第一篇 しゅにら様の祠(二)
美優は昨夜、こう言っていた。
犯人は、手強いほうから順に殺していると。
名探偵は、第三の被害者となった。
「え? あの幣束、今までの死体にも刺さっていたんですか?」
「ああ。だから、これはたぶん同一犯だ……模倣犯の可能性も、なくはないけどな」
同一犯であれ、別人であれ。
こんなもの、考えるまでもなく連続殺人ではないか。
別々の手によるものだったとしても、明らかに模倣犯だ。
美優が自信満々に連続殺人と断定するはずである。
――手強い順から殺している。だから三番目は名探偵。
しかし、この推理には穴がある。
この村で最も『強い』のは、どう考えても当主・守部彦右衛門だ。
次点はその嫡男であり、村長でもある清一。
暴力という意味では彼らは『非戦闘員』だが、それを言うなら第二の被害者である芳江も同じだ。
ならば何故、当主と村長は殺されていないのか。
――常に人目がある。近付きにくいからか?
途中でバレてしまえば元も子もない。
それに、村人を皆殺しにするつもりでなければ、標的以外を手にかける理由はない。
殺された者には、なんらかの共通項があるはずだ。
当主と村長はハナから標的ではない、と考えるのが自然。
残る村人は、駐在の加納を含めて二十二人。
「全員に聞き込み……無理ってほどでもないか」
ミカサは自警団の詰所を訪ねた。
そこに居たのは、この村ではまだ若いほうの男性――顔は知らないが、村人の一人らしい。
「お供え物が、消えた?」
「そうそう、しゅにら様にお供えしてるマンジュウが消えたっていうんだよね。だから御神体が祠から出てきて、食べたに違いないって」
「それは、誰かが盗み食いしただけなのでは……」
「いやあ、お供えものはお祭りのときに食べるもんだし、そんなバチ当たりなことする奴、村には居ねえと思うんだよなあ」
――いや、そんくらい居るだろ普通に!
最初の聞き込みは空振りだった。
有力な情報とは言い難い。
村の奥へと続く細い道を歩いていると、井戸端でしゃがみ込んだ女が一人、何かを洗っていた。
陽は高くなり始めていたが、空気はまだ湿り気を帯びている。
「――あら、配線屋さんじゃないの。消えたしゅにら様でも探してるの?」
女は顔を上げた。
見覚えのある顔。昨夜の食事会にもいた、当主家の家事手伝い――守部真澄。
年の頃は四十半ばくらい。口元には、何か言いたげな笑みが張りついていた。
消えたしゅにら様というのが、犯人の暗喩であるならば――当たらずとも遠からず。
「……少し、聞いてもいいですか」
「うふふ、聞かれる前に教えてあげるわよ。殺された二人のこと、でしょう?」
そう言って、真澄は桶の中の野菜をひとつ、ざぶりと水の中に沈めた。
美優のことはまだ知らないらしい。それはそうだ。
「利作さんはねえ。この村じゃなければ、とっくに捕まっててもおかしくないような人だったわあ。美優ちゃんが睨みを利かせてなきゃ、若い娘なんか安心して暮らせやしない。もっとも美優ちゃん以外の若い娘なんて、当主のお孫さんくらいなんだから、何も心配いらなかったわねえ」
真澄は肩を揺らして笑った。
全く笑えない内容だったのだが、何がそんなに可笑しいのか。
「芳江さんはそういうのじゃなくて、ちゃんとした人だったわ。ちゃんとしすぎてて、利作さんよりも恨みを買っていたかもしれないけどねえ」
多分に主観が混ざっていそうな情報だ。
話半分で聞いておくのが正解だろう。
「……イスミさんという方は、今どちらに?」
有力な容疑者、《終末帰り》である玄蔵に、直接接触するのは今は避けたい。
だが、周りから攻めるのはありだろう。
そのとき――
真澄の表情が、鬼のような形相に変化した。
……と、思ったが。一瞬後にはにこにこと笑っている。
「誰から、聞いたのお? その名前」
「美優さんから……」
「イスミちゃんはねえ、五年前に神様に召されちゃったのよ」
「あ……すみません、無遠慮なことを」
「いいのよお。召されるのは、悪いことじゃないんだから。あの頃は確か十五歳くらいだったかしら。こんな田舎じゃまずお目にかかれないほど――本当に、綺麗な子だったわあ」
それ以上は聞きづらくなってしまい、真澄に礼を述べると、逃げるようにその場を辞した。
足早に道を行く途中で、ふと先ほどの会話が脳裏に蘇る。
「五年前……?」
――真澄はそう言ったのか?
