまず調査員の足取りを洗いに向かった。




 村の外れにある仮設拠点には、被害者の津田を除いた五人の調査員が居た。


「クルマの鍵は、私だけが肌見放さず持っているんですよ」

「オレもそうです」


 駐車場に停めてあるRAVは二台。いずれも、運転者が鍵を携帯していたという。

 事故が起きたと見られるのは、昨晩から今朝方にかけての時間帯。

 五人にはそれぞれアリバイがあり、少なくとも互いに証言を保証し合っていた。


 身内の証言だけでは完全な証拠とはいえないが、参考くらいにはなる。




 仮設拠点を辞して駐在所へと戻る途中、村の人間とすれ違う。


「お早うございます、駐在さん」

進之介(しんのすけ)君、調査員のところへ行くのか?」

「ええ、津田さんのお悔やみも言ってませんし……」


 村の人間が、今彼らに会うのは避けたほうが良いのではないか?

 そう喉まで出かかった。

 誰もはっきりそうとは言わないが、これが殺人であった場合。動機は――警告。

 ダム計画には強い反対意見を示す者も少なくはなく、調査員との溝は深い。


 ――いや、だからこそか。


 中原(ながら)進之介(しんのすけ)はダム計画の推進に積極的であり、調査員との信頼関係もある。

 悪い空気が蔓延したりしないよう、彼のような者が必要なのかもしれない。


「連中、何か困っていたりしたら本官にも知らせてくれ」

「分かりました。それじゃ」


 進之介と別れ、再び道を歩き出した。




 駐在所に戻り、ラヂオのスイッチを跳ね上げる。

 しかし、当然流れてくるはずの多摩ラヂオは、ガアガアピイと喚くばかりだった。


「またかよ……」


 祟りの噂にラヂオの不調。嫌な記憶が蘇る。

 もっとも、祟りというのは村の老人ひとりの軽口に過ぎないし、ここ中原村は河入(かわい)ダム建設予定地の中では奥地も奥地。

 山の険しい峠道を通るしか村に入る術はなく、ラヂオ電波が届いているだけでも奇跡のような場所だ。

 とはいえ。


「ダム工事があるから、ラヂオの中継アンテナは万全だって聞いてたんだがな……」


 ふと、駐在所の外に気配を感じ顔を向けると、村長の正信が尋ねてきたところだった。


「ラヂオはむしろ、イイルディング中のほうがよく聴こえましたなあ」

「山頂の中継アンテナ、終末前に建てられたんでしたっけ」


 加納は正信に椅子を勧めて用向きを尋ねる。


「事故のことなんですが、国警の応援は来るんですか? 死因や車を詳しく調べたりとか」

「遺体は搬送されたので、検視官は村には来ません。また、今のところは事件性が薄いので、捜査官がRAVを調べに来る予定も無いですな」

「そうですか……」


 正信は残念そうに項垂れた。

 死因がRAVによる轢死であるか否か。検視官であれば、その程度の判断はまず誤らない。

 だが、その検視官が地方分駐所に常駐しているわけではない。

 早くて数日。仮に事件と認定されたとしても、捜査官の派遣は更にその後の話だ。


「……私、疑われていますでしょう? 身の潔白を証明しようにも、出来ることがない」


 加納は黙って聞いた。

 まさかとは思うが、罪の自白であるなら余計な言葉を挟むべきではない。


「国警が来れないのなら、民間に頼もうと思うんです。進駐軍に聞いたら、腕のいいRAV技師を紹介してくれるそうで」


 進駐軍の紹介で、RAVの技師?

 脳裏を、ふと一人の人物がよぎる。


 ――いや……まさかな。


 加納は軽く首を回し、その想像を振り払う。


「その技師、なんて名前です?」

「ああ、それはこれから。先に加納さんに話を通しとこうと思いまして」


 そう言い残し、正信は駐在所から去って行った。

 なんとも律儀なことだ。

 しかし、その技師とやらが正信の内通者であれば、証拠を隠滅したりはしないだろうか?

 考えても始まらない。全てはその人物が来てからのことだ。





 夢の中でも、どこか遠くで金属を叩くような音がしていた。

 しかし、それが現実の音だと気づいたのは、次の瞬間のことだった。


「駐在さん! 駐在さん、大変です!」


 誰かが駐在所の扉を荒々しく叩いていた。

 がばりと布団を跳ね上げ、加納は壁際の時計に目をやる。午前五時を回ったばかり。

 まだ夜の気配が残る時間帯だ。


「……今行く」


 戸口を開けると、顔色を失った若い男が立っていた。

 ダム調査班の一人だ。名前は覚えていないが、津田の仲間だということは分かる。


「し、進之介さんが……! あの……駐車場への道で、血が……!」


 口早にまくし立てるその言葉に、加納の眠気は一瞬で吹き飛んだ。


「場所はどこだ。津田と同じか?」

「は、はい……駐車場の少し手前、坂の途中です」


 加納は片手で制し、すでに制服の上衣に袖を通していた。

 第二の事故。

 だが、これはもう偶然とは言えない。




 現場は、駐車場と村を結ぶ坂道の中腹――ちょうどつづら折りが切り返すあたりだった。

 夜明けの山肌はまだ灰色にくすみ、薄霧が木立の間にたなびいている。

 足元の砂利を踏みしめながら、加納は登っていった。


 目印となる血痕はすぐに見つかった。

 斜面から少し外れた路肩の窪み。そこに、進之介は倒れていた。


 仰向け。

 顔は斜めに逸れており、口元に泥と吐瀉物の混じったものが固まっている。

 目は開いていたが、焦点は合っていない。

 声をかけても反応はなく、呼吸の気配も感じられなかった。


 ――死んでるな。


 駆けつけた若い調査員の一人が、木の陰で吐き戻していた。

 加納は一度だけ眼を閉じ、静かに息を吐く。


 第二の被害者は中原(ながら)進之介(しんのすけ)。二十八歳。

 村とダム調査員の調整役ともいえる男。

 それが、またも駐車場に至る道で。


 ふと、背後で村の男の一人が声を上げた。


「……おい、あれ……あれはなんだ?」


 震えた声に続くように、もう一人が叫ぶ。


「もう一人いるぞ!」


 加納はぱっと顔を上げた。

 坂の先――つづら折りの陰、山肌に沿ってわずかに開けた崖際の草むら。

 倒れているものの輪郭が、霧の中に黒く滲んでいた。


 横たわった身体は崖際に半ば埋もれ、片腕が不自然に曲がって伸びていた。

 足元には斜面を滑ったような跡と、そこに混じる微かな血痕。


 急いで駆け寄ると、すでに呼吸も脈も感じられない。

 顔を確認した瞬間、加納は言葉を呑んだ。


 第三の被害者は中原(ながら)重五郎(じゅうごろう)。七十一歳。

 村の氏子総代にして、ダム反対派の筆頭ともいえる人物。

 御館家と対等に渡り合える、数少ない村人であった。





「事故でないとしたら……無差別殺人、ということになりますか?」


 村長の正信は、もはや『参っている』という段階ではなかった。

 その顔からは、生気のようなものが抜け落ちている。


「無差別? 何故そう思うんです」


 加納もその意図は察していたが、敢えて問い返した。


「……最初の被害者、津田さんはダムの調査員。二人目の被害者はダム計画に協力的だった進之介君。ここまではまあ、分かるんです。でも、三人目の重五郎さんはダムに反対していたんですよ?」

「犯行現場を目撃してしまった、という可能性もあります」


 正信は「あ……」と小さく声を漏らし、目の焦点をどこにも定めないまま、机の縁をぎゅっと掴んだ。

 その手の震えが、言葉より多くを物語っている。


「いいえ、これは《みぐぜん様》の神罰です」


 声が響いたのは、応接間の開け放たれた引き戸の向こうからだった。

 その静けさを切り裂くように、重たい車椅子の軋み音が続く。


 現れたのは、中原(ながら)澄江(すみえ)。七十七歳。

 正信の母であり、村を統べる『御館(おやかた)様』の名で呼ばれる老女である。


 きっちりと着つけられた灰桜色の和装。

 姿勢はまっすぐに保たれ、衰えや病みの気配は見えない。

 にもかかわらず、澄江は椅子から一歩も動かず、背後から押されるままに滑り出てくる。


 車椅子を押しているのは、黒髪を後ろでまとめた若いメイドだった。

 着ているのは、黒一色のワンピースに白い丸襟がついた洋装。

 もとは終末前の屋敷勤めに使われていたものか――仕立ての古さと清潔さが妙な存在感を放っていた。

 女の顔には、感情というものが一切浮かんでいない。

 まるで、何かを『演じている』かのようだった。


「神罰、ですか……」


 御館家における真の主。その登場に、加納はゆっくりと席を立つ。

 声には、わずかに疑問の響きがあった。

 この村の御祭神(ごさいじん)――蛇神(へびがみ)

 その《みぐぜん様》とやらの祟りであるならば、なぜ重五郎のような『村を守ろうとした者』までが殺されねばならなかったのか。


「神の怒りとは、遍く人々に降り注ぐもの。水源を守れないのであれば、皆同罪というものです」


 ――イカれてやがる……。


 自分の村の住民が死んだのだ。

 それが、村を束ねる者の言うことだろうか。

 御館様という呼び名が示す通り――

 その言葉にはまるで、乱世における領主のような威圧が滲んでいた。




  《水没した怪異記録》――

  今では静かな湖面が広がるだけの、河入(かわい)ダム水没域。

  かつて中原(ながら)村と呼ばれたその集落では、

  正式な立ち退きを前に住民の大半が姿を消したという。

  水没に先んじて廃村となった理由は、今でも不明のままである。


  ――扶栄堂書店刊『幻秘探訪録』特集「封じられた集落誌」

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