守部玄蔵がイスミを引き取って村に帰ってきたのは、五年前ではなかったか。
つまりイスミは、この村に来てすぐに――死んでいる。
意を決して、他の者にも聞くことにした。
目の前にはちょうど民家がある。
誰の家かは知らないが、門扉を叩いてみると――
出てきたのは、昨晩ミカサが祠を開けたときに、見物していた男性の一人だった。
女性には少し聞きづらい話かもしれなかったので、ちょうどいい。
「イスミ……なんでその名前を?」
「美優さんから聞きました。事件にはイスミさんが関係しているかもしれないと、彼女は言っていたんです」
「……………………」
「イスミさんの死因はもしかして、利作さんに関係していますか?」
「あ……? ああ、そういう話か。確かにそういうことも、あるかもしれないなあ……」
「死因は――自殺ですか?」
男はその問いには答えず、こう言った。
「きっと、イスミに懸想してる奴がいたんだ……」
「それが――犯人かもしれない、ということですか?」
「確かなことは分からない。もう……帰ってくれ」
男に礼を言って辞すと、再び歩き出す。
利作は、当主以外には傲慢で暴力も辞さない男だった。
イスミは、村には似つかわしくないほど見目のよい子供。
子供といっても、十五歳ともなると。
そして、今は故人。
「そういった怨恨の線もあり得るのか……」
ミカサは心底嫌そうにこぼした。
正直、これ以上の聞き込みがしづらくなってしまった。
国家地方警察に任せるべき案件だろう。
――しかし原因が痴情のもつれだとすると、芳江と美優はなんで殺された?
利作以外にも、イスミの死の遠因になった者がいたとしよう。
それらの者を殺す前に、先に村の実力者たちを排除した。
いやいや、それは動機として無理がある。
リスクと見返りが噛み合うまい。
ミカサが聞き込みを続けることに、意味があるとすればそれは――
これ以上の殺人が起こるのであれば、それを未然に阻止すること。
志半ばで倒れた美優のためにも、投げ出すわけにはいかなかった。
ミカサは立ち止まり、考えを整理する。
イスミが利作に乱暴され、自ら命を絶った――仮にそういう筋立てで考えてみよう。
自殺という点は裏付けが必要だが、取り敢えず今は後回しだ。
芳江が共犯だったとは考えづらいが、村人から頼りにされる立場ではあった。
それでも助けてくれなかった。あるいは、イスミに嫉妬していた……そんな可能性もある。
理屈は合っている気がする。
――まあ、想像で決めつけるのは危ういけどな。
では、美優はどうだろう。
五年前は二十三歳。芳江と同様に、村人から頼られていたとしても不思議はなく。
また名探偵といえど、人並みに感情の揺れがあったとしても、おかしくはない。
イスミに、懸想していた人間。
さっきの男は言葉を濁していたが、狭い村のことだ。本当は見当がついているのだろう。
この村には、若い男がほとんど居ない。
目につくのは、食事会に居た航平という青年くらいのもの。
あとは駐在の加納くらいか。
「……おい、配線屋」
不意に背後から名を呼ばれた。
振り返ると、村長の弟――つまり当主家の次男である守部善二が、腕を組んでこちらを睨んでいた。
「余所モンが、何をこそこそ聞き回ってる。車の修理が終わったら、さっさと村を出ていけ!」
苛立ちを隠さぬ口調だった。
見たところ酔っているわけでもなさそうだが、感情の波がそのまま顔に出ている。
車――つまり《RAV》の修理はまだ手を付けていないのだが、それより問題なのは。
「……今、村を出たらサンドワアムの餌でしょうに」
「だったら、出るな。黙って籠もってろって話だ」
吐き捨てるように言うと、善二は背を向けて足早に立ち去った。
その背に声をかけようとは、到底思えなかった。
――しまったな。
容疑者とは、なるべく接触しないようにしていたのに。
ここまで噂が広まっているのか。田舎恐るべし。
善二を除いた残る有力容疑者のうち――
祟り爺さんの喜兵衛はさておき、玄蔵からは一度話を聞いておきたかった。
なにせ、玄蔵は五年前にイスミを村へ連れてきた張本人であり、その保護者でもあったのだ。
容疑の最有力候補と見て間違いない。
だが、今日のところは控えておくべきだろう。
これ以上の聞き込みは難しい。となれば、次に話を聞くべきは――
駐在所の引き戸を開けると、加納は事務机に寄りかかって煙草をくわえていた。
ミカサの顔を見るなり、壁際の椅子を指して軽く顎をしゃくる。
「連続殺人事件を止めるための聞き込みか……」
「はい」
「あんた、偉いなあ。でもあまり人様のプライバシイには踏み込むなよ? 田舎は怖いからな」
「そう思って、途中で切り上げました」
そう答えながら、ミカサは背もたれに重心を預ける。
気疲れが、どっと押し寄せてきた。
「若い男、ねえ。年寄りだって恋くらいするだろ?」
「言われてみれば……」
若い男が怪しいというのは、完全な思い込みだった。
年嵩の男でも若い娘に懸想することはあるし、その男に嫉妬する女だって、いないとは限らない。
「まあ、該当者は航平君くらいか? 男じゃ村で最年少、唯一の二十代だな」
「加納さんは?」
「おいおい、本官も容疑者なのかよ。国家地方警察の再配置で村には来たばかりだぞ」
「じゃあ、怨恨の線なら容疑者じゃないですね」
「……ったく。食えねえ野郎だな」
加納は苦笑しながらも、手元の手帳に何かを走り書く。
「前任者は近隣の街に行く途中で、サンドワアムに喰われちまってな」
「青梅市、多いですね……サンドワアム」
「全くだ。陸の孤島だよ、ここは」
クロオズド・サアクル――そんな言葉が、ふと脳裏をかすめた。
本来なら青梅市警の管轄であったここ青梅市は、《イイルディング》により人口が激減。
市制施行後わずか一年あまりで、人口は五千人を割り込み、警察職員の確保も困難となった。
結果として青梅市警は解体され、以降は国警――すなわち国家地方警察・東京都本部の管轄となった経緯がある。
「戸籍簿でも調べとくよ。そしたら死因もすぐ分かるだろう」
「お願いします」
伝えるべきことは、すべて伝えた。
あとは加納に任せておけばいいだろう。
駐在所を辞して、本来の仕事先である当主家に向かう。
「……なんか、言い忘れた気がするな?」
祟りなどではない。
この事件が人為的なものだと、ミカサは最初から当たりを付けていた。
それは信仰の歪みでも、村人同士の確執でもなく。
もっと、単純な理由だったような気がするのだが。
石垣と畑に囲まれた細い坂道を、ゆっくりと登っていく。
空は晴れていたが、雲はやや多く、日差しもまばらだ。
湿った風が、草いきれを運んでくる。
――そろそろ昼か……。
ふと、口の中がからからに乾いているのに気づく。
朝から何も口にしていなかった。
それどころか、水すら飲んでいない。
ゆるやかな坂を曲がると、道の脇にぽつんと佇む木造の平屋が見えた。
瓦はいくぶん色褪せ、看板の文字はほとんど判読できない。
だが、軒先に並ぶ瓶入りのラムネや、日焼けた菓子箱の山が、それが駄菓子屋であることを告げている。
ミカサは足を止めた。
視線が、ガラス張りの冷凍ケースに吸い寄せられる。
中には、いくつかの袋入りアイスが、やや曇った窓越しに並んでいた。
そのうちの一本――鮮やかな水色の包み紙が目を引いた。
「あらあ、配線屋さん」
店の奥から、ひょっこりと顔を出したのは、小柄なおばあちゃんだった。
白い割烹着に手ぬぐいを被り、腰を少し曲げている。
それでも、目はぱっちりと冴えていて、笑顔には不思議な迫力がある。
「すいません、このソオダアイスください」
「しゅにら様も、甘いものが好きでねえ」
――マンジュウ供えてるって証言、あったくらいだしな。
事件解決には繋がらない証言だったが。
「あんたぁ、探偵さんなんだってねえ……」
「いや、俺は――」
「美優ちゃんが最後に、あんたをこの村に導いてくれたのかもねえ……」
老婆はそう言って目に涙を溜めた。
「犯人を捕まえておくれ。このままじゃ、おちおち眠れやしないよ」
そうか――
殺人事件を当たり前に恐れている者もいる。
祟り騒ぎの印象が強すぎて、どうにもその辺りが麻痺していた。
興味本位で祠を覗きに来た村人たちとて――本当は『歩く御神体』などではなく、『殺人犯』を恐れているのだ。
協力者は、その線で得られそうではないか。
「聞き込みを続けたいんですが、誰に話を聞いたらいいですかね?」
「やっぱり当主家の人だよお。最後に頼りになるのはねえ」
その当主家の善二に、出ていけと言われたばかりなのだが。
駄菓子屋を辞し、当主家の敷地へと戻ってきたミカサは、玄関へ向かわずにそのまま裏手の車庫へと回り込んだ。
依頼された本来の仕事、車の修理はさっさと済ませておかねばならない。
錆びかけたシャッタアの取っ手に手をかけ、ゆっくりと引き上げる。
軋む音と共に顔を覗かせたのは、村長の愛車。
その車体は、ひと目で並のものではないと分かる威容を誇っていた。
道路インフラが壊滅的なダメエジを受けた《イイルディング》以後。
自動車の概念は、終末前とは大きく異なるものへと変貌を遂げていた。
拡張型全地形対応車両――《RAV》。
ライズド・オオルテレイン・ビイクル。
限界までリフトアップされた足回りに、軍用トラック並の特大タイヤ。
車体下部には砂塵跳ねを防ぐスカアトガアド、フロントには簡易鋼板によるガアドバンパア。
あらゆる悪路をねじ伏せる設計思想が、機能美として表面に現れている。
このRAV-MFD。通称、《フォオ・ドラクス》は、かつて金持ち向けに輸入されたアメリカ製の高級マニュアル車を、終末後の基準で再設計した旧世代機だ。
人類が終末に抗う象徴ともいえる、V型8気筒エンジン。
そして、頑強な3速MT。
荒れ地を踏み締めるような低音が、車庫内にも響いてきそうだった。
「ブイハチエンジンは伊達じゃねえ、ってか」
ミカサ所有の国産RAVでは、到底この重厚感には敵わない。
これはもはや、移動手段ではない。
終末後世界における、人類の『魂』だ。
車庫の扉を開け放つと、午後の風が機械油の匂いを吹き散らしていった。
村長の車――《フォオ・ドラクス》は既にジャッキアップされ、床下には道具箱と作業灯が置かれている。
「スカアトガアドが歪んでるか……あと、配線が一箇所焼けてるな」
ミカサは手早く工具を選び取り、黙々と作業を進めた。
焦げた配線を切り、新しい銅線を丁寧に繋ぐ。ネジはすでに規格違いの代用品ばかりだが、それでもどうにかなる。
「……よし、これでだいたい完了だ」
ウエスで手を拭きながら顔を上げたそのときだった。
コツン、コツン、と硬い下駄の音が近づいてくる。
車庫の入り口に影が差す。
「あのう、配線屋さん……」
背後からかけられたのは、控えめながらも澄んだ、若い女の声。
ミカサが振り返ると、入り口に一人の娘が立っていた。
薄色の着物に前掛けを重ね、両手は胸の前で指を絡めている。
黒髪は肩あたりで切り揃えられ、きれいに整えられていた。
下駄のつま先をそろえ、どこか所在なげに視線を揺らしていたが、こちらと目が合うと、はっとしたように小さく会釈をする。
村長の娘、つまりは当主の孫――守部千鳥。
全村民の中で最年少の二十歳。
挨拶は済んでいるし昨夜の食事会にも同席していたが、特に話などはしていない。
「ええと、村長のお嬢さん」
「あっ……千鳥で、いいです」
「何かご用ですか?」
「少しお話、いいでしょうか?」
小さな声でそう言うと、千鳥は視線をそらし、足元の影を見た。
控えめでおっとりした娘。千鳥の印象は、そんな感じである。
「あのですね……私にも。捜査のお手伝い、させて下さい!」
「……は?」
「美優さんまで殺されたのに、何もしないなんて出来ません。私に出来ることがあれば……少しでも、って」
「いや、しかし」
「正直に言うと、怖いんです。だから事件を早く解決してほしくて……」
そういうことか。
とはいえ「手伝う」といっても、有力容疑者への聞き込みなどに連れて行くわけにはいかない。
彼女から話を聞くくらいなら、まあ構わないだろう。
二十歳の娘とはいえ、駄菓子屋のおばあちゃんお墨付き――当主家の人間である。
これだけ協力的なら、あのことを聞けるだろうか。
「では、千鳥さん。……ちょっと聞きづらいことなんですが、五年前に亡くなられたっていう、イスミさん――」
その名を口にした瞬間、千鳥の細い肩がびくりと震えた。
「あの子は――殺されたんです」
《Raised All-terrain Vehicle(RAV)》――
イールディング期に登場したRAV(アールエーブイ)は、
従来の車両に代わるまったく新しいカテゴリを確立した。
Raised=拡張/高架。リフトアップの意味も含まれ、
荒廃した世界でも燃料さえあれば、どこへでも走破可能とされた。
――季刊『動態構造学』 No.12(東洋走機工研部)より